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空気を読む男とノーと言えない女 ドラマ「凪のお暇」にみる気持ちの伝え方

海原純子博士(医学)・心療内科医・産業医・昭和女子大学客員教授
(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

「忖度(そんたく)」という言葉が一般的になり、空気を読まない人はこの時代取り残されるという危機感が社会に漂っています。あなたは空気を読むことで疲れていませんか? 空気を読むのが得意だけれど空虚な男性と、ノーと言えなくてストレスに陥り脱出しようとする女性が登場する金曜夜のテレビドラマ「凪のお暇」(TBS系)、興味深く見ています。

私はこの20年ストレスで体調を崩したり過剰適応でうつ状態に陥る方とかかわってきたのですが、そうした方に共通するのは「ノーと言えない」「嫌でも我慢して相手に合わせてしまう」「断ると相手に悪く思われるからそれが怖くて断れない」という理由で自分の気持ちを抑圧し相手に合わせてしまう傾向が非常に強いことなのです。

空気を読み続けるとこんなことも

頭、背中の左側と左腕に激痛があり病院を受診した20代の女性Aさんがいました。身体の左側に限局した痛みなので様々な疾患を疑われ精密検査をしましたが特に異常はなく、薬を投与されても改善しませんでした。勤務ができず症状も改善しないその女性、悩んだ末相談にいらしたのですが、いろいろお話を聞いてみると会社の左側の席にこの方とうまくいかない女性の先輩がいたのです。

その先輩は帰り支度を始めたAさんに仕事を振ったり、なにかと嫌味を言ったりするのです。でもAさんは黙ってニコニコと仕事を引き受けていました。Aさんは社内で「若いのによくやる子だね」という評判のいいかたでした。家に帰ってもご両親に心配をかけてはいけないという思いでつらいことを言わずに過ごしていたところ、身体に症状が出現したのです。身体の症状はAさんの心の悲鳴でした。

ドラマ「凪のお暇」を見ていてAさんを思い浮かべました。黒木華さん演じるドラマの主人公・凪も会社で周囲の人の都合に合わせ、嫌でもノーと言わず引き受けてついに過呼吸を起こし自分らしい生き方を求めて退社するからです。

「いい人」の三つの危険

自分の気持ちを抑え我慢して周囲の空気や相手の都合に合わせているのは「いい人」ではなく「相手にとって都合のよい人」でしょう。こうした状況を続けていると過剰適応により三つの危険があります。

一つは、ドラマの主人公のように身体に症状が出ることがあります。頭痛、過呼吸、消化器の症状(下痢や便秘、食欲不振)、過食、めまいや耳鳴りなどが多い症状です。心身症などといわれる症状です。

二つめの危険は、うつ症状です。自分の気持ちを抑えているうちに自分がどんな気持ちか分からなくなって何も感じなくなる、そしてうつに陥る、というものです。楽しい気持ちにならず、空虚で睡眠障害が起こったり、食欲が低下したりという症状が起こります。

三つめの危険は感情爆発です。いい人が突然切れて暴力をふるったり、暴言を吐いたりということが起こります。周りからいい人、穏やかな人、目立たない人と思われていた人が突然事件を起こしたりするようなことがこうしたケースです。

さて一方、ドラマの主人公・凪の元カレ、高橋一生さん演じる慎二は、空気を読み相手の気持ちを満足させるのが得意で社内での評価も高いのですが、実は空虚な自分について自己肯定感が低い人物。自分の気持ちのありのままを相手に伝えるのが怖くて凪に気持ちを伝えられず、逆に思いとは反対の発言をしてしまいます。

自分のありのままの気持ちを大事にして嫌な時にはノーと言い、時には波風を立てつつも自分らしい人生をスタートしようとする凪と、まだふっ切れない慎二は、すれ違いを続けます。

身体の症状は心のサイン。自分らしい人生のスタートのチャンス

自分らしい人生をスタートできるか、できないかの違いはどこから生まれるかお分かりでしょうか? スタートできるか、できないかの差は皮肉なようですが「これ以上は続けられない」という身体のサインにあります。

前述のA さんは、症状が出たことでノーと言えない自分に気がつきました。そして自分ができることとできないことをきちんと考えて、できないと思う時はノーと言うことのトレーニングをしたのです。その中でAさんはノーと言うと相手が嫌がる、相手に嫌われる、それが怖いと感じていることに気がつきました。相手に嫌われたりダメな人と思われたりすることで自分の価値が下がるように感じている自信のなさにも気がついたのです。身体の症状が出なければそのまま不完全燃焼したように過ごしていたはずです。

ドラマの主人公・凪も身体に症状が出たことで「これはもう続けられない」と退社を決心したのです。身体の症状は心のサインです。

身体の症状が出ると「弱い人」と言われることがあります。私はそうは思いません。感情を強く抑え続けると、過剰適応で身体症状が出現することはお話しした通りです。ですからもしあなたに身体の症状があったら、ノーと言えず我慢していることがないかをご自分に問いかけてください。それは新しい自分のスタートになるチャンスです。

目指したいアサーティブなコミュニケーション

これまで空気を読んで相手に合わせていた人が急にノーと言うのは難しいものです。それにはトレーニングが必要です。これは例えば語学の学習と似ていて、毎日少しずつ続けないと上達しません。というのは私たちのコミュニケーションスタイルは支配か服従、あるいは妥協という形式がほとんどだからです。

ノーと言うのはわがまま、と考えている社会通念の中で育ってきて上司や目上の人や権威のある人に逆らわないことを良しとしてそれに慣れてきたわけですから、相手を尊重しつつ自分の気持ちや意見をきちんと伝えるいわゆる「アサーティブ」というスタイルのコミュニケーションスタイルに慣れていないのです。

ドラマに見る、ノーと言う学習方法

さてドラマの中で主人公は自分の気持ちをきちんと伝えるために二つのことをしています。

1.日常の小さなノーから始める

凪が始めたノーは、商店でレジの計算間違いに気がつきそれを指摘することでした。このくらいの間違いなら仕方ないか…とあきらめていた以前と異なり勇気を出して指摘できたことで、凪は自信を持てました。また間違いを指摘しても決して悪い結果にはならないことを体験したのです。このように日常の小さなノーを伝えることは自己肯定感を育てるいい機会です。

2.YouメッセージではなくIメッセージにして話す

断るときや相手の意見に同意できないとき「あなたがこうだから」という表現ではなく「私はこう思う」という表現にすると比較的楽に気持ちを伝えることができます。ドラマでは凪は不要なブレスレットを買わされそうになるときや元カレ慎二との関係を解消する時に「私は不要」「私はあなたの外側だけ見ていた」というようにI、つまり私、を主語にして話していました。これはノーを伝えるときに有効な方法です。あなた(You)が、と言うと相手は責められたような気分になり炎上しやすいといえます。

ノーを伝えるのはわがままではなく相手を責めるわけでもありません。お互いがオーケーな関係を築き自分を活かしたいものです。ドラマで凪が自分の気持ちを表現しアサーティブ度をアップするプロセスに注目したいものです。

博士(医学)・心療内科医・産業医・昭和女子大学客員教授

東京慈恵会医科大学卒業。同大講師を経て、1986年東京で日本初の女性クリニックを開設。2007年厚生労働省健康大使(~2017年)。2008-2010年、ハーバード大学大学院ヘルスコミュニケーション研究室客員研究員。日本医科大学医学教育センター特任教授(~2022年3月)。復興庁心の健康サポート事業統括責任者(~2014年)。被災地調査論文で2016年日本ストレス学会賞受賞。日本生活習慣病予防協会理事。日本ポジティブサイコロジー医学会理事。医学生時代父親の病気のため歌手活動で生活費を捻出しテレビドラマの主題歌など歌う。医師となり中止していたジャズライブを再開。

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