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【戦国こぼれ話】北条氏の滅亡後、豊臣秀吉はなぜ村から牢人(浪人)を追い出したのか

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
戦国時代の牢人は、住むところすらなかった。(写真:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

 暮れも押し迫ってきたが、ホームレスの生活が厳しいという。

 実は北条氏の滅亡後、豊臣秀吉は村から牢人(浪人)を追い出した。これではホームレスだ。その理由を考えることにしよう。

■村から追放された牢人(浪人)

 北条氏滅亡から約5ヶ月後の天正18年(1590)12月、秀吉は牢人を村から追放するように命じた(『平野荘郷記』下)。いわゆる牢人停止令である。

 この法令は、北近江の蔵入地に発せられたものであるが、実際は全国的な基本政策として捉えられている。その影響力は計り知れないものがあった。

 この法令の主要部分を現代語訳して列挙すると、次のようになる。

①主人を持たず、田畠を耕さないような侍(牢人)は村から追放せよ。

②もともと職人・商人の経験がある侍(牢人)なら、田畠を耕さずとも追放としない。しかし、この法令発布後、主人を持たず田畠を耕さないような侍(牢人)が、急に職人・商人であるといっても認めない(牢人の村からの追放)。

③主人のある奉公人は別として、農民は武具類の所持を調査し、これを没収することとする(牢人も武具を没収される)。

 このように、主人持ちの奉公人身分でもなく、農民、職人、商人にも属さない牢人は村から追放されるか、武具累を取り上げられるか(実質的に武士身分を失う)、という苦境に立たされた。

■牢人が苦境に追い込まれた理由

 牢人たちは主人持ちの奉公人になるか、または農民となるか二者択一を迫られたわけであるが、その理由はいかなるところにあったのか。

 むろん身分の固定化ということも重要な理由であるが、そこには現実的な問題があった。

 こうした牢人停止令は、すでに天正11年(1583)にも京都で秀吉によって発布されていた。

 牢人が停止された理由は、牢人が町人に対して「非分・狼藉」を行うからだった。

 おそらく村落においても、そうした行為があったと考えられる。

 牢人は歓迎されない存在だったことを確認することができよう。

■徹底した牢人取締り

 牢人たちにとってショッキングだったのは、天正19年(1591)8月に牢人取締令が秀吉により再び発せられたことだ。

 次に、その内容を確認しておこう(「小早川家文書」など)。

①奉公人、侍・中間・小者・あらしこ(中間以下は、身分が低い武士身分の者)に至るまで、去る7月の奥州出勢以後、新たに町人、百姓になる者があれば、町人・地下人が禁止し、一切認めてはならない。(後略)

②(前略)奉公することもなく、田畠を耕作しない者は、代官・給人(知行地を与えられた人)が禁止し、一切認めてはならない。(後略)

③侍・小者にかかわらず、主人に断りもなく奉公先を変えるものについては、一切雇ってはならない。(後略)

 この法令は、明らかに身分が安定しない牢人を取り締まる法令だった。

 ③は奉公人が新しい主人に仕えていたことを意味しているが、当時は無断で主人を変えることは禁止されていた。

■牢人取締りの意義

 秀吉による牢人取締令には、どのような意義があったのだろうか。一つは、治安維持・社会秩序の安定ということである。

 合戦がなくなって牢人が増加し、都市へ流入する例が多数見られた。

 当時、これは社会問題となり、牢人の都市からの追放、農民の都市への流入阻止、そして奉公人と主人との揉め事を阻止することが重要な課題となった。

 これは、牢人が不穏分子として捉えられていたことを示している。

 もう一つは、秀吉は文禄元年(1592)に朝鮮半島に侵攻(文禄・慶長の役)を開始したことだ。

 秀吉は農民を土地に縛り付けて、確実に年貢・兵粮を徴収し、同時に牢人を朝鮮出兵に動員しようとした。

 各大名には軍役の負担が課せられたが、それだけでは兵力が足りなかったので、身分を固定化しようとしたのだ。

 この説は朝鮮出兵を企図した、時限立法説として考えられている。

■まとめ

 いずれにしても、百姓が他所に移ることを禁じ、牢人・百姓が都市に流入して秩序を乱すことを恐れたという点ではほぼ一致しているといえるかもしれない。

 一方で、牢人の不満を何とかそらす必要があり、それが朝鮮出兵の年貢・兵粮の確保や兵卒の確保につながったことは否定できない。

 秀吉による牢人統制の意図は極めて複雑なものであり、こうした複合的な理由を想定してよいであろう。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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