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【「麒麟がくる」コラム】大河ドラマ「麒麟がくる」。明智光秀の前半生を見る視点とは?

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
明智光秀に関する史料は玉石混交なので、利用の際は注意が必要である。(写真:アフロ)

■いろいろある史料の種類

 大河ドラマ「麒麟がくる」では、今のところ明智光秀の前半生が取り上げられている。光秀が確固たる史料に登場するのは、おおむね永禄11年(1568)10月以降である。ちょうど、織田信長が足利義昭を推戴し、上洛した頃である。

 残念なことに信長の上洛以前の光秀は、たしかな裏付け史料を欠くので、その動向は不明であると言わざるを得ない。しかし、「いやいや、そんなことはない。光秀の前半生については、さまざまな説があるじゃないか!」と反論する向きもあろう。

 そこで、今回は少し趣を変えて、光秀にまつわる史料の性質について考えてみよう。

■一次史料と二次史料

 史料には、同時代に作成された一次史料(古文書―書状など、記録―日記など)、そして後世に編纂された二次史料(軍記物語、系図、家譜など)がある。歴史研究では一次史料を重視し、二次史料は副次的な扱いになる。二次史料を使用する際は、史料批判を十分に行うことが求められる。

 ところが、こと光秀の生涯や本能寺の変に関しては、二次史料への批判が甘く、歴史史料に適さない二次史料であっても、「この部分だけは真実を語っているはずだ」という理屈で、安易に使用される例が散見される。

 たとえば、近世初期に成立した『明智軍記』は、以前から史料の性質が悪いと評価されてきた。ほかにも小瀬甫庵の手になる『信長記』なども同様であろう。

 つまり、光秀のわからないとされる前半生を考えるには、安易に二次史料を使うのではなく、その性質を見極めたうえで、十分に史料批判をして用いるべきである。質の悪い二次史料をいくら捏ね繰り回しても、あまり有意義ではない。

■論理の飛躍と史料の誤読

 もっとも重要な問題は、行論上の論理の飛躍や、推論に推論に重ねた暴論である。

 満足な史料的な裏付け、あるいは状況証拠による蓋然性がないにもかかわらず、突拍子もない論理展開で新説を導き出す例が見受けられる。結論が奇抜であればあるほど、読者が「おもしろい!」と飛びつく傾向がみられる。

 これに伴って難しい問題なのが、史料の誤読である。「独自の解釈を施した」と言っても、間違えていることはままある。人間のやることなので誤りはやむを得ないが、明らかに解釈を間違っていて人から指摘されても、誤読した状態のままで押し通す例も見られる。引くに引けないのだろう。

 つまり、光秀の前半生をより劇的に、あるいはおもしろくするために、無茶苦茶な論理で押し通すのではなく、よりストイックになる必要があるのではないだろうか。同時に、誤りがあれば、素直に修正することも重要である。

■自説を有利にするためか

 二次史料の批判の甘さ、史料の誤読、論理の飛躍、推論を重ねた暴論を行うのは、自説を有利に運ぶためだろう。当然、読者は歴史研究の専門家ではないので、それが正しいのか誤りなのかはわからない。ただ、そうしたことを読者に求めるのは気の毒である。

 一つだけ言えるとするならば、あまりにおもしろい説というのは、用心したほうがいいように思う。歴史の研究をしてわかることは、泉のように新説が湧いてこないということである。歴史に夢やロマンを過剰に求めるのも危険である。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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