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【深読み「鎌倉殿の13人」】源頼朝も油断ならないと感じた源氏の一族5人

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
源頼朝は、同じ源氏の一族を恐れていた?(写真:イメージマート)

 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」5回では、源頼朝が甲斐の武田信義には頼りたくないと言っていたが、信義は同じ源氏の一族である。今回は、源頼朝も油断ならないと感じた源氏の一族5人を取り上げることにしよう。

■源広綱(生没年不詳)

 源広綱は、摂津源氏の頼政の子として誕生し、のちに兄の仲綱の養子になった。摂津源氏は頼光を祖とし、摂津国多田荘(兵庫県川西市)に本拠を置いていた。

 治承4年(1180)に頼政・仲綱らが以仁王とともに打倒平氏の兵を挙げたが、無念にも失敗に終わり、3人とも討ち死にした。しかし、広綱は運良く、頼政の知行国だった伊豆にいたので生き永らえた。

 同年、頼朝が打倒平氏の兵を挙げると、広綱も出陣した。寿永3年(1184)には、頼朝の推挙によって従五位下・駿河守という破格の待遇を受けた。

 建久元年(1190)、広綱は頼朝の上洛に付き従ったが、関東下向時に突如として逐電し、そのまま出家した。逐電した理由は、駿河の国務に不満があったこと、頼朝の右近衛大将拝賀の供奉人に選ばれなかったからといわれている。

■源光長(?~1184)

 源光長は、美濃源氏の光信の子として誕生し、のちに在京し検非違使を務めた。美濃源氏は光信(諸説あり)を祖とし、美濃国土岐郡(岐阜県土岐市ほか)に本拠を置いていた。土岐氏を称することもあった。

 治承4年(1180)に以仁王が打倒平氏の兵を挙げると、光長は追捕すべく三条高倉邸に急行した。しかし、以仁王はすでに脱出していたので、残っていた王方の長谷部信連を討ち取った。

 寿永2年(1183)、光長は木曽義仲に従って入京するが、やがて義仲と後白河法皇の関係が悪化する。義仲が法住寺殿を襲撃すると、光長は後白河方に与して戦った。

 しかし、光長は子の光経ともども討ち死にし、五条河原に梟首されたのである。

■足利義兼(?~1199)

 足利義兼は、河内源氏の義康の子として誕生し、血縁的には源頼朝とは近かった。足利氏は、下野国足利荘(栃木県足利市)に本拠を置いていた。なお、藤原姓足利氏もいるので、注意が必要である。

 治承4年(1180)に頼朝が打倒平氏の兵を挙げると、義兼も従った。平氏との戦いでは、範頼(頼朝の弟)とともに西国へ出陣し、大いに軍功を挙げた。妻は、北条時政の娘である。

 以後、義兼は上総介、遠江守を歴任し、足利荘を頼朝から与えられた。足利荘は源平の争乱時に平氏方に与して滅亡した、足利俊綱・忠綱(藤原姓足利氏)がかつて領していた。これにより義兼は、下野国に確固たる地位を築いた。

■武田信義(1128~86)

 武田信義は、甲斐源氏の清光の子として誕生した。甲斐源氏は義光を祖とする河内源氏の庶流であり、常陸国武田郷(茨城県ひたちなか市)に本拠を置いていた。

 治承4年(1180)に頼朝が打倒平氏の兵を挙げると、信濃国内の平氏を討ち取った。その後、頼朝の軍勢に合流すると、富士川の戦いで平氏を奇襲して敗走させた。

 養和元年(1181)、信義は頼朝から謀反の嫌疑を掛けられ、嫡男の一条忠頼が殺害された。信義は生き永らえたものの、不遇のうちに生涯を終えたのである。

■平賀義信(1143~?)

 平賀義信は、河内源氏の盛義の子として誕生した。盛義は、源義光の四男である。平賀氏は、信濃国平賀郷(長野県佐久市)に本拠を置いていた。

 治承4年(1180)に頼朝が打倒平氏の兵を挙げると、義信も応じた。元暦元年(1184)、義信は武蔵守に推挙され、子の大内惟義は伊賀国守護に任じられた。その翌年、惟義は相模守にもなった。

 頼朝は義信を重用し、その地位は源氏門葉として御家人筆頭だった。頼朝の弟・範頼、舅の北条時政よりも上だった。源義朝が元服した際、義信は烏帽子役を務めたほどである。

■むすび

 もちろん頼朝と同じ源氏の一族は、これだけではなかった。厚遇された者から冷遇された者まで、その待遇はさまざまである。今後、ドラマに出る人もいるだろうから、要注目である。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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