【戦国こぼれ話】明智光秀が本能寺で討とうとしたのは織田信長ではなく、徳川家康だったのか

徳川家康は本能寺で討たれる計画だったというが、事実なのだろうか。(写真:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

 5月8日(土)に放映されたTBS「世界ふしぎ発見」(本能寺の変 解き明かされる新たな真実)をおもしろく拝見した。明智光秀が本能寺で討とうとしたのは織田信長ではなく、徳川家康だったという説だ。以下、この説を考えてみることにしよう。

■徳川家康は本能寺で討たれる計画だったのか

 番組でも取り上げられていたとおり、明智光秀はもともと本能寺で織田信長を討つのではなく、徳川家康を討伐する計画だったとの説がある。信長が本能寺に滞在中、家康も合流する予定だったのはその証左だという。

 この事実は、フロイスの『日本史』にも書かれている。日本側の史料でも、寛永17年(1640)に成立した『本城惣右衛門覚書』に同趣旨のことが記されている。

 しかし、近年の研究によると、『本城惣右衛門覚書』の文中の「家康を討つ」と解釈したのは誤りで、「家康の援軍に行く」というのが正しいとされている。いずれにしても、『本城惣右衛門覚書』は本能寺の変から約60年後に成立したので、慎重な検討が必要である。

 日本側のたしかな史料には、「信長と家康の関係が悪かった」とか、「信長が家康を討とうとした」などと書かれたものはないので、にわかに上記の説を正しいとするのには躊躇する。以下、信長と家康との関係について考えてみよう。

■信長と家康の関係

 当初、織田信長と徳川家康の関係は対等だったと指摘されている。信長が家康に軍事援助を求める際は、将軍・足利義昭を介する必要があった。家康は、義昭と直接コンタクトできる関係にあったからだ。したがって、家康は義昭の命を優先し、信長の意向はそれよりも優先度が落ちたという。

 もともと信長と家康が結んだ同盟とは、単なる領土画定の同盟に止まっており、軍事同盟までは含まれていなかったと指摘されている。それゆえ、両者の関係は対等だったのだ。

 天正元年(1573)に足利義昭が信長によって京都を追放されると、これまでの両者の対等な関係は変化し、家康は信長の臣下へと立場が変わったという。以降、家康は信長に従属を余儀なくされたのである。

 信長は天正3年(1573)の長篠の戦いで、家康に国衆の一人として先陣を命じた(『信長公記』)。信長は家康を国衆と認識しての出陣命令なので、信長の配下にあったのは確実である。

 天正10年(1582)3月に信長が武田氏討伐を開始した際、家康に駿河口の大将を任せた(『信長公記』)。これも家康が信長の配下にあったからであり、従わざるを得なかった。結果、家康は信長から駿河国を与えられたが、それは両者の主従関係を示すものだった。2人の協力関係は、堅固なものがあったといえよう。

■理解に苦しむ家康討伐計画

 このように信長と家康の関係は実に緊密なものと指摘されているが、信長が家康を討つ理由があったのだろうか。信長が家康を討つとするならば、そこには何らかのメリットがなくてはならない。

 冷静に考えてみると、信長が家康を討つことには、何らメリットがないように思える。この点をもう少し考えてみよう。

 まず、いったん光秀が京都から居城の亀山城(京都府亀岡市)に帰城し、そこからわざわざ戻って、本能寺で家康を討つというのも不可解である。そのまま光秀が京都に滞在していれば、もっとも合理的である。

 あるいは、天正10年(1582)に家康は駿河拝領のお礼のために安土城(滋賀県近江八幡市)に招かれ、光秀が饗応役を担当したのだから、安土で討てばいいだけの話である。安土には信長の家臣が集住しており、かえって好都合だったように思える。

 仮に、信長、光秀が家康の討伐に成功しても、家康の子は健在であり、三河・遠江・駿河の徳川勢がすぐに降参するとは思えない。かえって彼らから激しく抵抗されると、すでに信長は毛利氏、長宗我部氏、上杉氏と交戦しており、さらに敵が増えるのだから、大きなデメリットになるのは間違いない。

■利用価値があった家康

 番組では紹介されていなかったが、武田氏の滅亡後、信長は家康が用済みになったために討とうとしたという説がある。しかし、にわかに賛同し難い。信長に敵対する越後の上杉氏や関東に覇権を築いた北条氏は、なかなか強力な相手だった。

 さらに、その後さらに日本各地の平定を進めるならば、東北の諸大名などの対策も視野に入るだろう。そうなると、家康の利用価値は十分にあったと考えられる。

 つまり、家康は信長が領土拡大戦争を行ううえで貴重な戦力であったといえ、信長が家康を討つ積極的な理由が見当たらない。かえって今後のことを考えると、家康を討つことは、信長にとってデメリットのほうが大きい。したがって、大変おもしろい説ではあるが、さらに検討が必要ではないかと考える。