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『あまちゃん』再放送で再発見する「ここがスゴイ!」その3

碓井広義メディア文化評論家
三陸鉄道リアス線(写真:イメージマート)

ドラマに「欠かせないもの」

ドラマにおいて、欠かせないのが「葛藤(かっとう)」です。

葛藤とは、何か?

手元の『広辞苑 第六版』には、

「葛藤=いざこざ、悶着(もんちゃく)、争い。心の中に、それぞれ違った方向、あるいは相反する方向の欲求や考えがあって、その選択に迷う状態」

とあります。

ドラマ、映画、演劇、さらにゲームにいたるまで、葛藤は物語を推進させる重要な要素です。

それは、人間を本性まで立体的に見せる「方法」だとも言えるでしょう。

犯罪映画であれ、恋愛ドラマであれ、登場人物が克服すべき困難、乗り越えるべき壁がなくては、物語が展開しないのです。

しかも、葛藤は外部のものだけとは限りません。自分自身の内に潜(ひそ)む、相反する感情も含みます。

「もつれ」や「いざこざ」によって、一人の人間の心の内で、複数の思いがぶつかり合う。

『あまちゃん』における「葛藤」

『あまちゃん』の「トリプルヒロイン」であるアキ(能年玲奈、現在:のん)、春子(小泉今日子)、夏(宮本信子)の3人も、それぞれ葛藤を抱えています。

当初、アキは東京の学校にも、家庭(両親は離婚寸前)にも、自分の居場所がありません。

将来についても、何の希望も展望も持っていませんでした。

また、春子は若き日の挫折を引きずっています。

母親の反対を押し切り、家出してまで挑んだアイドルへの夢に破れ、その夢を封印して守ってきた家庭も崩壊へと向かっています。

何より、彼女の胸の内には、24年前に自分を本気で引き留めてくれなかった(と彼女は信じ込んでいる)夏への恨みと疑念が潜んでいました。

そして夏にも、やはり24年前の娘との別れ方と、その間、音信不通のままにしていた自分を責める気持ちがあります。

また、長年続けてきた海女の仕事についても、年齢的限界からくる不安や、後継者を持たない悲しみから逃れられないでいました。

さらに、『あまちゃん』の物語世界を動かしているのは、こうしたヒロインたちの「内なる葛藤」だけではありません。

主な舞台である、北三陸という「地域」がもつ葛藤もあるのです。

それは完全な過疎化であり、住民の高齢化であり、若者の雇用問題であり、シャッター商店街に代表される経済的低迷です。

つまり、やがて震災や津波に遭遇するこの地域は、すでにそれ以前から「あまり希望の持てない場所」と見られつつありました。

登場人物たちの「内側(心情)の葛藤」と、彼らが暮らす地域という「外側(環境)の葛藤」。

その両方の葛藤が、『あまちゃん』というドラマを推進させるエンジンとなっているのです。

ふかいことをゆかいに

しかも注目すべきは、そんな葛藤を、ユーモアと笑いを交えながら描いていく、宮藤官九郎さんの「脚本」の力でしょう。

北三陸も「明るく笑える東北」になっています。

毎回、一話15分の中で何度も笑える朝ドラなんて、『あまちゃん』の前にも後にもありません。

作家の井上ひさしさんが、「座右の銘」にしていた言葉があります。

「むずかしいことをやさしく、

 やさしいことをふかく、

 ふかいことをゆかいに、

 ゆかいなことをまじめに」

『あまちゃん』は、まさにそれを実現していたのです。

(つづく)

メディア文化評論家

1955年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。千葉商科大学大学院政策研究科博士課程修了。博士(政策研究)。1981年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。代表作に「人間ドキュメント 夏目雅子物語」など。慶大助教授などを経て、2020年まで上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。著書『脚本力』(幻冬舎)、『少しぐらいの嘘は大目に―向田邦子の言葉』(新潮社)ほか。毎日新聞、日刊ゲンダイ等で放送時評やコラム、週刊新潮で書評の連載中。文化庁「芸術祭賞」審査委員(22年度)、「芸術選奨」選考審査員(18年度~20年度)。

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