プーホルスが母国で監督就任。将来は監督同士としてモリーナと対戦!? 歴代監督の通算本塁打ランキング
アルバート・プーホルスは、今秋開幕のドミニカン・ウィンター・リーグにおいて、レオネス・デル・エスコヒードの監督として采配を振る。ドミニカ共和国は、プーホルスの母国だ。
ESPNのオールデン・ゴンザレスによると、プーホルスのゴールは、メジャーリーグの監督になることだという。実際に監督を務めた後も気持ちが変わらなければ、数年後にはメジャーリーグでユニフォームを着ているかもしれない。
そうなれば、監督同士として、かつてのチームメイト、ヤディアー・モリーナと顔を合わせる可能性もある。プーホルスとモリーナは、2004~11年と2022年にセントルイス・カーディナルスでともにプレーし、2人とも、2022年を最後に選手生活を終えた。モリーナは、昨春のWBCでプエルトリコの指揮を執るなど、すでに監督としての「キャリア」をスタートさせている。
プーホルスは、メジャーリーグのレギュラーシーズンに、703本のホームランを打った。モリーナは176本だ。通算本塁打がプーホルスより多い3人、762本塁打のバリー・ボンズ、755本塁打のハンク・アーロン、714本塁打のベーブ・ルースは、いずれも、メジャーリーグの監督にはなっていない。これから、ボンズが監督に就任する可能性は、限りなくゼロに近い。600本台の5人のなかにも、監督の経験者はいない。
300本塁打以上を記録した159人中、監督を務めたのは12人だ。現役選手を除いても、148人中12人なので、10%に満たない。
586本塁打のフランク・ロビンソン、511本塁打のメル・オット、301本塁打のロジャース・ホーンズビーは、プレーイング・マネージャー(選手兼監督)としても采配を振った。就任時の通算本塁打は、ロビンソンが574本、オットが415本、ホーンズビーは153本だった。オットとホーンズビーは、監督専任よりもプレーイング・マネージャーの期間のほうが長い。
12人のうち、監督としてポストシーズン進出は5人、ワールドシリーズ進出は3人、ワールドシリーズ優勝は2人だ。
ホーンズビーは、1926年にカーディナルスで優勝を飾った。この年は、采配を振りながら、レギュラーシーズンの156試合中134試合で二塁を守り、打率.317と出塁率.388、11本塁打を記録した。
ちなみに、1926年は、選手としては不調のシーズンだった。その前の6シーズンとその後の3シーズンは、いずれも打率.360以上と出塁率.430以上。1922年の42本塁打を筆頭に、20本塁打以上は7度を数えた。1922年と1925年は三冠王。2度目の1925年は、シーズン序盤にプレーイング・マネージャーとなった。
370本塁打のギル・ホッジスは、ニューヨーク・メッツを率いて、1969年にワールドシリーズを制した。メッツは、1962年の創設から1968年まで一度も勝ち越しておらず――ホッジの就任は1968年――1969年の快進撃は「ミラクル・メッツ」と呼ばれた。
ワールドシリーズ優勝監督と同じく、レギュラーシーズンの通算勝率.500以上も2人だ。こちらは、378本塁打のマット・ウィリアムズと358本塁打のヨギ・ベラが、それぞれ、勝率.552と.522を記録した。
通算本塁打がウィリアムズより多い6人は、監督時代のポストシーズン進出もシーズン勝ち越しもない。
なお、435本塁打のカルロス・ベルトランは、2019年11月にメッツの監督に就任した。けれども、ヒューストン・アストロズが行っていたサイン盗みに関わっていたとされ――ベルトランは、2017年にアストロズでプレーし、そのオフに引退した――采配を一度も振ることなく、2020年1月に解任された。
また、353本塁打のトリ・ハンターは、今オフ、ロサンゼルス・エンジェルスの監督候補に名前が挙がったが、就任には至らなかった。
日本プロ野球における、通算本塁打の多い監督については、こちらで書いた。