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【戦国こぼれ話】政策は今も昔も大きな課題。織田信長の革新的な政策の謎に迫る。

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
今では自由に商売ができるが、戦国時代には座の統制があり制限があった。(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

■政策は命

 菅政権の発足後、次々と政策が実行されているが、効果のほどはどうなのだろうか。非常に気になるところである。政治家にとって、政策は命である。

 戦国時代においても、もちろん政策は非常に重要だった。なかでも織田信長は、革新的な政策を次々と実行したことで知られている。関所の撤廃、楽市楽座などはその代表といえよう。

 はたして信長の政策は、どのように評価されているのだろうか。

■優れた流通政策

 数ある信長の政策で特筆すべきは、流通・経済政策になろう。信長は伊勢湾に面する津島(愛知県津島市)、熱田(名古屋市熱田区)を配下に収め、海上交通を掌握。伊勢湾には木曽川が流れ込み、伊勢・志摩や知多半島との交通が至便だった。

 また、熱田を拠点とする加藤氏を御用商人として召し抱え、種々の特権(徳政免除など)を与え、経済の発展を促進したのだ。

 信長は堺(大阪府堺市)の直轄領化も図り、今井宗久を御用商人として起用。堺は中国との交易を行っており、また鉄砲などの武器の調達も可能だった。

 さらに信長は堺に税を賦課し、徴税の役割を宗久に任せた。但馬の戦国大名・山名氏を屈服させ生野銀山(兵庫県朝来市)を接収すると、信長はその管理を宗久に行わせている。

■関所の撤廃など

 永禄11年(1568)、信長は分国内の関所を撤廃し、自由な行き来を認めた。これにより関銭の負担などが免除され、通行だけでなく物資の運搬も自由になった。

 商人らには大きなメリットがあり、流通を促す重要な政策と評価されている。同時に、分国内の道路の整備も命じており、関所撤廃と合わせて利便性をもたらしたのだ。

■特筆すべき楽市楽座

 もっとも注目すべきは、楽市楽座令であろう。楽市は町・市場振興策であり、信長の分国中を自由に行き来できること、そして借銭・借米の返済義務がないことや、地子や諸役の免除などを規定している。

 同時に、狼藉・口論を禁止するなども取り決めている。こうして市場への居住者を増やし、活性化を促そうとしたのである。楽市は、経済発展のための優れた政策だった。

 楽座は特定の市場に限り、座の特権を認めず、自由に商売することを保証したものである。広く市場を開放し、振興を促進する性格のものである。必ずしも座を廃止したものではない。

 永禄10年(1567)、信長は美濃加納市場(岐阜市)に宛てて、楽市令を発布した。また、天正5年(1577)、信長は安土城(滋賀県近江八幡市)下に楽市楽座令を発布し、「諸座諸役諸公事をことごとく免許する事」を高らかに宣言している。

■政策は信長のオリジナルか

 このようなインフラ整備と規制撤廃は、流通経済を大いに促進させたのである。なお、これに類した政策は、六角氏、今川氏、北条氏が実施しており、信長のオリジナルな政策ではないと指摘がなされている。

 楽市令の初例は、天文18年(1549)に六角定頼が観音寺城(滋賀県近江八幡市)下の石寺に発布されたものである。

 永禄9年(1566)には、今川氏真が富士大宮(静岡県富士宮市)の六斎市を楽市としている。したがって、楽市・楽座は信長のオリジナルな政策ではなく、そうした例を参考にした可能性は極めて高い。

 楽市楽座に限らず、信長が行った革新的とされる諸政策の大半は、すでに諸大名が実行していたものである。むしろ、信長はそれらの優れた諸政策を広い範囲で、かつ徹底したので独自の政策と思われたのかもしれない。

 菅政権は、信長のような優れた政策を実行できるのだろうか。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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