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【中世こぼれ話】皇位継承の証である三種の神器。見てしまった者は、神慮により天罰を受けたという話

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
三種の神器は、決して見てはいけないものだった。(提供:ankomando/イメージマート)

 丸政「新宿弁当」は、鮭の味噌焼き、八ヶ岳高原の玉子焼き、蒲鉾の正統派の「三種の神器」が入った幕の内で評判だという。弁当は見て味わって楽しめるが、「三種の神器」は見てはいけないものだった。その事例を検証しよう。

■平氏一門の都落ち

 寿永2年(1183)、平氏一門は安徳天皇(清盛の娘徳子と高倉天皇の第一皇子)と三種の神器を奉じて、西海へと落ち延びていった。平氏を追い詰めたのは、源頼朝である。平氏一門が安徳と三種の神器を奉じたのは、その権威に頼ろうとしたからである。

 しかし、その後の平氏の戦いは芳しくなく、文治元年(1185)に壇の浦(山口県下関市)で決戦を迎えることとなった。ここでも平氏の敗勢は濃く、いよいよ敗北という段になった。

 なお、三種の神器は皇位継承の証であり、大変貴重だったので、決して見てはならないものだった。

■海中に沈んだ三種の神器

 「もはやこれまで」と覚悟を決めた二位尼(清盛妻・平時子)は、帯で安徳天皇をわが身に縛り、宝剣を腰に差し、神璽を脇に挟んで海中に飛び込んだ(『源平盛衰記』)。そのとき、神鏡は身に付けていなかったようである。

 宝剣を腰に差したというのは文学的な言辞であって、実際には箱の中から取り出していないと考えられる。二位尼のような立場になれば、「三種の神器を見てはいけない」ということを理解していたであろう。二位尼が宝剣と神璽を身に付けたのには、二つの理由が考えられる。

 一つは、たとえあの世に行っても、安徳こそが天皇であって欲しいという願いである。もう一つは、それと裏返しになるが、皇位継承の証である三種の神器を決して後鳥羽天皇に渡さない、という強い決意である。問題は、このあとである。

■三種の神器を見た武士たち

 二位尼と安徳が海中深く沈むと、源氏の武士は先帝(安徳天皇)の船に乱入して、大きな唐櫃の鎖を引きちぎった。その中から箱を取り出し、結ばれている紐を解き、箱を開けようとしたのである。箱の中には神鏡が入っていたのだが、武士たちがそこまで意識していたかはわからない。

 ところが、箱を開けると、武士たちの目はたちまち眩み、鼻血がだらだらと流れ出したのである。その様子を見た平時忠(二位尼の弟)は、「それは内侍所(神鏡)の箱である。狼藉ではないか」と叫んだ。この言葉を聞いた源義経は、武士らを制止し、神鏡の入った箱を唐櫃に納めたという。

 義経は、神鏡のことを理解していたに違いない。なお、義経は今後の政局のこともあって、頼朝から三種の神器の確保を厳重に命令されていた。

 「目が眩む」「鼻血が出る」というのは、いわゆる神慮であり、天罰が下った証拠であった。当時の記録類を見ると、神慮により天罰を受けて、鼻血が流れ出たという記述が散見される。武士たちは、見てはならないもの(三種の神器)を見てしまったので、天罰が下ったのである。

■『平家物語』、『吾妻鏡』の記述

 『平家物語』では、少し話が違っている。時忠が「あれは内侍所(神鏡)の箱である。凡夫(一般の人)は見てはいけないものである」と叫んでおり、後段の記述が異なっている。そして、「兵ども舌を振って恐れおののく」とあるように、唐櫃を開けようとした源氏の武士らは、時忠の言葉でことの重大さを悟った。

 つまり、源氏の武士らは、内侍所(神鏡)の意味を知っていた可能性がある。彼らは、「天罰が下される」と感じたので、恐れおののいたのであろう。

 『吾妻鏡』にも、同様の話が伝わっている。安徳天皇・二位尼が海中に沈むと、源氏の武士は安徳らの乗っていた船に乗り移り、賢所(神鏡)の箱を開こうとした。すると、たちまち武士らの両目が眩み、心身虚脱状態に陥ったという。

 ここでも、平時忠が制止を加え、源氏の武士を退去させた。両目が眩んだという点については、『源平盛衰記』の記述と共通する。いずれにしても、神鏡は寸前のところで、源氏の武士による実見が叶わなかったのだ。

 しかし、京都青蓮院の『覚書』には、ある武士が璽の箱が海上に浮かんでいるのを拾い上げ、「何物か知らず」中を見たというのである。箱は上下に分かれていて、「珠玉」が各4個(計8個)入っていたという。この武士には、「鼻血が出る」などの神秘現象は起こらなかったようである。

■信じがたい話

 神鏡を見ようとして、「目が眩んだ」「鼻血が止まらなくなった」あるいは「心身虚脱状態になった」という話はにわかには信じがたく、真偽の程は謎としか言いようがない。しかし、平安末期の時点において、三種の神器は尊重されていた。それゆえ見た者は、天罰を受けたのである。

 源氏の武士たちにとって、唐櫃の中身は略奪の対象にしか過ぎなかったかもしれないが、三種の神器への無礼な振る舞いは、先のような奇怪な現象によって阻まれたのである。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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