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【先取り「鎌倉殿の13人」】「当国の豪傑」と称され、源頼朝を支えた北条時政の哀れな末路

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
北条時政は源頼朝を支え、鎌倉幕府草創期の功労者だった。(提供:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

 2022年に放映される「鎌倉殿の13人」は、少しずつ出演者が発表され、多くの人が関心を寄せている。なかでも鎌倉幕府設立の立役者である北条時政は注目される存在だが、いかなる人物なのか。

 私が子供の頃に見た「草燃える」(1979年)では、金田龍之介さん(1928~2009)が時政を好演し、大変好評だった。今回、演じるのは、歌舞伎役者の坂東彌十郎さんだ。

■北条時政と源頼朝

 保延4年(1138)、北条時政は伊豆国の在庁官人である時方の子として誕生した。母は、伴為房の娘である。当時、武士は着実に力をつけており、まさしく世に出ようとする時代でもあった。

 時政の運命を切り開いたのは、源頼朝である。永暦元年(1160)、平治の乱で敗れ、囚われの身となった頼朝は、伊豆に流された。頼朝は伊豆で時政の娘・政子と出会い、駆け落ちして結ばれた。こうして、時政は頼朝に従うようになったのである。

 治承4年(1180)、頼朝と時政は以仁王から「打倒平氏」の令旨を受け取り、石橋山で平氏方の大庭景親と戦うが、敗北。時政は子の宗時を討たれて甲斐に逃亡し、頼朝は安房に敗走した。

 甲斐に逃れた時政は、甲斐源氏の武田信義を味方に引き入れ、頼朝とともに富士川の戦いで平氏軍を撃破した。この戦いの勝利により、時政と頼朝の運が切り開かれたのだ。

■平氏滅亡後の時政

 富士川の戦い後、頼朝は戦いを有利に進め、文治元年(1185)3月の壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼした。にもかかわらず、頼朝は弟の義経と対立し、抜き差しならぬ状況に陥った。

 同年、義経は朝廷から頼朝追討の宣旨を与えられた。この事態に対処すべく、頼朝は代官として舅の時政を京都に送り込んだ。時政が大軍を率いて上洛すると、朝廷は直ちに態度を豹変し、頼朝に義経追討の宣旨を与えた。これにより、頼朝は義経を討つ根拠を得たのである。

 それだけではない。時政は朝廷と交渉し、諸国、荘園に守護、地頭を置くこと、加えて兵糧米を徴収することを朝廷に認めさせたのだ。現在では、この年に鎌倉幕府が成立したとの説が有力である。

 さらに、時政は朝廷政治の刷新を進めるべく、後白河法皇の近臣を更迭し、幕府が推す九条兼実を関白に据えることに成功した。

 その後、頼朝の代官である一条能保が上洛したので、時政はその任を解かれ、鎌倉へと戻った。京都の警備は、時政の甥の時定が任命された。時政は、伊豆、駿河の守護になったのである。

■頼朝死後の時政

 建久3年(1192)、頼朝と政子の間に実朝が誕生すると、時政は誕生の儀式を担当して存在感を示した。しかし、7年後の正治元年(1199)1月、頼朝が落馬して亡くなった。

 頼朝の死後、時政は政子とともに、2代将軍の頼家を守り立てた。建仁3年(1203)、時政は政所別当、初代執権に就任し、将軍頼家の権限削減に成功した。

 さらに、時政は頼家の後見をするだけでなく、幕府政治に御家人の意見を取り入れるようにした。こうして時政は、御家人から支持されたのである。

■失脚した時政

 時政が権勢を誇るようになると、頼家の外戚の比企能員と対立するようになった。建仁3年(1203)、時政は将軍の座を実朝(頼家の弟)に譲ろうと画策した。

 この計画を知った能員は、頼家とともに時政打倒の兵を挙げようと計画した。しかし、この陰謀は政子の耳に入り、能員は時政の館で殺害され、やがて比企一族は滅亡した。

 勢いを得た時政は、元久2年(1205)に娘婿の平賀朝雅を新将軍に擁立して失敗する。結局、政子らによって、幕府から追放され、伊豆で余生を過ごしたのである。亡くなったのは、建保3年(1215)である。

 草創期の鎌倉幕府を守り立てた北条時政は、ドラマのキーマンになると予想される。坂東彌十郎さんがどのように時政を演じるのか、今から楽しみでならない。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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