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【深読み「鎌倉殿の13人」】菅田将暉さんが演じる源義経が登場。その怪しい前半生

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
源義経は、本当に美男子だったのか。(提供:アフロ)

 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」7回目では、最後の場面で菅田将暉さんが演じる源義経が登場した。義経には多くのエピソードが伝わっているが、それは史実とみなしてよいものなのか、深く掘り下げてみよう。

■源義経とは

 平治元年(1159)、源義経は義朝の九男として誕生した。九男ゆえに、仮名は「九郎」と称された。幼名は「牛若丸」である。母の常盤御前は、藤原呈子(近衛天皇の中宮)に仕えていた女官である。義経は、頼朝と腹違いの弟だった。

 同年、平治の乱が勃発すると、義経の父・義朝は尾張で殺害された。常盤御前は累が及ぶのを恐れて、今若(阿野全成:兄)と乙若(義円:兄)、そして義経を連れて大和国に逃亡した。しかし、のちに常盤御前は帰京し、一条長成と再婚した。

 今若と乙若は出家して僧侶となった。義経は鞍馬寺(京都市左京区)の覚日に預けられ、遮那王と名乗った。しかし、義経は僧となることを潔しとしなかった。その後、義経は鞍馬寺を飛び出し、奥州の藤原秀衡のもとを頼った。

 なお、元服後の義経という名前は、源氏の通字の「義」の字と源氏の遠祖である経基王の「経」を組み合わせたものであるといわれている。

 治承4年(1180)、兄の頼朝が「打倒平氏」の兵を挙げると、義経は佐藤継信・忠信兄弟らとともに馳せ参じたのである。

 義経の前半生をたどってきたが、実は不確かな点が多い。というのも、青少年期の義経を物語る史料は、『義経記』などの二次史料に限られるからである。

 それゆえ、義経にまつわる逸話や伝承も数多く後世に伝えられた。以下、そうした逸話や伝承を取り上げてみよう。

■義経は美男子だった!?

 大河ドラマでは、イケメンの菅田将暉さんが義経を演じているが、義経は美男子だったのだろうか。

 『源平盛衰記』には、色白で背が低く、容貌優美で物腰も優雅であると書かれており、『義経記』も楊貴妃や松浦佐用姫のごとく、美女のような容貌だったと記されている。

 一方、『平家物語』は逆の評価で、義経は色白で背の低い男で、出っ歯だったと書かれている。

 残念ながら今となってはどちらが正しいのか不明が、義経は判官びいきの影響もあって、後世に至っても『義経記』に描かれるような美男子だったと伝わったのだろう。

■弁慶との決闘

 義経と言えば、何といっても弁慶との決闘が有名であろう。弁慶は生涯が不詳の人物で、もとは比叡山で修行をしていたが、のちに出奔して弁慶と名乗ったという。

 弁慶は京都で1000本の刀を奪おうと決意し、通りすがりの武士に戦いを挑み、999本の刀を集めたという。

 ある日、弁慶は五条大橋で見事な刀を差した牛若丸と会った。弁慶は刀を奪い取ろうと襲い掛かるが、軽やかな牛若丸の動きに翻弄され、ついに降参して家来になった。

 しかし、これは後世の創作である。当時、まだ五条大橋は存在せず、2人が戦った場所は清水観音だったという(『義経紀』)。いずれにしても、これが史実だったとみなす根拠は薄弱である。

■義経はチンギス・ハーンになった!?

 文治5年(1189)、義経は奥州平泉で藤原泰衡の軍勢によって討たれた。その首は鎌倉に送られ、首実検が行われたのだから、史実とみなして差し支えないだろう。

 しかし、後世になって、義経はチンギス・ハーンになったという説が流布した。

 その発端となったのは、沢田源内が刊行した『金史別本』の日本語訳である。同書によると、清の乾隆帝の先祖は源義経だったと書かれている。

 明治時代になると、ジャーナリストの末松謙澄が「義経はチンギス・ハーンになった」と主張し、広く知られるようになった。

 しかし、この説は論じるのにも値しないような、まったく根拠のない虚構である。 

■むすび

 このように青少年期の義経は神秘のベールに包まれており、死後もおもしろおかしい話が伝わった。とはいえ、大河ドラマでは今後の動きが注目される。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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