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【戦国こぼれ話】さらば!「麒麟がくる」。今日は総集編の放送。でも、最後に言わせてほしい疑問点の数々

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
(提供:アフロ)

 今日は、大河ドラマ「麒麟がくる」の総集編が放送。新たに「青天を衝く」が放送されたので、もう関心を持つ人は少ないかもしれない。でも、最後に言わせてほしいということで、いろいろと疑問点を書いてみた。

■明智光秀は土岐氏の出身なのか

 明智光秀といえば、天正10年(1582)6月の本能寺の変を起こす直前、京都の愛宕神社で「ときは今 天が下しる(「天が下なる」という説も) 五月哉」という発句を詠んだ。通説によると、「土岐氏が今天下を取る5月だ」と解されている。

 明智氏は、土岐氏の庶流である土岐明智氏の流れを汲むという。光秀が土岐明智氏だったことを示すのは、「土岐系図」などが根拠である。しかし、それら系図を見ると、光秀の父の名前が一致しないことに気付く(「光綱」「光国など」)。

 それだけではない。光秀の父は、当時のたしかな史料には一切登場しないのである。ちなみに、ドラマの中で光秀の後見として活躍した叔父の光安も同じである。光安のことは、「明智氏一族宮城家相伝系図書」に「明智家後見」と書かれているにすぎない。

 「明智氏一族宮城家相伝系図書」によると、光秀は進士信周の次男(妻は明智光綱の妹)だったという。しかし、光綱には後継ぎとなる子がなかったので、光秀を養子に迎えたという。

 実は、光秀に関する系図を見ると、父の名前ばかりか、母の名前もバラバラである。つまり、光秀の来歴を示す史料は、いずれが正しいか判然とせず、土岐氏の庶流であったとの確証はない。

 ちなみに「若州観跡録」には、光秀が若狭小浜の刀鍛冶・冬広の次男だったと書いている。この説などは、荒唐無稽な説として、退けるべきだろう。

 結論を言えば、光秀が土岐明智氏の出身だったとの確実な根拠がないので、土岐明智氏の流れを汲むとは言い難い。出生地や父母についても諸説あり、いずれも後世の編纂物である系図や地誌に書かれたもので、まったく信が置けないのである。

■光秀は斎藤道三に仕えていたのか

 ドラマの中で重要な役割を果たしていたのは、「美濃のマムシ」と恐れられた斎藤道三である。若き頃の光秀は、斎藤道三に仕えていたというが、こちらは事実なのだろうか。

 結論を端的に言えば、光秀が道三に仕えていたことを示す確実な史料はない。

 「明智系図」(鈴木叢書)によると、光秀は美濃の多羅尾城(岐阜県大垣市)で誕生したという。幼い頃、光秀は道三と面会した。光秀は万人の将となる人相をしており、成長後は期待に違わず、文武に秀でて槍や長刀の名手だったと記されている。

 弘治2年(1556)4月、道三は子の義龍と戦い戦死した(長良川の戦い)。その5ヵ月後の弘治2年(1556)9月、明智城(多羅尾城)が落城し、光秀は牢人となったというが、明智城落城の事実を裏付ける史料はなく、落城した経緯なども不明である。

 斎藤道三の関係史料を探しても、光秀が仕えていたことを示す史料は、1点もないことがわかっている。したがって、光秀が道三に仕えていたと考えるのは早計だろう。

■光秀は越前にはいた

 光秀のことを記す同念『遊行三十一組 京畿御修行記』は、天正8年(1580)に成立。天正6年(1578)7月1日に伊豆下田を出発し、天正8年(1580)3月に大和当麻寺に至るまでの紀行文である。

 『遊行三十一組 京畿御修行記』には、光秀が越前朝倉氏を頼り、長崎称念寺(福井県坂井市)の門前で10年暮らしていたことを書いている。これは、実際に同念が現地であっているのだから、光秀が越前にいたことは認めざるを得ない。

 ただし、光秀が土岐一家の牢人だったこと、長崎称念寺の門前に住んだのは事実としても、10年という期間住んでいたことは、裏付け史料がないので慎重になるべきだろう。

■野暮とは知りつつ

 「大河ドラマはフィクションなんだから」という声が聞こえてきそうだが、もちろんその通りである。とはいえ、せっかくの機会なので、研究上の疑問があることもぜひ知っていただきたいものである。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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