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“ニコ動世代”の「アングラ芸人」ムラムラタムラはいかにして生まれたのか

てれびのスキマライター。テレビっ子
フリーのムラムラタムラ

【シリーズ・令和時代を闘う芸人(6)】

「ムラムラタムラ」インタビュー(前編)

個性的で注目の若手芸人を紹介するシリーズ連載。今回は今年1月、『有田ジェネレーション』(TBS)に「アングラ芸人」として突如出現し、大旋風を巻き起こしたムラムラタムラ。「もっこりからのりーこもちゃん」という意味不明なフレーズを奇天烈な動きとともにハイテンションに繰り返す一度見たら忘れられない存在だ。

その後も出演する度にスタジオをパニックに陥れ、そのインパクトゆえ、アンガールズ田中は『有ジェネ』が現在は「ムラムラ期」だと評するほど。最近は『有ジェネ』以外にも活躍の場を広げている。

■“陰キャ”のおちゃらけ

取材場所にアメコミのTシャツ姿であらわれたムラムラタムラは、「めちゃくちゃ陰キャですよ」と自称する。『涼宮ハルヒの憂鬱』『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』『ジョジョの奇妙な冒険』『弱虫ペダル』『らき☆すた』『けいおん』……と好きな漫画・アニメは矢継ぎ早に出てくる。ゲームも大好きだという。そんな彼がいかにしてハイテンションな芸風の芸人になったのだろうか。

陰キャは陰キャなんですけど、子供の頃からふざけるのは大好きだったんです。僕はマジで記憶にないんですけど、幼稚園で友達の誕生日会みたいなことをやった時に「○○くんが誕生日だからでんぐり返しします」って言ってでんぐり返ししたそうなんですよ(笑)。当時から、そういうことをするのが好きだったみたいですね。それで足も速かったから、小さいときはそれだけでモテてました。でも中身は陰キャです。

家族は仲がいいんですけど、全員がオタクで、アメコミや『ガンダム』、ゲーム好きは6つ上の兄の影響です。両親は映画オタクで、4つ上の姉も含めてみんな『スター・ウォーズ』好き。母親は学生時代、NGKに行くくらいお笑い好きでもあったんです。確かに、さんまさんや、タモリさん、ダウンタウンさんとかの番組はずっと見てましたね。だから、母親に中1か中2の時、「お笑い芸人になったら?」って勧められたんです。

そして彼のお笑い観やカルチャーの摂取に大きな影響を与えたのは「ニコニコ動画」だった。

僕がお笑い芸人に憧れ始めたのもその頃からです。島根出身で、テレビ朝日系列局がなかったから、『笑いの金メダル』が土曜の昼にやってたんですけど、そういうのを見ていました。

あと、ニコ動が大きかったんです。『ごっつええ感じ』の「ゴレンジャイ」のMAD動画があったんですよ。『ガンダムSEED』のキャラクターに「ゴレンジャイ」の声をあてるというやつで、それで初めて「ゴレンジャイ」を知ったんです。そういうネタにされているものの元を探って、元の作品自体を好きになるのが多かったですね。『ジョジョ』や『ハルヒ』、『らき☆すた』も全部、ニコ動から入って好きになっていきました。全然コメントとかはしない“ROM専”でしたけど、ずっと見てました。

中学のときに「FPS」のゲームにハマり、高校時代はゲーム内の公式戦などで優勝をしていたほどの腕前。「動体視力とか反射神経が大事なので今は全然負けます」
中学のときに「FPS」のゲームにハマり、高校時代はゲーム内の公式戦などで優勝をしていたほどの腕前。「動体視力とか反射神経が大事なので今は全然負けます」

僕が育った島根の津和野町は、土地柄みんなおとなしい。学校ではクラスの男子みんな仲がいい感じでしたね。その中で僕はおちゃらけてて、高校のときは、今まで誰も怒ったところを見たことがない先生を怒らせてしまったりしてました。手を挙げてふざけすぎて、全然僕を当ててくれなくなった先生とかいましたもん。「授業が進まん」と。けど、内面は陰キャなので、今でもおどおどはしますね。舞台とか表舞台に上がるときに変わるだけで、それ以外は全然おとなしい。めちゃくちゃマジメですね、恥ずかしながら(笑)。

テレビでああいうネタをやっているから、変な期待とかをされてしまうんですけど、たまに芸人さんに「おまえ、こんな感じなんや」ってガッカリされることがあります。芸人仲間と夜な夜なゲームをしたりするんですけど、この間、「ゲーム、真面目にやるし、普段めっちゃ真面目やからなあ。マジで、二度とおまえのネタで俺は笑わない」って言われました(笑)。自分の中でも悔しいんですけど、もう本当に普通なんです。

■ムラムラタムラ誕生

高校卒業後、ムラムラタムラは島根から大阪へ。吉本の養成所「NSC」に大阪34期生としてお笑いの世界に足を踏み入れた。同期には蛙亭、さや香、エンペラー、トニーフランク、ファイヤーサンダーなどがいる。東京NSCではオズワルド、空気階段、ラフレクラン、ガーリィレコードなどが同期にあたる。

東京ではなく大阪を選んだのはお笑いの本場は大阪だっていうイメージがあったからですね。やっぱり僕の中では大阪でブワッと売れてから東京に行くっていうのがカッコいい売れ方だと思ったんです。NSCには高校時代の同級生とコンビを組んで行きました。その相方も僕も、漫才は合ってないということを早めに気づいて、コントをやっていましたね。ネタは相方が書いていたんですが、普通のコントじゃないだろうってことで、相方が大まかなネタを持ってきて、それに2人でボケを足していくっていうツッコミ不在のコントでした。周りからは「変なネタをやるヤツら」っていう認識だったと思います。

同期の蛙亭は最初からAクラスでずっとエースでしたね。さや香は「ハナガタ」というコンビと「オリオン」というコンビの片方ずつが組んだんですけど、どちらもエリートでした。僕らはずっと一番下のCクラス。授業自体が別々なので最初の頃くらいしか話したことがなかったんです。最近、『有田ジェネレーション』に一緒に出るようになって久々に蛙亭とちゃんと話すことができました。岩倉ちゃんとか中野くんも全然変わらない。どっちもいいやつという。

僕らの場合、同期で「あいつらはライバルだから」みたいなギスギスした感じはまったくないですね。ファイヤーサンダーの崎山くん(※「崎」は“立つ崎”が正式表記)は尖ってましたけど(笑)。ずっと吠えてる犬みたいな。仲はいいですけど。みんながんばり屋さんで、遊んでたやつは辞めていっている感じですね。

やがて相方が体調を崩したことにより解散し、ピン芸人となった。

覚えられやすくてしょうもない名前にしようと思って「ムラムラタムラ」にしたんですけど、ピンになって、その月のうちに「りーもこちゃん」は生まれました。最初は「もっこり」だけやっていて、なんか「もっこり」だけじゃ締まりがよくないなとなって、「もっこり」の逆をやったらいいんじゃない?となった。動きも、「もっこり」の逆の「りーもこちゃん」の動きができて、という感じでした。なんかよく分からないものだし、よく分からないもので押していこうと思って。もちろんお客さんには余裕でちんちんにスベってました(笑)。袖の芸人や子供にはウケてましたけどね。

元相方は現在、ゲーム制作会社に勤める傍ら絵本を書いているという。
元相方は現在、ゲーム制作会社に勤める傍ら絵本を書いているという。

最初は白いタンクトップに女性用の黒いホットパンツ。どっちもユニクロ。普通に黒縁眼鏡で、髪の毛も黒。めちゃくちゃ地味でした。そこから、ちょっと明るくしたほうがいいんかなとなって、アディダスの女性用のおへそが出ている袖なしの赤色のヨガタンクトップと、下は同じ柄のアディダスの男性用短パンの水着を着て、眼鏡も黄色にしました。そこから東京へ来て、東京で1年やって吉本を抜けた後に、だいぶよれよれになってきたんで、汚いしもう変えようと。

次の衣装は何にしようかなと思って、ちょっと「キモい」服を着ようと、適当にいろんな色を探したんですよ。レオタードとか着たらキモいなと思って、ヤフオクで探したら今のやつが見つかって。そのとき、『フォートナイト』というゲームに、めっちゃはまり出していた時だったので、このレオタードはキャラが着てそうだなと思って。そこから『フォートナイト』にどんどん近づけていこうと金髪にしたり、まず衣装からアメコミっぽくしましたね。

「キモい」をキーワードに選んだ衣装を着ても、彼から下品さを感じない理由の一つはその均整のとれたくびれた体型だろう。

ほぼ遺伝で、母親が痩せてガリガリで、父親がどっちかというとちょっと筋肉質で、毛も全然生えていない。それをいい感じで受け継いでますね。高校時代、柔道部だったので、筋トレをしてたんですけど、筋肉はあんまりつかないで締まった身体になりました。この体型は保っておきたいなと思うので、一応食べ物とかに気をつけつつ、暇な時間に軽く筋トレをする程度です。今のところは代謝がいいので、太らないでくびれは維持できてますね。ただ、コーラとかお菓子が大好きなんです。だからめっちゃ考えちゃいますね。「きのう、コーラ、お菓子食ったしなあ、きょうはやめとくか」みたいな。無駄なお金の消費にもなるんで、別になくてもいいじゃないですか。我慢できるものは、我慢しようみたいにマジメに考えてしまうんですよね(笑)。

■大阪時代の恩人

大阪でムラムラタムラとしてピン芸人デビューした彼に真っ先に手を差し伸べたのは意外な人物だった。

デビュー当時は「5upよしもと」に出るために「サードチャレンジ」というものに出てそこから上に上がるというシステムだったんですけど、途中から、「煌~kirameki~」というシステムに変わっちゃって、「5up」もなくなって「漫才劇場」になったんです。そうするとピン芸人やコント師は出る場所がなくなってしまって。そういうキツい状況を知って、たむらけんじさんが「漫才劇場に出られない奴らは俺のライブに出ろ」って、全然劇場じゃないスペースを借りて毎週ライブを開催してくれたんです。MCもたむけんさんだし、豪華な人も出るから会場は満員になる。そこにピン芸人やコント師、1年目、2年目の若手とかみんなにチャンスを与えてくれたんです。だから本当にお世話になりましたね。その頃にはもう「りーもこちゃん」をやっていたんで「なんや、おまえ」って可愛がってくれて。僕が初めてテレビに出たのは『松本家の休日』なんですけど、それもたむけんさんの推薦でした。僕が東京に行くときに、吉本の社員さんにかけあってくれたのもたむけんさんなんです。

『R-1ぐらんぷり』はピン芸人になって以降、毎回「りーもこちゃん」を引っさげ出場している。

全然余裕でずっと1回戦落ちです(苦笑)。謎に、それこそ初めてムラムラタムラで『R-1』出場したときだけ、2回戦まで行きましたね。その時、今までの中でトップ3に入るぐらい大ウケしたのに落ちたんで、悔しさもむっちゃ覚えています。先輩に止められてはいたんです。「お前、そんな下ネタやって売れる気あんのか?」って。でも、僕自身は「りーもこちゃん」を別に下ネタとはあんまり思ってなくて。逆に、絶対「りーもこちゃん」をやめんほうがいいと言ってくれる先輩もいたんです。その先輩のおかげで今も続けているというのはありますね。それで、僕にやめたほうがいいって言ってた先輩が2回戦の大ウケを会場で見て「ごめん、あのときあんなことを言ったけど、全然俺が思ってるのと違うかった。絶対、これ続けろ」って言ってくれて自信になりました。

やっぱり『R-1』で優勝したいって気持ちは今でもありますね。ギャフンと言わせられる結果じゃないですか。どんだけ俺のことを見下そうとも、「俺は『R-1』に優勝しているからね」と言える。そういうひとつの強みはほしいですね。絶対に出せる切り札というか。賞レースの優勝はやっぱりカッコいいですしね。

後編はこちら

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■ムラムラタムラ(@muramocochan

NSC大阪34期生。「ゆーひび」というコンビでデビュー後、解散し、ピン芸人「ムラムラタムラ」に。現在はフリー。1992年6月21日生まれ。島根県出身。

(取材・文)てれびのスキマ 

(編集・撮影)大森あキ 

(取材日)2020年8月末

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ライター。テレビっ子

現在『水道橋博士のメルマ旬報』『日刊サイゾー』『週刊SPA!』『日刊ゲンダイ』などにテレビに関するコラムを連載中。著書に戸部田誠名義で『タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?』(イースト・プレス)、『有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか 絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』、『コントに捧げた内村光良の怒り 続・絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』(コア新書)、『1989年のテレビっ子』(双葉社)、『笑福亭鶴瓶論』(新潮社)など。共著で『大人のSMAP論』がある。

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