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タイトルを分け合った投手たち。最多勝は多いが、最多奪三振と最優秀防御率で並んだのは…

宇根夏樹ベースボール・ライター
斉藤和巳(左)と松田宣浩 MARCH 7, 2017(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

 今から2年前、菅野智之(読売ジャイアンツ)と大瀬良大地(広島東洋カープ)は、ともにリーグ最多の15勝を挙げた。

 この年、大瀬良が15勝に到達したのは9月1日だった。この時点では、防御率2.21もリーグ1位。翌日のスポーツ報知は「球団2年ぶりの沢村賞受賞をほぼ手中に収めた」と記した。けれども、その後の5先発は0勝2敗、防御率4.33。結局、15勝と防御率2.62でシーズンを終えた。一方、菅野は9月1日に別の試合で投げて勝敗がつかず、この時点では11勝と防御率2.59。こちらは、そこからの5先発と1救援で4勝1敗、防御率0.43(3連続完封を含む)を記録し、最多勝だけでなく、最優秀防御率(2.14)と最多奪三振(200)のタイトルも獲得し、前年に続いて沢村賞(沢村英治賞)に選ばれた。

 菅野が15勝目を挙げた3日後、大瀬良は最終戦に登板。6イニングを投げ終えた時点では広島東洋が3対2とリードしていたが、7回表に同点に追いつかれ、16勝目を逃した。

 2リーグ制となった1950年以降、最多勝のタイトルを分け合ったのは、菅野と大瀬良が25組目だ。そのうちの3組は、2人でなく3人。なかでも、1993年のセ・リーグは、山本昌広今中慎二野村弘樹の3人とも左投手だ。この他に、複数の左投手が最多勝に並んだことはない。また、1988年のパ・リーグと1993年のセ・リーグは、どちらも3人中2人がチームメイト。1996年に16勝ずつを挙げた読売ジャイアンツの斎藤雅樹バルビーノ・ガルベスを含め、最多勝のチームメイトは3組を数える。

筆者作成
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 また、1972年のパ・リーグ最多勝は、2人とも1968年のドラフトで指名されてプロ入りした。山田久志は阪急ブレーブスの1位、金田留広は東映フライヤーズの4位だ。1998年のパ・リーグも、3人のうち、黒木知宏西口文也がドラフト同期。この4年前にそれぞれ、千葉ロッテマリーンズの2位指名と西武ライオンズの3位指名を受けた。

 一方、最多奪三振に2人が並んだことは3度しかなく、パ・リーグは皆無だが、その「バリエーション」は最多勝に引けを取らない。2005年の三浦大輔門倉健は横浜ベイスターズのチームメイト、2006年の川上憲伸井川慶は1997年のドラフトでプロ入り(中日ドラゴンズの1位指名と阪神タイガースの2位指名)、2012年の杉内俊哉能見篤史(阪神)はどちらも左投手だ。2005年の横浜は最多奪三振を2人擁したが、チーム全体の1043奪三振は、阪神(1208)と読売(1106)より少なかった。

 最優秀防御率を2人が揃って獲得したのは、2003年のパ・リーグだけ。松坂大輔(現・埼玉西武ライオンズ)も斉藤和巳も、194.0イニングを投げて自責点61だった。

 松坂が防御率2.83で先にシーズンを終え、斉藤は防御率2.92で最終戦のマウンドへ。6回表に併殺崩れで1点を取られたものの、他に失点はなく、完投して松坂と並んだ。ちなみに、6イニング以上を投げて無失点なら、防御率は松坂を凌いでいた。斉藤は20勝、松坂は215奪三振も1位。斉藤は井川とともに、沢村賞を受賞した。

 なお、昨年のセ・リーグでは、山口俊(現トロント・ブルージェイズ)と今永昇太(横浜DeNAベイスターズ)の2人が、防御率2.91で3位に並んだ。こちらの2人もまったく同じ、170.0イニングと自責点55だった。

 打者編は、こちら。

タイトルを分け合った打者たち。本塁打王は10組、打点王は7組、首位打者も2組

ベースボール・ライター

うねなつき/Natsuki Une。1968年生まれ。三重県出身。MLB(メジャーリーグ・ベースボール)専門誌『スラッガー』元編集長。現在はフリーランスのライター。著書『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。

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