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【戦国こぼれ話】本当に豊臣秀吉には指が6本あったのか?天下人の知られざる謎を探る。

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
豊臣秀吉の居城・大坂(大阪)城。なんと秀吉には、指が6本あったという。(写真:TOM/イメージマート)

■指が6本???

 忙しいサラリーマンは、誰もが「猫の手も借りたい」と思うことがあるだろう。それは、私も同じ。手が3本でも4本でもあったら、どんなに執筆がはかどることか・・・。

 天下人の豊臣秀吉は、なんと指が6本もあったという。それは、さまざまな史料にまことしやかに書かれている。秀吉に指が6本あったと指摘したのは、東京帝国大学教授を勤めた近世史家の三上参次氏である(「豊太閤に就て」)。その謎を探ることにしよう。

■『国祖遺言』に書かれていること

 秀吉に指が6本あった根拠とは、前田利家の伝記『国祖遺言』(金沢市立図書館・加能越文庫)である。秀吉に指が6本あったことについて、同書は次のように記している。

太閤様(秀吉)は、右手の親指が1つ多く6つもあった。あるとき蒲生氏郷、肥前、金森長近ら3人と聚楽第で、太閤様がいらっしゃる居間の側の4畳半の間で夜半まで話をしていた。そのとき秀吉様ほどの方が、6つの指(の1つ)を切り捨てなかったことをなんとも思っていらっしゃらないようだった。信長様は秀吉様の異名として「六ツめ」と呼んでいたことをお話された。

 秀吉は生まれたときから右手の親指が6本あり、それを切り捨てなかったことから、信長から「六ツめ」とあだ名されていたのだ。秀吉のあだ名といえば「猿」が有名だが、「六ツめ」とは聞いたことがない。しかも、秀吉は6本指であったことを隠さなかったようだ。

 実は、この話に関しては、例のごとくフロイスの『日本史』第16章にも「(秀吉の)片手には6本の指があった」と記されている。したがって、この話はまんざら嘘ではなさそうである。

 ほかに、秀吉に6本の指があったことを書き記した史料はないのであろうか。

■朝鮮にも伝わった秀吉の6本指

 従来はあまり取り上げられてこなかったが、朝鮮の儒学者・姜ハン(サンズイへんに亢)の著書『看羊録』にも秀吉の6本指について、次のように書き残されている。

(秀吉が)生まれた時、右手が6本指であった。成長するに及び、「人はみな5本指である。6本目の指に何の必要があろう」と言って、刀で切り落としてしまった。

 この記録で重要なのは、(1)右手が6本指であることが『国祖遺言』と同じであること、(2)にもかかわらず、余分な1本を切り落としたとあること、の2点である。

 『国祖遺言』の記述では、余分な指を切り落としていないようである。いうまでもないが、当時の外科手術のレベルや衛生状況を考慮すると、切らないほうが安全なように思える。

■先天性多指症という症状

 なお、秀吉の右手が6本指であったというのは、現代の医学で言えば、先天性多指症という症状だ。決して秀吉のみに現れた特殊な症状ではない。先天性多指症とは、いったいいかなる症状なのであろうか。

 そもそも多指症とは、通常より指が多い病状を示し、そのほとんど(90%以上)が親指であるという。したがって、『国祖遺言』が「右手の親指が1つ多く6つもあった」と記しているのは症状に合致しており、極めて信憑性が高いといえる。

 ただし、いずれの史料とも興味深い内容だが、質的に若干の問題があり、今一つ決定打に欠けている感が否めない。秀吉に指が6本あったという、たしかな新出史料を期待したいところだ。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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