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【戦国こぼれ話】戦国時代に刀はいかに用いられたのか?意外だった戦術の変化!

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
刀を振りかざす上杉謙信。謙信は刀を使って敵陣に斬り込んだのか?(提供:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

■上杉謙信は刀で戦ったのか。

 岡山県瀬戸内市の備前長船刀剣博物館において、上杉謙信の愛刀とされる国宝「無銘一文字」の公開が始まった。なんと5億円という高価な刀だ。

 戦国時代の戦いといえば、すぐにイメージとして思い浮かべるのは、刀の鍔迫り合いや白兵戦であろう。映画、テレビなどの時代劇を見ると、雑兵たちはもちろんのこと、著名な武将までもが一騎打ちを行なっている。もっとも盛り上がるシーンである。

 川中島の合戦で、上杉謙信が武田信玄の陣に攻め込み、信玄に一太刀浴びせると、それを信玄が軍配で受けた逸話はあまりに有名であろう。白兵戦こそが、戦国時代における戦いの典型とされてきた。

 しかし、戦国時代に白兵戦や一騎打ちが盛んに行なわれたというのは、もはや幻想に過ぎない。上記の謙信と信玄の逸話についても、疑問視されている。南北朝の内乱期において、もっとも大きな負傷の原因は、矢によるものであった。つまり、この事実は弓矢が合戦における主要な武器であったことを物語っている。刀に拠ると考えられる負傷は、極端に少ないのである。

■飛び道具の優位性

 応仁・文明の乱以降になっても弓矢が主要な武器であったことは変わらず、鉄砲の登場以降になって、ようやくその地位を譲ることになった。いずれにしても、相変わらず「飛び道具」が幅を利かせていたのである。遠いところから攻撃を仕掛けて、相手を倒したあとに、首(あるいは鼻など)を切り落とすのが普通だったのだ。

 たとえば、天正10年(1582)6月の本能寺の変において、最初、織田信長は弓矢を手にして戦ったが、弓の弦が切れると槍に変え、肘に疵を負うと諦めて自害した(『信長公記』)。決して刀を用いていない。

 もちろん、武将たちが刀で戦った例がないわけではないが、一次史料にその様子が記される例は皆無に近く、ほとんどは軍記物語などの後世の編纂物に記されることが多い。そのいくつかの事例について、確認することにしよう。

■諸記録に見る刀の使い方

 永禄12年(1569)10月、大友氏のもとにあった大内輝弘が周防に上陸し、毛利氏に戦いを挑むことがあった。このとき毛利軍にあって、大内軍と戦ったのが玉木吉保である。吉保は富海(山口県防府市)の海岸において、大内方の佐向右近という者と一騎討ちになった(『身自鏡』)。その状況は、次のとおりである。

(吉保は)富海の海岸で佐向右近という者と名乗りあい、合戦となった。右近は大男で力も強い。私(吉保)は若年なので、手柄が及ぶまでもない。しかし、運は天にあると思い、太刀を打ち返した。右近の刀は長くて切れ味が良い。右近が打ち込んでくるところを身をかわし、太刀で相手を払うと、右近の両膝を切って倒した。

 こうして吉保は右近の首を取り、余勢をかって敵の首を数多く取った。『身自鏡』は吉保自身の手になるものであるが、やや誇張したような印象は拭い去れない。

 天正6年(1578)2月に別所長治が織田信長に叛旗を翻し、三木合戦がはじまった。その最初の頃の戦いに、神吉合戦がある。神吉城主の神吉民部少輔は、劣勢に追い込まれるが、ついに最後の戦いを羽柴(豊臣)秀吉に臨んだ。城内に押し寄せる秀吉勢に対し、民部少輔は次のように戦った(『別所長治記』)。

民部少輔は門の外で馬より飛び下り、神吉重代の打ち物(刀)の備前菊一文字則宗(2尺3寸)を右の小脇に抱え、押し入る敵に走り掛かって打ち倒した。

 このあと民部少輔は自ら名乗りながら、逃げる敵を鬼神のごとく討ち倒したという。この場合は、最後の戦いを挑んだということで、あえて白兵戦に臨んだのであろうか。

■刀の使い方は?

 ここまでいろいろ書いてきたが、戦国時代における実際の戦闘シーンは、同時代に成立した一次史料に詳しく書いているわけではない。圧倒的に多いのは、後世の編纂物である二次史料に書かれたものである。二次史料は何らかの意図をもって書かれていることも多く、ときに軍功を強調するため誇張した記述なども含まれている。したがって、そのまま鵜呑みにして信じるわけにはいかない。

 結論を言えば、戦闘の効率を考えると飛び道具を使うのがベストで、至近距離の乱戦になると槍や刀を使うというのが普通だったのではないだろうか。いたずらに刀の役割を否定するのも、いかがなものかと思う。

【主要参考文献】

鈴木真哉『刀と首取り―戦国合戦異説―』(平凡社新書、2000年)

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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