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スチュワートの福岡ソフトバンク入団だけじゃない。あの代理人が仕掛けた「奇策」

宇根夏樹ベースボール・ライター
左から、フィリーズGM、B.ハーパー、S.ボラス Mar 2, 2019(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

 スコット・ボラスの名前は、松坂大輔(現・中日ドラゴンズ)や菊池雄星(シアトル・マリナーズ)の代理人として、日本でも知られている。福岡ソフトバンクホークスと契約したカーター・スチュワートも、ボラスの顧客だ。

 はっきりした時期はわからないが、アトランタ・ブレーブスとの入団交渉が決裂する前後に、スチュワートはエージェントを代えたようだ。ブレーブスと契約しなかった経緯については「福岡ソフトバンクに入団するスチュワートの「計画」。ドラフト全体8位→進学→日本球界ときて、そこから…」で書いた。

 ボラスが仕掛けた(と思われる)「奇策」は、スチュワートの福岡ソフトバンク入団が初めてではない。

 ブライス・ハーパー(現フィラデルフィア・フィリーズ)は、通常よりも1年早くドラフトにかかった。高校にいたままなら、ドラフトの対象となるのは2011年だったが、GED(高卒認定試験)を受け、「飛び級」で2年制の大学へ進学し、2010年に全体1位で指名された。これは、4年制の大学ではないところがポイントだ。4年制の場合、ドラフトの対象は3年生以上か21歳以上というルールがある。

 J.D.ドルールーク・ホッチバーは、ハーパーとは反対に、メジャーリーグの球団と契約するのを1年遅らせた。ドラフト指名を蹴って独立リーグでプレーし、翌年のドラフトに再びかかった。そして、どちらも前年の提示額を凌ぐ契約金を得た。

 ドルーがセントルイス・カーディナルスに入団したのは1998年で、ホッチバーのカンザスシティ・ロイヤルズ入団は2006年だ。彼らの前には、ジェイソン・バリテックも同じ道を歩みかけた。おそらく、これが最初だと思われる。

 1994年6月、ジョージア工科大にいたバリテックは、シアトル・マリナーズから全体14位指名を受けた。この年の10月にボルティモア・サンのトム・キーガンが書いた記事によると、バリテックが85万ドルの契約金を希望したのに対し、マリナーズは40万ドルを提示したという。翌年1月、バリテックは独立リーグのセントポール・セインツと契約した。ドルーとホッチバーの2人と違い、バリテックが独立リーグでプレーすることはなかったが、4月にマリナーズへ入団した際、65万ドルの契約金を手にした。

 バリテックがセインツと契約した時、ニューヨーク・タイムズは「ヤング・キャッチャーがメジャーリーグのドラフトのルールを試す」と題した、マリー・チャスの記事を掲載した。

ベースボール・ライター

うねなつき/Natsuki Une。1968年生まれ。三重県出身。MLB(メジャーリーグ・ベースボール)専門誌『スラッガー』元編集長。現在はフリーランスのライター。著書『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。

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