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【深読み「鎌倉殿の13人」】フィクションと史実の狭間で、大河ドラマを楽しむ方法

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
大河ドラマは、史料に基づくべきか?(提供:イメージマート)

 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、一定の史実を踏まえながら、コミカルな演技がウケている。視聴率も良い。今回は、どうすれば大河ドラマを楽しめるのか、深く掘り下げてみよう。

■演出か、史実か

 大河ドラマは一定の史実を踏まえているものの、やはりフィクションである。大河ドラマは、演出家の演出に唸り、役者の演技に感動するなど、ドラマそのものを楽しむのが本筋である。細かい史実を詮索するのは、筋違いである。

 一方で、大河ドラマを見る人のなかには、史実にこだわる層がいるのも事実である。ドラマを見ながら「これは、史実と違う!おかしい!」といった具合である。

 史実にこだわる層にもいろいろと考えはあるだろうが、比較的多いのは「信頼するNHKなんだから、史実を正確に伝えて欲しい」というものがある。この意見もわからなくもない。

 しかし、正確に史実をたどってドラマにしようとすると、これは成立しない。史料の裏付けがないところは放映できない。そんなドラマはおもしろくもおかしくもないだろうから、視聴者はどんどん減っていくはずだ。

 史実は、信頼できる史料で隅々まで明らかにできるものではない。論文の場合は史料に書かれていないことを史実とみなすのには問題があるが、ドラマの場合は演出家による「スパイス」で補う必要がある。役者の演技も重要だ。

 たとえば、「源頼朝は打倒平氏の兵を挙げるとき、いったいどんな気持ちだったのか?」なんてことは、史料に書いてあるわけではない。頼朝の心情を探り、表現するのが演出家の仕事であり、ドラマの面白みを増すのに不可欠だ。そして、視聴者がそれをどう判断するかだ。

 いくら演出家の「スパイス」が必要とはいえ、あまりに荒唐無稽すぎると、視聴者の心には響かない。呆れるだけだ。視聴者が「きっとそうだったに違いない」と共感するよう、十分に考えることが必要だろう。まさしく演出家の想像力と創造力が試されているのだ。

■フィクションと史実の狭間で

 「鎌倉殿の13人」が舞台とする鎌倉時代は、そんなに史料が多いわけではない。もっとも信頼できるのは、九条兼実の日記『玉葉』だろう。これが、同時代に成立した一次史料である(ほかにも同時代の公家日記はある)。

 続いて、鎌倉幕府の正史たる『吾妻鏡』、『平家物語』(作者不詳)、慈円の歴史書『愚管抄』などの二次史料がある。これらは後世に編纂あるいは執筆されたものなので、史料としての質はやや劣る。

 二次史料は編纂や執筆の意図がそれぞれにあるので、一定のバイアスが掛かっている。『平家物語』は文学作品なので、いっそうそうした傾向が強いといえよう。

 たとえば、『平家物語』のなかで描かれる平清盛は、徹頭徹尾の大悪人である。その子の宗盛は、武将としては情けないくらい無能である。逆に、同じ平家一門であっても、高く評価されている面々もいる。

 つまり、ドラマを制作する際には、こうした史料を紐解きながら、あまり史実に拘泥せず、演出家の豊かな想像力と創造力で描かれることが肝要である。

■むすび

 とはいえ、せっかく大河ドラマを楽しむなら、ぜひ実際の史実はどうだったのかも勉強したい。幸いなことに、大河ドラマが放映されると、一般向けの関連本が多数刊行される。

 せっかくなので、視聴者にはそのなかの1冊でもいいから、ぜひ読んでほしいものである。よりいっそう理解が深まり、ドラマが楽しめるはずである。ドラマを楽しむだけでなく、同時にドラマの舞台の勉強が重要なのだ。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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