「ついカッとなった、人生、ガラッと変わった」とならない、カープ緒方監督の不思議

暴力行為はリーグ優勝3度の実績を台無しにしてしまう(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

広島の緒方監督が選手に暴力を振るうも、球団は厳重注意という大甘な処分に留め、メディアからも糾弾の声は高くない。アスリートもそれ以前に社会人である以上、一般社会の倫理観でこのことは判断されるべきではないか。

「ついカッとなった、人生、ガラッと変わった」

電車で通勤、通学している人ならだれでもこのフレーズを目にしたことがあるはずだ。鉄道事業者が合同で作成した車内暴力防止のポスターに記載のコピーだ。

しかし、これは金曜夜のすし詰め通勤列車内の酔っ払いだけに向けたメッセージではない。われわれ社会人の毎日はストレスとの対峙である。減らない無駄な仕事。無能な上司と理解不能な若造。無理難題吹っかける顧客・・・しかし、みんなそれらと戦って生きている。

そして、みんな知っている。冷静にならなきゃいけない。短気を起こして、怒りをぶちまけたり、いわんや暴力を振るっては全てが台無しになる。決して誇張ではなく、それで大切な家族が路頭に迷うことにもなりかねない。みんな知っているから、電車の中でたかだか肩が触れたとか、前に抱えていないリュックが邪魔だとかで、酔いもあって暴力を振るった人に決して同情しない。その人物がいかに仕事で成果を出していても、お酒が入っていない限り良き上司であっても「それやっちゃ、おしまいだよね」とみんな思っている。

一般社会の規範が通じないスポーツ界

しかし、なぜか例外適用の世界が残っている。それがスポーツ界だ。学校の運動部で暴力を振るう指導者がメディアを通じて糾弾されるケースは珍しくないが、かならず「普段は人望も厚い熱心な監督で・・・」とか「熱血指導の余り」というような全く意味不明な擁護論も出てくる。仮にそうであっても、暴力を振るった瞬間に全てが否定されるべきだと思う。

数日前にネットで「広島の緒方監督は名監督か?」という主旨の記事が掲載されていた。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190720-00012597-bunshun-spo&p=1

「名監督の条件」とされる基準をいくつか挙げて、それを彼が満たしているかを評価して、最終的に名監督と言えるかどうか、という内容だった。もちろん、このような記事は結論ありきで書かれているのだけれど、ぼくに言わせれば今回の暴力で、彼の指導者としての資質が3度のリーグ優勝の実績を含め否定されても致し方ないと思う。その後セカンドチャンスはあっても良いと思うが、まずはその暴力行為は全否定されるべきだ。

また、体罰で選手を御そうとした事実は、彼のマネジメント力、リーダーシップ、コミュニケーション力に疑問を呈されても仕方ないと思う。

球界の集団としての結びつきは威嚇と暴力と強制で成り立っているとすると、相互依存関係にあるDV夫婦のようで気持ち悪い。

ぼくも日常生活では管理者の端くれだが、「怒るのではなく教える」「叱るのではなく諌める」「怒鳴るのではなく励ます」ことに努めている。また、「苦言を呈する時はマンツーマンで」、「褒める時はみんなの前で」を実践している。昭和は遥か遠くになりにけり、の令和の現代では、これらはマネジメントの極めてベーシックな部分だと思う。

アスリートである前に社会人

こういうことを書くと、必ず「サラリーマンとプロ野球選手を一緒にするな」という意見をいただく。しかし、それは全く違うと思う。職種は違っても人間はみな同じという極めて根本的なことを理解できない、しようとしない人たちがなぜかファンにもメディアにも多いのである。

スポーツマンもそれ以前にまずは人間だ。彼らのソサイエティのあるべき姿を考えるにあたって、アスリート集団としての特殊性以前に、まずは社会人として、人としての社会性が確立していなければならないと思う。人権の尊重、暴力の否定はその中でも最も重要なことだ。だから、今回の緒方監督の行為は(公になったのがこれだけで、他にもあったと考えるべきかもしれない、そして彼以外の球界指導者においても)決して許されないことをファンは認識すべきだし、メディアはもっと糾弾すべきだ。