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通算500本塁打以上を打ちながら「ワールドシリーズに出場していない」打者たち。2人は600本以上

宇根夏樹ベースボール・ライター
ケン・グリフィーJr. May 9, 1997(写真:ロイター/アフロ)

 762本塁打のバリー・ボンズから502本塁打のミゲル・カブレラ(デトロイト・タイガース)まで、メジャーリーグ(ニグロリーグは含めず)で500本以上のホームランを打った選手は、28人を数える。そのうちの5人、630本のケン・グリフィーJr.、609本のサミー・ソーサ、569本のラファエル・パルメイロ、521本のフランク・トーマス、512本のアーニー・バンクスは、ワールドシリーズに出場することなく、選手生活を終えた。

 なかでも、シカゴ・カブス一筋にプレーしたバンクスは、ポストシーズンも経験していない。1953~71年の19シーズン中、カブスが勝ち越したのは、1963年と1967~71年の6シーズン。地区制がなかった1968年までは、どのシーズンもリーグ優勝のチームに13ゲーム以上離され、1969~71年も、東地区優勝のチームと5ゲーム差未満のシーズンはなかった。バンクスは、出場2528試合も、ポストシーズンを経験していない選手では、最も多い。今オフに引退したカイル・シーガーも、こちらはシアトル・マリナーズ一筋に過ごし、ポストシーズンを経験していないが、バンクスと比べると、かなり少ない。出場は1480試合、ホームランは242本だ(「今年は自己最多の「35本塁打&101打点」ながら34歳で引退。弟は10年3億2500万ドルの新契約」)。

 グリフィーJr.とパルメイロとトーマスは、ポストシーズンを3度ずつ経験した。ソーサは2度だ。4人とも、勝ち上がればワールドシリーズ進出のリーグ・チャンピオンシップ・シリーズでプレーし、ソーサは2003年にワールドシリーズまであと一歩に迫った。この年、ソーサがいたカブスは、リーグ・チャンピオンシップ・シリーズで3勝1敗としながら、そこから、フロリダ・マーリンズに3連敗を喫した。

筆者作成
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 この5人を除く、500本塁打以上の23人中、初めてワールドシリーズでプレーするまでに最も多くのホームランを打ったのは、ボンズだ。ワールドシリーズ初出場は、メジャーリーグ17年目の2002年。この時点の通算本塁打は613本だった。ボンズは、最初で最後となるワールドシリーズで4本塁打を記録し、敬遠四球も7度。サンフランシスコ・ジャイアンツは、3勝4敗でアナハイム・エンジェルスに敗れ、ボンズはチャンピオン・リングを手に入れることができなかった。

 一方、ベーブ・ルースの通算本塁打は、1915年のワールドシリーズ初出場の時点では4本。その後、710本のホームランを打った。代打を除くと、投手だけでなく野手としてもプレーするようになったのは、1918年からだ。ルースがワールドシリーズで初めてホームランを打ったのは、出場4度目――ボストン・レッドソックスからニューヨーク・ヤンキースへ移籍してから初めて――の1921年だった。ワールドシリーズの通算15本塁打は、ミッキー・マントルの18本に次いで多い。

 日本プロ野球で、通算250本以上のホームランを打ちながら、日本シリーズに出場していない選手については、こちらで書いた。

「250本塁打以上を打ちながら「日本シリーズに出場していない」打者たち。最多は465本。現役選手では…」

ベースボール・ライター

うねなつき/Natsuki Une。1968年生まれ。三重県出身。MLB(メジャーリーグ・ベースボール)専門誌『スラッガー』元編集長。現在はフリーランスのライター。著書『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。

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