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『らんまん』寿恵子(浜辺美波)は「鹿鳴館」で踊るのか? モデルドラマにおける「虚」と「実」

碓井広義メディア文化評論家
筆者撮影

第11週に入った、NHK連続テレビ小説『らんまん』。

槙野万太郎(神木隆之介)は、印刷所で働きながら「石板印刷」を学んでいます。

そして、万太郎が思いを寄せる和菓子屋「白梅堂」の娘・西村寿恵子(浜辺美波)。

彼女は、「鹿鳴館プロジェクト」の一環である、舞踏練習会に参加しています。

実在の人物がモデル

ご存じのように、『らんまん』は実在の人物をモデルとしたドラマです。

「モデル小説」に倣(なら)えば、「モデルドラマ」と呼んでいいかもしれません。

万太郎のモデルは植物学者の牧野富太郎。

牧野の妻となった小沢壽衛(すえ)をモデルにたのが、寿恵子ということになります。

現在の万太郎と寿恵子の状況を、事実と比べながら眺めてみたいと思います。

実在の人物をモデルとしたドラマにおける、「虚」と「実」の面白さです。

印刷所の従業員になる

大学の研究室に通う身でありながら、自分が描いた植物画を正確に印刷するために印刷所の従業員になる。

しかも無給どころか、お金を払ってまで、それを実行する万太郎。

まるで「フィクション」みたいな話ですが、これは牧野富太郎が実際にやったことです。

牧野にとって、植物学を広めるためには印刷物が必要でした。

しかし、当時の一般的な印刷技術では、絵に描いたものを忠実に再現するのは難しいことでした。

色や線の印刷では最高峰だったのが石板印刷です。

自分で直接石板に植物画を描きたい牧野は、石板印刷の技術を習得しようとしたのです。

好きなコトに徹底的にこだわるが故に、突拍子もない行動に出る。

まさに牧野らしい、そして万太郎らしいエピソードです。

ちなみに、大畑印刷所の主人・大畑義平(奥田瑛二)のモデルは、牧野がお世話になった神田錦町の太田印刷所の太田義二という人物。

牧野は、後に石板印刷機を自分で購入しています。

故郷の高知・佐川で印刷活動を始めようとするのですが、ドラマでそこまで描かれるかどうかは分かりません。

鹿鳴館と社交ダンス

さて、一方の寿恵子ですが・・・

寿恵子のモデルである小沢壽衛は、ドラマと同様、和菓子屋の娘さんでした。

牧野富太郎と壽衛が一緒に暮らすようになったのは明治21年(1888年)頃です。

この時、牧野が26歳、壽衛は15歳でした。

現在、ドラマの中の寿恵子は、歴史の教科書にも載っている「鹿鳴館」のオープンに向けて、社交ダンスのレッスンに励んでいます。

その鹿鳴館が開設されたのは、明治16年(1883年)のこと。今年は「鹿鳴館140周年」です。

明治16年といえば、実在の壽衛は、まだ10歳の少女でした。鹿鳴館やダンスとの関係も不明です。

このドラマが鹿鳴館のエピソードを取り込んだのは、明治という時代の雰囲気や、当時の女性たちの地位や立場を伝えるためでしょう。

モデルがいるドラマの「虚」と「実」

新しい時代に触れたいという、好奇心旺盛な女性としての寿恵子。

当時としては珍しく、自分の意思で、自分の生き方を決めていくことになる寿恵子。

寿恵子のモデルは確かに壽衛ですが、あくまでモデルであって、壽衛そのものではない。もちろん万太郎も同じです。

寿恵子の人物設定は、壽衛とは少し時代をずらしたことも含め、物語に幅と奥行きを与えるものであり、ドラマを一層魅力的にする仕掛けだと言えそうです。

実業家・高藤雅修(伊礼彼方)という思わぬ“ライバル”の出現で、万太郎の寿恵子に対する動きも変化してきました。

がんばれ、万太郎!

メディア文化評論家

1955年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。千葉商科大学大学院政策研究科博士課程修了。博士(政策研究)。1981年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。代表作に「人間ドキュメント 夏目雅子物語」など。慶大助教授などを経て、2020年まで上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。著書『脚本力』(幻冬舎)、『少しぐらいの嘘は大目に―向田邦子の言葉』(新潮社)ほか。毎日新聞、日刊ゲンダイ等で放送時評やコラム、週刊新潮で書評の連載中。文化庁「芸術祭賞」審査委員(22年度)、「芸術選奨」選考審査員(18年度~20年度)。

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