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【「麒麟がくる」コラム】二条御所で非業の死を遂げた織田信長の嫡男・信忠。そして、斎藤利三の活躍

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
明智光秀の家臣・斎藤利三は、本能寺の変で大活躍をした。(写真:アフロ)

 大河ドラマ「麒麟がくる」では、すっかり影が薄かった織田信長の子・信忠。実は、信忠も明智光秀の率いる軍勢によって、血祭りにあげられていた。その詳細を追うことにしよう。

■明智軍の行動

 天正10年(1582)6月2日、明智光秀が率いる軍勢が本能寺(京都市中京区)で織田信長を討ち果たすと、次に嫡男・信忠の宿所である妙覚寺(当時は京都市中京区)に移動した。光秀は信忠を討つことにより、織田家を根絶やしにしようと考えたのだろう。

 明智軍の本能寺への急襲を知った信忠は、信長とともに戦おうと考えていた。しかし、それは信長が自害したことにより、叶わなくなった。

 一方、本能寺前に邸宅を構える村井貞勝は、子の貞成・清次から本能寺が焼け落ちたこと、やがて明智軍がここへ来るであろうことの報告を受けた。

 このとき信忠は安土城(滋賀県近江八幡市)へ逃れればよかったのであるが、もはや逃れられないと覚悟を決めた。逃げる途中に明智軍の雑兵の手にかかるならば、ここで切腹したほうが良いと決断したのだ(『信長公記』)。

 信忠にとっても、光秀の謀反は青天の霹靂だったに違いない。ところが、明智軍は妙覚寺への移動に少々手間取ったらしい。

■信忠、二条御所へ移動

 その後、村井貞勝の進言によって、信忠は堅固な構えの二条御所(京都市中京区)へと移動した。二条御所は誠仁親王の居所なので、十分な武器を用意していなかった。

 やがて、京都市中に宿泊していた信忠配下の武将たちは、二条御所に馳せ参じた。この頃すでに、明智軍は二条御所を包囲していたという。

 二条御所には誠仁が滞在していたが、難を避けるために避難させた。誠仁は光秀に使者を遣わして、切腹すべきか否かを尋ねた。これに対して、光秀は何ら指示することなく、誠仁に馬や駕籠に乗らず二条御所を出るよう希望したという。

■包囲された二条御所

 光秀の挙兵の一報を受けた勧修寺晴豊は、ただちに二条御所に駆け付けたが、すでに二条御所は明智軍に包囲されていた。ほかの公家たちも駆け付けていたという。

 晴豊は二条御所のなかに入ろうとしたが、それは断られた。やむなく晴豊は二条御所から去り、内裏へ行って状況の報告を行った(『日々記』)。こうして二条御所での戦いが開始された。

 光秀軍は1万余の軍勢であったが、信忠軍はわずか数百の兵力で、満足に武器もなかったという。戦闘は1時間余も続いたが、明智軍は二条御所近くの近衛前久の屋敷の屋根から鉄砲を撃ちこんだ。

 さらに明智軍は二条御所に乱入すると火を放ち、信忠方の兵卒は焼死する者が続出した。信忠も自ら武器を取って戦ったが、銃弾や矢を体に数多く受け、最後には覚悟して切腹した。介錯を務めたのは、鎌田新介だったという(『信長公記』)。

 同年6月2日の未明にはじまった本能寺の変は、おおむね午前9時頃に終了したと考えられている。わずか3時間余の戦いで、光秀は信長そして信忠を討つという本懐を成し遂げたのだ。

■活躍した斎藤利三

 本能寺の変で絶賛された人物として、光秀の重臣・斎藤利三がいる。『言経卿記』天正10年(1582)6月17日条には、「今度謀叛随一也」と利三のことを評価している。

 この評価をめぐっては、利三が本能寺の変の中心人物であったかのように考える向きも多い。ただ、この史料を素直に読むと、本能寺の変での活躍が際立っていた、と解釈するのが妥当なようである。しかし、別の記録を読むと、前者であることも否定できない。

 『晴豊公記』天正10年(1582)6月17日条には、「済(斎)藤蔵助ト申者明智者也。武者なる者也。かれ(彼)なと信長打(討)談合衆也。いけとられ車にて京中わたり申候」と書かれている。

 これは、利三が山崎の合戦後に生け捕られたときの記述であるが、「信長打談合衆」と書かれているので、本能寺の変の中心人物だったという噂が広がっていたのかもしれない。

 こうして光秀は、信長に代わる天下人として、名乗りをあげたのである。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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