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現役を退くデビッド・ライトが「引退」という表現を避けたのはなぜか?

豊浦彰太郎Baseball Writer
会見では涙を拭う場面もあったが、「引退」とは明言しなかった。(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

9月13日、メッツの本拠地シティ・フィールドでデビッド・ライトの事実上の引退会見が行われた。「事実上の」という形容詞を付けたのは、会見においてライト自身も同球団のジェフ・ウィルポンCOOも「引退」という表現は用いていないからだ。

メッツのキャプテンでもあるライトは、その実力とリーダーシップ、さらには屈託のないキャラで文字通りチームのHeart & Soulだった。近年は故障に悩まされ2015年以降は75試合しか出ていない。35歳という若さでの引退は無念という他ないが、20代は故障知らずでセイバー系サイトの「ファングラフズ」によると、20代でのWAR43.3は三塁手として歴代11位で、決してオーバーな表現ではなく、怪我なくキャリアを積み重ねていけば、殿堂入りの可能性も十分だった。そんな彼を引退に追い込んだのは脊柱管狭窄症で、ドクターからは「回復の可能性はない」という厳しい告知を受けたという。

2017年オフにも肩と腰の手術を受け、長いヒハビリを経て復帰を目指した今季だが、8月からのマイナーでの調整出場では打率1割台に低迷していた。

そんな彼は、ファンへ別れを告げるために、シーズン最終週に故障者リストから外れ出場選手枠登録されるようだ。9月29日の最終戦では先発出場するという。日本では毎年シーズン終盤お馴染みの「引退試合」だが、メジャーでは極めて珍しい。

で、彼の「事実上」の引退だ。なぜ、ライトやウィルポンCOOはダイレクトな表現を避けたのか?おそらくそれは、保険適用のためだ。ライトは2012年に球団と2020年までの8年総額1億3800万ドルの契約を結んでいるが、それはまだ来年(1500万ドル)、再来年(1200万ドル)分が残っている。もし、ライトが今季限りで「引退」を正式に表明すると、その計2500万ドルは放棄することになる。しかし、来季以降は「本来現役続行の意思はあるが、単に体調が許さないだけ」ということならそれを享受する権利がある。その間、ライトは「故障者リスト」に入ったままとされ、現役扱いになるのだ。

これをカネ絡みの意地汚い話と捉えてはいけない。ライトは故障さえなければ、現役続行の意思はかなり強いはずと考えられる。それとライトが残りの2700万ドルの受け取りを辞退することは「世界最強の労働組合」であるMLB選手組合が許さないだろう。これが前例となり、契約期間中に故障が原因で現役続行は難しくなった選手は、同様に残年俸を返上し引退しなければならない土壌が形成されるからだ。それは、他の選手たちの利益にならない。

もう一つ大事なポイントも背後に隠れている。それは保険だ。球団はもうプレーできないライトに年俸を払い続けるわけだが、故障で出場できない選手に対しては保険が適用されるのが一般的だ。現地報道によると、ライトの契約においては、彼が60日以上故障者リストに入ると、サラリーの75%は保険でカバーされると言う。ただし、これはあくまでライトが現役であることが前提だ。したがって、ライトは残2年のサラリーを受け取るために「引退」という言葉は使えないし、球団がその支払額の75%を保険でカバーするために形の上だけでも、「現役」でいてもらう必要があるのだ。われわれは今季限りでライトが引退したと認識するが、2020年まではメッツのロースターの「Disabled list」(故障者リスト)の欄には、David Wrightの名前があるはずだ(例外もある。「引退」した選手に貴重な枠を確保しておくのを避けるため、保険会社と交渉し保険料の実質的な減額と引き換えに枠から外すのだ。2016年にドクターストップで契約を4年も残してレンジャーズから「引退」したプリンス・フィルダーのケースが該当する。彼の名は、翌年故障者リストからも消えた。)。

Baseball Writer

福岡県出身で、少年時代は太平洋クラブ~クラウンライターのファン。1971年のオリオールズ来日以来のMLBマニアで、本業の合間を縫って北米48球場を訪れた。北京、台北、台中、シドニーでもメジャーを観戦。近年は渡米時に球場跡地や野球博物館巡りにも精を出す。『SLUGGER』『J SPORTS』『まぐまぐ』のポータルサイト『mine』でも執筆中で、03-08年はスカパー!で、16年からはDAZNでMLB中継の解説を担当。著書に『ビジネスマンの視点で見たMLBとNPB』(彩流社)

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