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「ドン・フランシスコ」と名乗った武将は? 名前を変え過ぎた戦国大名4選

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
上杉謙信は、生涯で何度か改名している。(提供:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

 戦国大名は、生涯のうちに何度か名前を変えることがある。あの徳川家康でさえも、若い頃の名前は元信、元康だった。

 名前を変える理由は、主が変わって名前の一字を与えられるなどさまざまである。ここでは、名前を変え過ぎた大名を取り上げることにしよう。

 なお、今回は幼名、仮名、法名なども含めて考えることにする。

■立花宗茂(1567~1643)

用いた名前:吉弘千熊丸・高橋彌七郎・高橋統虎・戸次統虎・立花鎮虎(以下、立花)・宗虎・正成・親成・尚政・俊正・経正・信正・宗茂・立斎

 宗茂の父・吉弘鎮理(大友氏の家臣)は高橋氏の名跡を継ぎ、高橋鎮種(紹運)と名乗ったので、宗茂の苗字も高橋に変わった。

 天正9年(1581)、宗茂は大友氏の家臣・戸次鑑種(立花道雪)の娘・誾千代を娶って婿入りし、「戸次」を苗字とした。翌年、宗茂は立花氏の名跡を継いだ。

 宗茂は「統虎」を振り出しにして、何度も名前を変えるが、その理由は判然としない。慶長5年(1600)の関ヶ原合戦の敗戦後も、たびたび改名する。「宗茂」という名前は、晩年のものである。

 最終的に宗茂に落ち着いたのは、慶長15年(1610)である。寛永15年(1638)に出家して「立斎」と号した。

■大友義鎮(1530~87)

用いた名前:塩法師丸、五郎、新太郎、義鎮、宗麟、宗滴、、円斎、府蘭、休庵玄斎、三玄斎、三非斎、ドン・フランシスコ

 キリシタン大名・大友義鎮の「義」の字は、大友氏代々の通り字である。永禄6年(1562)、義鎮は門司城の戦いで毛利氏に敗北し、出家して「休庵宗麟」と号した。もともと義鎮は、臨済宗を信仰する仏教徒だった。

 遡る天文20年(1551)、イエズス会の宣教師ザビエルが布教のために豊後を訪ねると、義鎮はキリスト教に関心を示した。

 義鎮が洗礼を受けたのは天正6年(1578)のことで、宣教師のフランシスコ・カブラルから「ドン・フランシスコ」という洗礼名を与えられた。

 以後、義鎮は書状などで、「府蘭」という書名を用いた。「三非斎」「宗滴」などは別号である。このように義鎮は、和洋両方の名前を用いていたのである。

■上杉謙信(1530~78)

用いた名前:長尾虎千代(以下、長尾)・平三・景虎・政虎・上杉正成(以下、上杉)・輝虎・宗心・不識庵謙信

 長尾為景の次男として誕生した謙信は、天文12年(1543)に元服して「景虎」と名乗った。「景」の字は、長尾氏の通り字である。

 永禄4年(1561)閏3月、上杉憲政の要請により、山内上杉家の家督と関東管領職を継承し、「上杉政虎」と名を改めた。同年12月、室町将軍・足利義輝から偏諱を与えられ、「輝虎」と改名した。

 元亀元年(1570)12月に「不識庵謙信」と号したのである。謙信はときの政治権力とのかかわりから、名字や名前を変えた好例と言える。

■有馬晴信(1567~1612)

用いた名前:十郎、鎮純、鎮貴、久賢、正純、ドン・プロタジオ、晴信

 晴信は、同じ肥前の武将・龍造寺隆信の攻勢にさらされたので、豊後の大友義鎮(宗麟)を頼った。

 それゆえ、天正7年(1579)頃に元服した際に「鎮純」と名乗り、翌年には「鎮貴」と改名している。「鎮」の字は、義鎮から与えられたものだ。

 天正8年(1580)、晴信はキリスト教に入信し、イエズス会のヴァリニャーノから「ドン・プロタジオ」という洗礼名を授けられた。

 これは、龍造寺氏に対抗すべく、イエズス会から武器、食糧、弾薬の提供を受けていたことも影響している。

 天正12年(1584)に島津義久と協力して龍造寺氏を滅ぼすと、翌年には義久から偏諱を与えられ、再び「久賢」と改名したのである。

■まとめ

 以上のように、各大名はときの政治情勢や宗教上の理由から、たびたび改名した。個人的には本を書く際などに混乱してしまうので、「あまり変えてほしくなかった」というのが本音である。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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