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「少子化対策」の現在:岸田政権に期待すること

筒井淳也立命館大学産業社会学部教授
(写真:イメージマート)

2021年10月に岸田政権が発足してもうすぐ1年が経過しようとしている。その間、同年11月の衆議院総選挙で自民党が単独過半数、2022年7月の参議院選挙(半数改選)でも再び自民党が大勝した。これから当分は大きな選挙がなく、ある意味では「政局」から離れた安定した政策展開ができる時期である。

直近の政策課題は、新型コロナ対策、そして物価高とそれに伴う生活困難であろう。他方で、少子化対策は、景気・雇用や年金・医療と並んで、有権者が持続的に重視する政策課題で有り続けている。つまり、多くの国民が政権に期待しているのは、「経済が良くなって雇用が改善し、安心できる医療・年金体制が整備され、出生率もある程度高い」ような社会なのであろう。2022年2月からのロシアのウクライナへの本格侵攻もあり、外交・安全保障への関心も高まっていると思われるが、「経済・社会保障・少子化」への関心の方が、安全保障や憲法改正よりも強い傾向は続いている。

日本政府のこれまでの少子化対策をどう評価したらいいのか

日本政府が1990年代に「少子化対策」を本格化させてから、すでに30年ほどが経過した。その骨格は、ずばり育児支援だった。すなわち、エンゼルプランに基づいた公的保育の拡充と、育児休業制度の充実である。これらは約30年間にわたって、大筋で改善・改訂を重ねてきたと言える。実際、子育て期における公的な支援制度だけを見た場合、日本の制度は決して他の経済先進国より「著しく劣っている」わけではない。

日本の1990年代からの約30年間の出生率の推移を見たとき、二通りの評価をしたくなる。ひとつは、「少子化対策の成果はなかったのではないか」という評価である。数字だけ見ると確かにそういいたくもなるかもしれない。2005年に最低の合計特殊出生率(1.26)を経験したあと、出生率は少しずつ上がり始め、2015年に1.45を記録したあとは再び下がり始め、2020年は1.33にまで下落した。出生数も基本的には下落しており、2016年には100万人を割り込み、2020年には84万人まで低下した。

他方で、「ある程度少子化対策の成果はあったのではないか」というポジティブな評価をしたくなる要素もある。全体の合計特殊出生率ではなく、出生コーホート別(5年刻み)の出生率を詳しく見てみてみよう。出生率は1965-69年生まれ女性から急に下落を始め(44歳時点で平均1.6、その前の世代より0.25減少)、次の1970-74年生まれ女性は44歳時で1.47と、さらに大幅に下落した。ところが、その次の1975-79年生まれ、さらに1980-84年生まれではこの低下傾向は顕著に緩和された。これは2005年から2015年、出生率の回復時期にあたる。

他国に目を向けてみよう。実は、出生率の低下はほとんどの経済先進国で問題になっている。カナダは日本と同じく1970年代に「現代型」の出生率低下が始まり、2000年には1.49まで下落、その後2008年に1.68まで回復したが、その後再度低下、2020年では1.40と過去最低を記録した。福祉国家の先駆けであるイギリスは2019年で1.63と、ここ10年あまりは下落が続く。同一労働同一賃金、ワーク・ライフ・バランスで有名なオランダは2019年で1.57、手厚い福祉制度で有名なスウェーデンは同年1.71となっている。そのお隣のフィンランドは、スウェーデンと同じく手厚い子育て支援のある先進福祉国家であると認識されているが、同年1.35まで出生率が下落し、話題になった。

経済先進国で日本と同様に早い時期から極めて低い出生率を経験してきたのはイタリアとドイツであるが、ドイツは様々な支援制度が実を結んだこともあり、2016年時点で1.60と、最低水準だった1995年の1.25からの大幅改善がみられた。他方でイタリアは低調で、2019年で1.27と日本を下回っている(スペインも同様)。

このように多くの国では人口を維持できる出生率を大幅に下回っており、その意味では少子化は先進国の宿命のような現象であるといえる。

そのなかでも特筆すべきでは東アジア社会の低出生率である。韓国では2020年についに出生率が1.0を割り込み(0.84)、2021年にはさらに0.81という、驚異的に低い出生率を記録した。同様にシンガポールや中国の出生率(中国だと2021年の合計特殊出生率は1.2前後という推計がある)も、日本より深刻な状態になっている。

東アジアの低出生率については、さまざまな要因が複合的に作用している。社会の変化の速さ(たとえば若年雇用環境の変化)に公的制度が追いついていないこと、(それと関連して)ケアを家族、特に家族の女性に頼って、政府や企業があまりサポーティブではない「(消極的)家族主義」の傾向が強いこと、そして欧米と比べてカップル・恋愛を重視しない文化的傾向が強いこと、などがあげられる。

確かに、こうみてみると、日本は「まだまし」な方であるといいたくなる。

全体として政府の制度が効果を持ったのかについては、定量的に判断することが極めて難しく、はっきりとした見解は存在しない。個人的には、日本の少子化対策は「足りないが効果がまったくないというわけではない」と判断している。

日本で出生率が上がらない理由

日本で出生率を低下させているのは、むしろ制度の十全な活用を阻むインフォーマルなハードルである。2つ挙げておきたい。ひとつは結婚、もうひとつは職場環境である。

結婚、すなわち晩婚化・未婚化については、出生率低下の大きな要因であるのにもかかわらず、子育て家庭への支援と違い、政府が直接に対策することが難しい分野である。韓国のように若年の深刻な失業や極めて高い住宅費用が日本でみられるわけではないが、非正規雇用の増加、賃金の低迷などはここ20年間で顕著に進み、婚姻率を低下させたはずだ。さらに、これは東アジアにある程度共通すると考えられるが、私たちのあいだに確実にある、人生で(欧米社会と比べて)恋愛関係を重視しない傾向がカップル形成を遅らせている可能性が高い。

雇用や賃金は別として、恋愛や結婚の決定自体は政治で動かすことが難しい要素であり、この点にあまり期待してもしょうがないのかもしれない。

次に職場環境だが、こちらは恋愛・結婚と比べればまだ政府が介入する余地がある。職場の多くは確かに「民間」の空間だが、規制が入りやすい「準公共」的空間でもある。この点では、日本政府の政策は、ある意味で「失敗」が続いてきたとさえ言える。

その失敗を短く言うと、保育や育児休業といった制度の拡充に焦点をあてるだけで、全体的に「主婦のいる男性」の働き方を変えることをしてこなかったことである。制度の拡充で育児期だけは乗り越えられても、復職後に女性が出世コースから外れる、男性は育児休業制度をほとんど利用しないといった理由で、「安定した稼ぎの見込みがある男性としか結婚できない」という思いがあまり弱まらず、結婚のハードルが高いままになった、あるいは男性雇用の不安定化でむしろ高くなった。転勤、長時間労働なども「主婦がいる男性」を想定した慣行である。

このせいで日本の「共働き」化はほとんど進まなかった。話題になった令和4年版「男女共同参画白書」でも、増えたのは「フルタイム男性+パートタイム女性」で、フルタイム就業の夫婦はそれほど増えてこなかったことが指摘されている。政府は、「育児期だけはサポートする」のではなく、全体的な働き方改革に一層注力すべきである。

ただ、ワーク・ライフ・バランスのいっそうの拡充で共働き体制が整ったとしても、先に結婚について述べた理由で、婚姻率・出生率が1960年代の水準まで上昇することはないだろう。雇用慣行の改善は、出生率上昇の決定打ではない。ただ「政府ができること」のなかでは最重要課題のひとつであることは間違いない。

考えてみよう。子ども手当を拡充させても、妻がずっとフルタイムで、昇給も一定程度続くような働き方をしたときのトータルな収入に比べると、極めて小さな金額に過ぎない。ワーク・ライフ・バランスの拡充は、言ってみれば実質的に「きわめて額の大きい子ども手当」にもなるし、社会保険制度を通じて老後の生活の安定もつながる。税収の増加は、さらなる支援の拡大を導入しやすくもする。

岸田政権に期待すること

岸田総理は2022年8月、(一部には旧統一教会との癒着の批判を受けて)前倒しした内閣改造時の記者会見において、新内閣は「政策断行内閣」だとし、「有事の内閣を速やかに整えていく」と述べた。有事として想定されているのは新型コロナ、安全保障、物価高であろう。

ただ、日本社会の最大の問題の一つである低出生率はすでに半世紀ほど続いており、解決の糸口がつかめない「有事」だ。確かに、先に述べた理由で直接に政府ができることが限られていることもあり、子育て支援の分野では政策課題としての「目玉」を打ち出しにくいのは確かである。現に、制度の拡充は現在も続いている。2022年4月から、育児休業制度の個別周知・意向確認が義務化され、出生児育児休業(産後パパ育休)の分割取得など、制度の柔軟化も進んだ。制度が継続的に改善されているなかで、むしろずっと問われているのは「制度の円滑な利用を阻む働き方・職場環境」をいかに変えていくか、ということを改めて強調したい。

また、あまり指摘されていないことだが、ライフコースのなかでの地理的移動を減らすこともひとつの案であると個人的には考えている。進学にしろ就職・転勤・転職にしろ、地理的移動をすると家庭生活(その見通しを含め)は阻害される可能性が高い。もちろん移動の自由は近代社会の重要な要件の一つであるが、それを前提としつつ、多くの人が生まれ育った場所で進学・就職を経験できるようになれば、親類や周囲からのインフォーマルなサポートも得られやすいし、また家族キャリアのプランも立ちやすくなるはずだ。

もちろん、教育、働き方や雇用慣行を「上から」変えると、必ず「しわ寄せ」がある。余裕のない企業が経営に行き詰まったり、その影響で失業率が高くなる可能性もある。ただ、副作用をできるだけ抑えて当初の目的をどう達成するのかを考えることこそが政治の役割なのであり、耳心地の良いスローガンを掲げること(しかしその後の成果は問わない)は政治の本質ではないだろう。

もう一点は、移民政策である。日本国民は全体的に移民に否定的であるが、少子高齢化のなかで、移民労働力をあてにしないで不足する現業あるいはケア労働の労働力を補うのは至難の業である。シンガポールや台湾、香港のみならず、日本より出生率が高い国でも、外国出身の人口の割合はほとんどの先進国で10%を超えており(20%超えも珍しくない)、移民労働力はすでに社会に不可欠な存在になっている。

実は日本もある程度その段階に来ている。海外と違ってケア労働においては外国人労働力はまだ目立たないが、建設、農業、小売・サービス業の一部は海外からの労働力でようやく成り立っている企業が多くなった。移民政策はすでに、「進めるか進めないか」ではなく(進めないと経済や生活がいずれ成り立たなくなる)、「どう進めるか」の段階なのだ。

移民の問題はどの国でも政治家にとって頭が痛いものである。企業や一部の家庭からのニーズは根強く、しかしその副作用も決して目立たないわけではない。日本でも(技能実習制度を含む)移住してきた人々の生活を保障し、支援する制度は極めて貧弱であり、自治体・民間任せの現状である。また、そもそも円安の進行もあって、移民先としての日本の魅力は小さくなっている。

欧米やシンガポールでは女性のケアワーカー、多くはドメスティックワーカー(家庭内労働者)が目立つが、社会正義の観点からも、自らの子と遠く離れて暮らす女性移民の存在が全面的に肯定できるわけではない。移民労働力は、国際的な賃金格差にドライブされた人々の移動であり、完全に自由選択として生じているわけではない。ただ、それだけに、外国の方が移民先の地でできるだけ安心して暮らせ、将来を見通すことができる生活環境を整えることは、受け入れ元の政府の当然の役割であろう。

立命館大学産業社会学部教授

家族社会学、計量社会学、女性労働研究。1970年福岡県生まれ。一橋大学社会学部、同大学院社会学研究科、博士(社会学)。著書に『仕事と家族』(中公新書、2015年)、『結婚と家族のこれから』(光文社新書、2016年)、『数字のセンスを磨く』(光文社新書、2023)など。共著・編著に『社会学入門』(前田泰樹と共著、有斐閣、2017年)、『社会学はどこから来てどこへいくのか』(岸政彦、北田暁大、稲葉振一郎と共著、有斐閣、2018年)、『Stataで計量経済学入門』(ミネルヴァ書房、2011年)など。

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