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【戦国こぼれ話】大坂夏の陣後、逃亡したが捕まり、悲惨な最期を迎えた豊臣方の人々4選

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
大坂夏の陣後、逃亡した豊臣方の武将は、ことごとく捕縛された。(提供:イメージマート)

 日産自動車元会長のカルロス・ゴーン被告が日本からの逃亡を決断したのは、実行の4日前だとの報道があった。

 ところで、慶長20年(1615)5月の大坂夏の陣で豊臣方は敗北を喫し、味方した武将らは逃亡した。その行く末はどうなったのだろうか。

 大坂夏の陣で勝利した徳川家康は、逃亡した豊臣方の諸将を探索した。「落人狩り」である。それは容赦のないもので、徹底して行われた。

■長宗我部盛親(1575~1615)

 長宗我部盛親は豊臣方が勝利すれば、土佐一国を与えられる予定だったが、敗北を喫したため逃亡した。

 5月7日に戦線を離脱した盛親は、11日に山城国八幡(京都府八幡市)で捕縛された(『駿府記』)。

 盛親を捕らえたのは、蜂須賀至鎮の従者だった。盛親は二条城に連行され、そこで大勢の見物人の目に晒された。

 そして、15日に六条河原で処刑され、三条河原で晒し首にされたのだ。

 盛親の首は蓮光寺(京都市下京区)で埋葬され、のちに供養塔が建てられた。

 また同時に、ほかの大坂方の残党も捕らえられ、処刑後は首が粟田口や東寺で晒されたという。

■大野治胤(?~1615)

 5月23日、大野治胤(治長の弟)は京都で捕らえられた(『孝亮宿禰日次記』)。

 捕らえられた日にちは、5月20日という説(『駿府記』)、21日という説(『譜牒余録』)がある。

 治胤を捕らえた野間金三郎と小林田兵衛は、褒美として治胤の指していた大小の刀を与えられた。

 治胤の最大の罪状は、大坂夏の陣で堺(大阪府堺市)を焼き討ちにしたことだった。

 そこで、幕府は堺奉行の長谷川藤廣に命じて、わざわざ堺で処刑したのだ(『駿府記』)。

 治胤の処刑の方法は、堺を焼き払った見せしめということで、火あぶりの刑に処された(「中山文書」)。

■細川興秋(1583~1615)

 細川興秋(忠興の次男)は、慶長10年(1605)10月に江戸へ人質として向かう途中、にわかに逃亡し牢人となった人物である(『細川家記』)。

 その後の動向は不明だったが、大坂の陣の開戦と同時に豊臣方に身を投じた。

 豊臣方の敗戦後、興秋は伏見(京都市伏見区)に潜伏していたという。

 家康は興秋の罪は重いが、忠興の多年にわたる功績によって、その罪を許そうとした。

 にもかかわらず、忠興は興秋に切腹を申し付けた。こうして興秋は、山城国東林院(京都市右京区)で自害したのである。

■文英清韓(1568~1621)

 方広寺鐘銘事件にかかわった文英清韓は、5月18日に板倉勝重に捕らえられた(『本光国師日記』)。

 大坂城で亡くなったように思われていたが、実は脱出に成功していたのだ。

 勝重は京都所司代という役職との関係上、京都で宿借りの手形の確認作業を行っていた。

 その際、文英清韓の伯父である允首座は、文英清韓の書籍を譲り受けたと称して保管していた。

 允首座は東福寺へ移されるなどしたが、のちに文英清韓は身柄を拘束された。

 実は、勝重の指示のもと、京都市中の町のものが手分けして、文英清韓の行方を探索していたのである。

 文英清韓が捕らえられるとともに、匿った町人も身柄を拘束された。

 その後、文英清韓の書籍が五山(天龍寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺)の中にもないか捜索が続けられた。

 その追及は、武家伝奏を通じて朝廷にも及んだといわれている。

 やがて、文英清韓は病になったが、完治すると同時に駿府に移されることになった。

 文英清韓は遠隔地への流罪を懸念していたようであるが、そこまでの厳しい処分には至らず、しばらくは拘禁生活が続いた(「中尾文書」)。

 文英清韓が亡くなったのは、元和7年(1621)3月25日のことであった(『時慶卿記』)。

■まとめ

 大坂の陣終結後も豊臣方の生き残った人々は、厳しい追及にあった。

 そして、ほとんどの場合は捕縛され、死を命じられたのである。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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