岩隈久志と菊池雄星の前にマリナーズで背番号「18」をつけた選手たち。そのなかにエースはいたのか
シアトル・マリナーズの背番号「18」は、岩隈久志から菊池雄星へ受け継がれた。岩隈の前にこの背番号をつけたライアン・ローランド-スミスも、その前のエディ・ガーダッドも、同じく投手だ。ただ、マリナーズの「18」は最初から投手の背番号だったわけではない。球団創設からの27年間(1977~2003年)に、投手はビル・スウィフトしかいなかった。
また、マリナーズの背番号「18」は、エース・ナンバーだったこともない。
スウィフトがエースとして投げたのは、マリナーズからサンフランシスコ・ジャイアンツへトレードされてからだ。1992年にナ・リーグ1位の防御率2.08を記録し、翌年も4位の2.82。1993年のサイ・ヤング賞投票では2位に入り、アトランタ・ブレーブスの2人、グレッグ・マダックスとトム・グラビンの間に位置した。
ガーダッドは、マリナーズで59セーブを挙げた。ローランド-スミスは、シーズンを通してローテーションを守ったことがなかった。
岩隈はローテーションの一角を占め、2013年はリーグ3位の防御率2.66を記録するとともに、サイ・ヤング賞投票でも3位に入った。けれども、2010年代前半のマリナーズにはフェリックス・ヘルナンデスがいた。フェリックスと岩隈は「キング&クマ」であって、「クマ&キング」ではなかった。
フェリックスは今もマリナーズにいるものの、「キング」として試合を支配した時代はすでに過ぎ、再び「君臨」する可能性は低い。フェリックスに代わるエースとして台頭したジェームズ・パクストンは、昨年11月のトレードで、ニューヨーク・ヤンキースへ移った。現在のマリナーズは、菊池がいきなりエースとなってもおかしくない状況だ。
なお、マリナーズで背番号「18」をつけた後、日本プロ野球へ移ったのは、読売ジャイアンツに入団した岩隈が初めてではない。いずれも他球団を間に挟んでいるが、ジョー・リスは1978年に近鉄バファローズ、ロッド・アレンは1989~91年に広島東洋カープ、レジー・ジェファーソンは2000年に西武ライオンズでプレーした。