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【中世こぼれ話】栄耀栄華を極めた足利義満は天皇位を狙い、その挙句に世阿弥に殺されたのだろうか

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
足利義満は、世阿弥によって暗殺されたというが、それは事実なのだろうか。(提供:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

 スペインの北朝鮮大使館を襲撃したとされる韓国系米国人クリストファー・アン被告は、「米国を離れれば北朝鮮に殺される」と証言した。暗殺だ。室町幕府3代将軍の足利義満も暗殺されたというが、それは事実なのだろうか。

■足利義満の皇位簒奪

 足利義満は室町幕府の3代将軍を務め、幕府の基盤を作った人物である。もし、義満が天皇になるという野望を持っていたとしたら、皆さんはどう思われるのだろうか。

 永徳3年(1383)、義満は源氏長者、淳和・奨学両別当に加え、准三宮宣下を受けるなど、幕府だけでなく朝廷内部においても、絶大な権力を獲得することになった。

 義満は天皇の霊柩の輿を担ぐ八瀬童子を勝手に動員し、比叡山参詣を果たすなどしたので、それは天皇権力への挑戦と指摘された。また、義満は後円融上皇の夫人らと密通を重ねたといわれているが、後円融は義満に手出しをすることができなかった。もはや立場は大きく逆転していたのだ。

 義満は次々と天皇や公家に対して、揺さぶりをかけた。後円融の死後、義満は武家の人事権(幕府内の人事や守護の人事)に加え、朝廷の人事権を剥奪することで、公武を統一した絶大な権力を握ることになったという。

 さらに、義満は自分の子や娘を門跡寺院へ次々と押し込んだ。通常、門跡寺院には、皇家の子が入るので、これも天皇家への大きな圧迫となったといえよう。

 義満は、予言でさえも利用した。預言書の『野馬台詩』には、天皇家は100代で終わると予言されていた。ちょうど100代目にあたるのが、後円融だった。この予言詩を信じる人にとっては、誠に恐ろしい内容が記されていたのだ。ここに来て、義満の皇位簒奪の野望は、ますます現実味を帯びることになる。

 ところが、義満は不幸にして、応永15年(1408)に志半ばにして死を迎えた。死因は、風邪であるとも、流行病であったともいわれている。一方、後述するように、暗殺説があるくらいだ。

■義満は暗殺されたのか

 足利義満の権力が天皇を超えようとしていたことは、誰の目にも明らかだったという。義満は亡くなったものの、それまでは健康に不安もなく、ピンピンしていた。しかも、その死に際しては、遺言を残していない点など、不可解な点が数多く見られる。

 つまり、義満の死は自然死というよりも、別の角度から検証を進める必要があると考えられた。それは、義満が暗殺されたということだ。以下、義満暗殺説を検討してみよう。

 義満は後継者として、義嗣を据えようと考えていた。周知のとおり、義満の次の将軍は義持である。義嗣は、義持の異母弟だった。あるとき、義満が後小松を北山第に招き、杯を酌み交わした際、義嗣に天盃を与えた。

 当時、義嗣は元服しておらず、天盃を与えられるのは、異例中の異例だった。このことにより、義嗣は周囲から義満の後継者とみなされたという。

 さらに驚嘆すべき事実がある。義嗣は元服に際し、宮中で親王の格式に準じて儀式を執り行った。その夜の小除目で、義嗣は従三位・参議に任じられたのだ。

 皇族でない義嗣が立太子の礼により元服したことは、朝廷にも大きな衝撃を与えた。やがては、義嗣が皇太子から天皇になり、義満が上皇になる可能性があったからだ。

 そこで、朝廷では義満を阻止するため、暗殺計画を立てた。その中心人物は、内大臣の二条満基であった。満基は良基の孫であり、その縁で世阿弥と親しくしていた。世阿弥は、義満とも親交が深い人物でもある。この複雑な人間関係を考慮すれば、満基が黒幕であり、実行犯が世阿弥であると考えられたのだ。

 その暗殺方法は毒を盛って、ゆっくりと死に至らしめる方法である。これなら気付かれにくい。のちに、世阿弥は6代将軍義教によって、佐渡に配流されている。おそらく義教は、世阿弥が義満を暗殺したことに気付いたと指摘されている。

■ありえない皇位簒奪と暗殺

 実は、義満が皇位簒奪を目論んだこと、暗殺されたことについては、史実を物語る決定的な証拠がない。しかし、状況証拠で固めてみれば、確実であると主張されている。史料だけに頼っては、真の歴史を知ることはできないので、固定観念を払拭することが必要だと力説する向きもある。

 しかし、歴史研究の根本は史料である。史料という証拠なくして、むやみに義満が皇位簒奪を目論んだとか、暗殺されたなどの説を信じるわけにはいかない。したがって、上記の説はいったん注目されたものの、現在では疑問視されているのである。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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