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放送35周年、芸術祭大賞ドラマ『波の盆』をめぐって

碓井広義メディア文化評論家
筆者撮影(本文中も同様)

西武スペシャル『波の盆』(日本テレビ系)が放送されたのは、1983年秋のことです。明治期にハワイ・マウイ島に渡った、日系移民1世が主人公のドラマでした。

移民1世はサトウキビ畑での過酷な労働に耐え、家庭を持ち、子どもたちを育ててきました。しかし1941年、日本軍の真珠湾攻撃により、その運命が大きく変わります。

また成人した2世たちは、アメリカ軍の日系人部隊として、ヨーロッパ戦線などで厳しい戦いを経験しました。

このドラマは、移民1世の老人である山波公作(笠智衆)が、妻ミサ(加藤治子)を亡くした新盆の日、その1日の物語です。

日本で亡くなったはずの四男・作太郎(中井貴一)の娘、つまり公作の孫だという若い女性・美沙(石田えり)が突然訪ねてきたことによって、公作の中で、自身が歩んできた「過去」と80年代の「現在」が交錯していきます。

脚本/倉本聰、演出/実相寺昭雄、制作/日本テレビ、テレビマンユニオン。この年の「芸術祭」大賞を受賞しました。

2列左から3人目が実相寺監督。前列中央に笠さんと加藤さん、右端が筆者(写真提供:実相寺昭雄研究会)
2列左から3人目が実相寺監督。前列中央に笠さんと加藤さん、右端が筆者(写真提供:実相寺昭雄研究会)

脚本家・倉本聰さんに訊く、ドラマ『波の盆』

今年は『波の盆』の放送35周年にあたります。また、演出した実相寺監督の13回忌でもあります。

脚本を書いた倉本聰さんに、あらためてこの作品についてうかがってみました。

――そもそも、ハワイの日系移民の話を書こうとしたのは、なぜですか。

「ハワイの日系移民に広島県人が多いのは前から知ってたんですよ。じゃあ、その人たちは故郷の広島に原爆を落とされたことをどう考えてるんだろうと気になっていました。それから終戦直後に進駐軍が入ってきた時、たくさんの日系2世が通訳でついてきた。あの人たちはどこから来たんだろうっていうのも頭の中にありましたね」

――撮影当時のハワイ州知事はジョージ・アリヨシ。2017年にはホノルル空港がダニエル・K・イノウエ(元米陸軍将校、上院議員)国際空港と名を変えました。ハワイと日系移民の間には長い、そして波乱の歴史があります。

「戦時中、米国本土では多くの日系移民が収容所に入れられました。ハワイでは収容所には行かなかったものの監視下に置かれた。それでいて日系2世は米国人だから、米軍人として戦争に参加したわけです。1世はつらかっただろうなっていう思いがあって、そこらへんが一番描きたかったところですね」

――シナリオを書き出す前、倉本さんはマウイやホノルルで綿密な取材を重ねていました。

「まだ移民1世も健在だったので、何人もの日系のお年寄りに会って話を聞いたし、1世が働いていたサトウキビ農園や、日系人の442部隊のことも調べていきました。

 ロケをしたラハイナ浄土院。住職にあたる原源照先生には本当にお世話になった。地元の日系の方々にもね。時期が違うのに盆ダンス(ハワイ流の盆踊り)や海に灯籠を送り出す精霊流しも再現していただいた。

 浄土院に行って一番衝撃だったのは日系移民が埋葬された墓地ですよ。砂地に埋もれたような墓石がみんな海の方、つまり西を向いていた。西方浄土とはいいますが、西の方角に日本があるからなんですよね。あれを見た時、書くぞ!と思いましたね」

――もう一つ、うかがいたかったのが、実相寺昭雄監督の演出についてです。というのも監督の興味の中心は映像美です。しかも極端なワイドレンズを使ったり、光と影のコントラストを強調したり。自分の美学にかなった絵を撮ることを最優先する実相寺演出と、人間を描こうとする倉本ドラマとは、もしかしたら逆の方向だったのではないかと、ずっと気になっていました。

「それは杞憂ですよ。実相寺演出、まったくOKでした。実相寺さんとはほとんど付き合いはなかったけど、作品は見てましたから。あの人は映像詩が作れる監督。だから話は僕が受けもって、映像は実相寺さんに任せると決めてました。ホン読みの時も実相寺さんは僕にやりたいようにやらせてくれたんです。ああ、分かってる人だなと思って、全面的に信頼しましたね」

「聖地巡礼」としてのマウイ島・ラハイナ浄土院

ラハイナ浄土院
ラハイナ浄土院

ドラマ『波の盆』の主なロケーションはハワイ・マウイ島で行われ、その重要なシーンはラハイナ浄土院というお寺で撮影されました。

公作がふと横を見るとミサが座っている。それは公作だけに見えるのですが、「あのころ、おまえはどう思うとったんじゃ」などと話しかけると、幻影のミサも返事をする。そんな倉本脚本らしいシーンを、実相寺監督がまさに光と影を生かして撮ったのも、この場所です。

現在も原源照先生ご夫妻が、日系人の心の拠りどころである浄土院を守っていらっしゃいます。『波の盆』に関する、いわゆる「聖地巡礼」という意味では、究極の聖地でしょう。

数日前、ラハイナ浄土院を訪ね、原先生に倉本聰さんの「35年目の言葉」をお伝えすると共に、『波の盆』につながる方々のご供養をしていただきました。

放送から現在までの35年間に、主演の笠智衆さん、加藤治子さん、テレビマンユニオンの吉川正澄プロデューサー、吉川さんとTBSに同期入社だった実相寺昭雄監督、そして何人かのスタッフも亡くなりました。特に実相寺監督は、今年が13回忌となります。

原源照先生
原源照先生

現在、「実相寺昭雄研究会」のメンバーと、監督が遺した資料の整理と調査を行っています。先日も、『波の盆』のロケハンの際に監督が記した、詳細なメモが見つかりました。

マウイ島の各所を回って見たもの、現地の皆さんから聞いた話が、特徴のある達筆な字で書きこまれています。実際の演出に生かされた部分も多く、これから細かく分析していく予定です。

浄土院の境内にそびえる三重の塔も、鎮座する大仏様も、35年前と同じ姿で、そこにあります。そのことだけで、とてもありがたい。

あらためて、今後も『波の盆』研究を進めていくことを念じ、ラハイナ浄土院をあとにしました。合掌。

大仏様と
大仏様と
メディア文化評論家

1955年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。千葉商科大学大学院政策研究科博士課程修了。博士(政策研究)。1981年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。代表作に「人間ドキュメント 夏目雅子物語」など。慶大助教授などを経て、2020年まで上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。著書『脚本力』(幻冬舎)、『少しぐらいの嘘は大目に―向田邦子の言葉』(新潮社)ほか。毎日新聞、日刊ゲンダイ等で放送時評やコラム、週刊新潮で書評の連載中。文化庁「芸術祭賞」審査委員(22年度)、「芸術選奨」選考審査員(18年度~20年度)。

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