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【深掘り「麒麟がくる」】足利義昭が織田信長にブチ切れた「十七箇条の意見書」、内容を解説

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
元亀3年(1572)9月、織田信長は「十七箇条の意見書」を足利義昭に突き付けた。(提供:アフロ)

 NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の第36回「訣別(けつべつ)」は、対立の様相を呈していた織田信長と足利義昭の姿が描かれていた。今回は、義昭と信長が決裂する原因となった「十七箇条の意見書」を検証しよう。

■第36回「訣別(けつべつ)」を振り返って

 第36回「訣別(けつべつ)」の内容を簡単に振り返っておこう。

 将軍・足利義昭(役・滝藤賢一さん)は織田信長(役・染谷将太さん)を利用して、松永久秀(役・吉田鋼太郎さん)を討伐しようとした。義昭の目論見は、信長が出陣して美濃ががら空きになったとき、朝倉氏と浅井氏を美濃に攻め込ませることだった。義昭は信長から「十七箇条の意見書」を突き付けられ、すでに関係が破綻していたのだ。

 その意見書を出したあと、信長は悪夢を見たことを光秀に話した。義昭が怒って武田信玄(役・石橋凌さん)を上洛させ、その信玄にひっ捕らえられて処罰される夢だったという。それを聞いた光秀は、義昭に和解の白鳥を運んだが、時すでに遅しと言われ、信長とどちらにつくかと迫られた。

 大河ドラマでは、信長が義昭に突き付けた「十七箇条の意見書」の説明が乏しかったが、決裂のきっかけになったものだからしっかり押さえておこう。

■「異見十七ヵ条」とは

 元亀3年(1572)9月、信長は義昭に対して、「十七箇条の意見書」(以下、「異見十七ヵ条」)を突きつけ(『尋憲記』などに収録)、2人の関係は決定的に破綻した。「異見十七ヵ条」の原本は残っておらず、写しが諸書に記録されているにすぎない。

 いったい「異見十七ヵ条」には、いかなることが書かれていたのだろうか。以下、その中で特に重要な箇所を取り上げることにしたい。

■朝廷への対応

 第1条では、義昭の朝廷に対する配慮が疎かであったので、信長から指弾されている。第10条では、信長が「元亀」の年号が不吉であるので改元を勧めたところ、義昭がこれを無視して行わなかったと記されている。改元に関する費用の一部は、幕府が負担するのが通例だった。

 信長は、幕府が朝廷に経済的支援などを行うことが重要な役割と認識していたので、義昭の怠慢を見過ごすことができなかったのだ。

■義昭の約束違反など

 第2条では、義昭が御内書を発し諸国から馬を徴発したので、信長はそれをとがめている。その理由は、義昭が御内書を発給する場合は、信長の副状をつけると決めていたからだ。これは義昭による約束違反だった。

 第4条は、義昭が什器類を他所へ移すとの噂が流れ、京都市中が騒ぎになったことを問題視している。わざわざ信長は義昭のために御所を造営したが、そのことが無駄になったと憤慨しているのだ。

 第5条・7条では、義昭が昵近(親しく近侍すること)している者を疎んじていること、また信長が口添えした人々を顧みなかったことを挙げている。義昭の人に対する対応や扱いが不公平だったのだ。

■義昭が無断で戦争の準備

 第12条・14条では、諸国から進上された金銀を不当に溜め込み、また城米(兵粮米)を売却して、金銀に交換していると書かれている。

 さらに第16条では、義昭配下の者たちが武具や兵粮を売り払い金銀に換えていると指摘された。彼らは牢人となって、義昭とともに京都を出奔するとの噂が流れていると記されている。

 つまり、信長は義昭が叛旗を翻し、京都を出て行くと考えた。この前年の元亀2年(1571)、義昭は本願寺顕如、浅井長政、朝倉義景、武田信玄、上杉謙信らに御内書を送って、反信長勢力を取り込もうとしていた。こうした事実も信長は知っていたのだ。

■将軍の器でないと指弾された義昭

 第17条では、義昭が諸事について欲にふけており、土民や百姓までもが義昭を「悪しき御所(悪い将軍)」と噂していると断罪し、かつて赤松満祐に殺された足利義教と変わらないと評価されている。

 ほかにも義昭の悪行がたくさん書かれているが、要するに信長は「義昭は将軍の器ではない」と言いたかったのだ。ドラマで義昭が「罵詈雑言じゃ!」と怒りをあらわにしたのは、上記のことが「異見十七ヵ条」に書かれていたからである。

■信長と義昭との関係破綻

 「異見十七ヵ条」は、信長の義昭に対する金言(いましめや教えとして手本とすべき言葉)を意味したが、義昭は「金言御耳に逆り候」という感想を持ち、受け入れなかった(『信長公記』)。

 一連の出来事によって、信長と義昭の関係は完全に破綻したのだ。こうして天正元年(1573)2月、ついに義昭は信長に対して軍事行動を起こすに至ったのである。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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