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投手としても出場した選手の通算安打ランキング。2000安打以上&10勝以上は1人

宇根夏樹ベースボール・ライター
石井琢朗 AUGUST 1987(写真:岡沢克郎/アフロ)

 通算1000安打以上を記録した315人のなかには、投手として一軍のマウンドに上がった選手もいる。調べたところ、19人が見つかった。315分の19=6.0%だ。見落としがあれば、割合はもう少し高くなる。

筆者作成
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 彼らのうち、千葉茂広瀬叔功は「野手登板」だ。2人とも1度だけ、野手として出場した試合で、途中から登板している。当時の千葉は一軍5年目、広瀬は15年目だった。

 呉波/昌征の初登板も、一軍4年目の1940年だ。ただ、1940年と1947~49年は1登板ずつながら、1946年は27試合に登板し、181.1イニングで防御率3.02、14勝6敗を記録している。キャリア全体としては野手だが、「野手登板」の枠を超えていた。1940年と1947年は、どちらも1登板で7イニング以上を投げた。

 あとの16人は、一軍1年目に登板している。彼らのキャリアの大まかな流れは「投手と野手の兼任→野手」「投手→兼任→野手」「投手→野手」のいずれかだ。なかには、兼任後、野手出場だけの数シーズンを経て再び兼任し、そこから野手に専念した選手もいる。おそらく、球団の投手事情が絡んでいるのだろう。

 2000安打以上では唯一人、通算二桁の白星を挙げている川上哲治の場合は、「兼任→野手」に分類できる。最初の4年間、1938~41年のいずれも、投手としても野手としても出場した。

 なお、上のリストは、登板したことのある選手を通算安打の多い順に並べている――メジャーリーグで登板したイチロー青木宣親(現・東京ヤクルト・スワローズ)は含めていない――が、1000本以上のヒットを打った選手の通算白星トップ5は、65勝の関根潤三、60勝の西沢道夫、49勝の野口明、34勝の藤村富美男、15勝の呉となる。関根と西沢は、被安打も1000本以上だ。

ベースボール・ライター

うねなつき/Natsuki Une。1968年生まれ。三重県出身。MLB(メジャーリーグ・ベースボール)専門誌『スラッガー』元編集長。現在はフリーランスのライター。著書『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。

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