【深読み「鎌倉殿の13人」】源義経の逃亡中、義行、義顕と名前が変わった納得の理由
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第19回では、源義経が源頼朝に挙兵したものの、負けそうになったので逃亡した。実は、義経は義行、義顕と改名したのだが、その点を詳しく掘り下げてみよう。
■犯罪人の改名
源義経の改名に触れる前に、犯罪者の改名を取り上げておこう。前近代において、犯罪者の名前を勝手に変えて、貶めるなどの行為があった。これを「罪人変改名」という。
神護景雲3年(769)7月に宇佐八幡宮神託事件(道鏡が皇位に就こうとした事件)が勃発した際、和気清麻呂は道鏡の野望を阻止した。しかし、清麻呂は因幡員外介にされ、「別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)」と改名されたうえで、大隅国に流罪となった。
あえて、「別部穢麻呂」と不本意な形で強制的に改名したのは、清麻呂を貶めるためだった。当時、犯罪者には、このような例が少なからずある。
■義経の1度目の改名
文治元年(1185)11月、源義経を追討を命令する宣旨が下された。これ以前、源頼朝は義経との関係が悪化し、ついに討つことを決めた。宣旨は、その根拠でもあった。
翌年閏7月10日、頼朝はある意向を示す。それは、義経という名が「良経(よしつね)」と同じなので、義行に改めるということだった(『吾妻鏡』)。
良経とは九条良経のことで、兼実の次男だった。義経と良経は漢字で書けば違っているが、読み方が「よしつね」と同じなので、摂関家の九条家を憚っての措置である。当時の人は、そこまで気にしていたのだ。以後、朝廷でも義行を使うようになった。
■義経の2度目の改名
文治2年(1186)11月29日、突如として義行の名は義顕に改められた(『吾妻鏡』)。なぜ、再び改名したのだろうか。
実は、義行は「よくいく」ということで、縁起が良くないとされたのである。逃亡中の義経がなかなか捕まらないのは、名前が悪いからということで、義顕に改められたのである。
一方、義顕は「よくあらわれる」ということで、縁起の良い名前だった。逃亡中の義経がすぐに姿をあらわし、捕まえることができるだろうと考えたのである。
■むすび
義経の強制的な改名について、その理由を聞くと「ばかばかしい」と思われるかもしれない。しかし、当時の人々にとっては、とても重要なことだった。結局、義経が討たれたのは、その3年後のことなので、どこまで効果があったのか不詳である。