投手としても出場した選手の通算安打ランキング。2000安打以上&10勝以上は1人
通算1000安打以上を記録した315人のなかには、投手として一軍のマウンドに上がった選手もいる。調べたところ、19人が見つかった。315分の19=6.0%だ。見落としがあれば、割合はもう少し高くなる。
彼らのうち、千葉茂と広瀬叔功は「野手登板」だ。2人とも1度だけ、野手として出場した試合で、途中から登板している。当時の千葉は一軍5年目、広瀬は15年目だった。
呉波/昌征の初登板も、一軍4年目の1940年だ。ただ、1940年と1947~49年は1登板ずつながら、1946年は27試合に登板し、181.1イニングで防御率3.02、14勝6敗を記録している。キャリア全体としては野手だが、「野手登板」の枠を超えていた。1940年と1947年は、どちらも1登板で7イニング以上を投げた。
あとの16人は、一軍1年目に登板している。彼らのキャリアの大まかな流れは「投手と野手の兼任→野手」「投手→兼任→野手」「投手→野手」のいずれかだ。なかには、兼任後、野手出場だけの数シーズンを経て再び兼任し、そこから野手に専念した選手もいる。おそらく、球団の投手事情が絡んでいるのだろう。
2000安打以上では唯一人、通算二桁の白星を挙げている川上哲治の場合は、「兼任→野手」に分類できる。最初の4年間、1938~41年のいずれも、投手としても野手としても出場した。
なお、上のリストは、登板したことのある選手を通算安打の多い順に並べている――メジャーリーグで登板したイチローと青木宣親(現・東京ヤクルト・スワローズ)は含めていない――が、1000本以上のヒットを打った選手の通算白星トップ5は、65勝の関根潤三、60勝の西沢道夫、49勝の野口明、34勝の藤村富美男、15勝の呉となる。関根と西沢は、被安打も1000本以上だ。