タイトルを分け合った打者たち。本塁打王は10組、打点王は7組、首位打者も2組

初芝清 SEPTEMBER 1999(写真:築田純/アフロスポーツ)

 今から6年前、埼玉西武ライオンズの中村剛也エルネスト・メヒアは、それぞれ34本塁打を記録し、ともにタイトルを獲得した。最終戦に代打として出場した中村が、ホームランを打ってメヒアに追いついた。

 2リーグ制となった1950年以降、チームメイトが揃って本塁打王を獲得したのはこの1度きりだ。ただ、中村とメヒアを含め、本塁打王のタイトルを分け合った2人は10組を数える。

筆者作成
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 なかでも、タイロン・ウッズは、3度獲得した本塁打王のうち、1度目と2度目が1位タイだった。ちなみに、3度目の2006年(47本)は2位の李承ヨプと6本差。1998年に韓国で本塁打王(42本)を獲得した時も、2位には李(38本)がいた。

 オレステス・デストラーデの場合、本塁打王は3度とも単独ながら、2度の打点王はどちらも他の選手と並んだ。また、1995年のパ・リーグでは、イチロー初芝清田中幸雄の3人が打点王となった。彼らを含め、打点王のタイトルを分け合った選手たちは7組だ。なお、81打点未満で打点王を獲得したパ・リーグの選手は、1995年の3人しかいない。セ・リーグでも、1961年以降の打点王は、少なくとも85打点を挙げている。

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 一方、首位打者を分け合ったのは2組。1969年のパ・リーグも1987年のセ・リーグも、2人が打率.333333…で並んだ。打数と安打はいずれも違い、永淵洋三張本勲は486打数162安打と480打数160安打、篠塚利夫正田耕三は429打数143安打と393打数131安打だった。

 1987年の正田は、篠塚と同率だったこと以外にも、稀有な首位打者として足跡を残している。首位打者のタイトルを手にしたスイッチ・ヒッターは何人かいるが、1986年までは、1リーグ時代を含めても誰もいなかった。しかも、1950年以降、本塁打ゼロの首位打者は、この年の正田だけだ。正田は翌年も首位打者(.340)を獲得したが、ホームランは皆無ではなく、3本を記録した。