岡本和真がリーチをかける「5年連続30本塁打」は誰が達成しているのか。原辰徳は4年でストップ
昨年、浅村栄斗(東北楽天ゴールデンイーグルス)のホームランは18本にとどまり、2018年から続いていた30本塁打以上のストリークは、3年で途切れた。一方、同じ年にストリークをスタートさせた、岡本和真(読売ジャイアンツ)は継続。それまでの自己最多プラス6本となる、39本のホームランを打った。
4年連続30本塁打以上は、岡本が延べ27人目だ。小笠原道大とウラディミール・バレンティンが、2度ずつ記録している。小笠原は2000~03年の4年連続と2005~10年の6年連続、バレンティンは2011~14年と2016~19年に4年連続が2度だ。2人とも、ストリークとストリークの間は1シーズン。2004年の小笠原は出場101試合で18本塁打、2015年のバレンティンは出場15試合で1本塁打だった。
これまでの26人中、半数の13人は、4年でとどまることなく、ストリークをさらに伸ばした。歴代最長の王貞治は、1980年に30本のホームランを打ち、19年連続30本塁打以上としたところで、バットを置いた。2002年まで7年連続30本塁打以上の松井秀喜は、ニューヨーク・ヤンキースへ移り、2003年は16本塁打。その翌年、31本のホームランを打った。2003~08年に6年連続35本塁打以上のタイロン・ウッズは、2008年のオフに中日ドラゴンズを退団後、どの球団とも契約しなかった。ウッズが日本プロ野球でプレーしたのは、この6シーズンがすべてだ。1998~2001年には、韓国でも4年連続30本塁打以上を記録している(2002年は25本)。ただ、メジャーリーグではプレーしていない。マイナーリーグだけだ。
あとの13人は、30本塁打以上のストリークが4年でストップした。1980~83年に4年連続30本塁打以上のトニー・ソレイタには、1983年のオフにサンフランシスコ・ジャイアンツが興味を示したようだが、契約には至らず、そのまま引退した。
ソレイタ以外の12人中、達成すれば5年連続30本塁打以上となるシーズン――実際にはそうならなかったシーズン――に、最も多くのホームランを打ったのは、2005年のタフィー・ローズだ。2001~04年は4年連続45本塁打以上ながら、2005年は右肩を痛めて8月下旬に帰国し、出場101試合で27本塁打。故障がなく、130試合以上に出場していれば、30本塁打に到達していたのではないだろうか。2006年2月にシンシナティ・レッズとマイナーリーグ契約を交わしたローズは、1ヵ月後に解雇され、この年はFAのまま過ごした。2007~09年はオリックス・バファローズでプレーし、それぞれ、42本、40本、22本のホームランを打った。
ローズに次いで「5年目」のホームランが多いのは、1985~88年に4年連続30本塁打以上の原辰徳だ。1989年は25本塁打を記録した。原は、1982年から1989年まで、8年連続25本塁打以上。20本塁打以上は、プロ1年目の1981年から1992年まで、12年継続した。
なお、小久保裕紀の場合、2003年の全休を挟み、その前後の2000~02年と2004~05年に、3年連続と2年連続の30本塁打以上を記録している。出場したシーズンに限ると、5年連続30本塁打以上という見方もできる。
また、土井正博の30本塁打以上は、1971~72年と1975年の3度ながら、その間の1973~74年は、両シーズンとも30本塁打まであと1本だった。5年連続30本塁打以上ではないものの、それに極めて近い、5年連続29本塁打以上だ。
もう一つ、岡本がリーチをかけている「3年連続の二冠王」については、こちらで書いた。
◆「岡本和真は、野村克也と王貞治しか達成していない「3年連続の二冠王」にリーチ。2年連続で止まったのは…」
吉田正尚(オリックス・バファローズ)がリーチをかけている「3年連続の首位打者」については、こちら。