「野球発祥の地」は捏造だったクーパーズタウン。それでもファンに愛される理由とは

ニューヨーク州クーパーズタウンの野球殿堂博物館。

かつては「野球発祥の地」とされた米・クーパーズタウン。1939年には野球殿堂もオープンしたが、今では「発祥の地」は誤りであることはかなり浸透している。なぜ捏造されたのか?それでもファンから愛される理由は?を探ってみた。

クーパーズタウンを目指して

JFK空港からクーパーズタウンへ。ニューヨーク州とは思えない牧歌的な風景が続く。
JFK空港からクーパーズタウンへ。ニューヨーク州とは思えない牧歌的な風景が続く。

8月8日の昼、ニューヨークのケネディ国際空港に降り立ったぼくは、予約してあったレンタカーをピックアップし、そこから北西に約320キロ離れた田舎町クーパーズタウンを目指した。途中で休憩を取りながら4時間を超えるロングドライブ。日本時間で言えば、夜中の2時過ぎから東京―名古屋間を走ったことになる。アメリカ到着直後の時差ボケ状態には、かなりタフなドライブだった。

全行程の2/3あたりでの風景。
全行程の2/3あたりでの風景。

「クーパーズタウン」という街の名を、野球ファンなら一度は聞いたことがあるだろう。メジャーリーグで活躍した選手らを称える野球殿堂博物館(National Baseball Hall of Fame and Museum)があり、ダブルディ・フィールドという野球場もある。そのクーパーズタウンを「野球発祥の地」と捉えている人も少なくない。アメリカには「野球は1839年クーパーズタウンで、後の南北戦争の英雄であるアブナー・ダブルデイ将軍によって考案された」という「神話」があるからだ。

殿堂博物館の中庭のバッテリー像。
殿堂博物館の中庭のバッテリー像。

年間30万人のファンが訪問

年間来訪者の8割は夏場の3ケ月間に集中している。
年間来訪者の8割は夏場の3ケ月間に集中している。

しかし実態はそうではない、ということは長い年月を経てかなり浸透している。言い換えれば、この風光明媚な避暑地は捏造された発祥の地なのだ。それでもなお、ここは野球ファンにとっての聖地だ。ここに至る公共交通手段は極めて限られる人口約2000人の片田舎の街に、多くの野球ファンが訪れる。そのほとんどは殿堂博物館を訪れるのだが、その数は年平均約30万人(殿堂博物館公表値)だ。

日本の野球殿堂が都心のど真ん中の東京ドーム内にあり、電車のアクセスも超良好でありながら来場者は年間約9万人(2017年実績)に過ぎないことと比較すると、これは驚異的な数字だ。「エセ発祥地」のクーパーズタウンがどうして、野球の聖地であり続けることができているのか、それをぼくなりに紹介したい。

学術研究員が語る野球の起源

向かって左側が副館長のエリックさん、となりは学術研究員のジムさん。
向かって左側が副館長のエリックさん、となりは学術研究員のジムさん。

クーパーズタウンに到着した翌日、殿堂博物館を訪れた。6年前に取材した館長ジェフ・イデルソンさんを通じてアポイントを取っていた副館長のエリック・ストロールさんと学術研究員のジム・ゲイツさんに、野球の起源について話を聞くためだ。

インタビューはジムさんの執務室で行われた。多くの文献に囲まれたその部屋の壁には日本ハムファイターズ時代の陽岱鋼のポスターも貼られている。「私はオリオールズのファン」と語る彼は、「日本の球団ではファイターズに関心を持っています」とのことだった。それもそうだろう。なにせ、ダルビッシュ有と大谷翔平を輩出しているのだから。

英国の遊びがアメリカ大陸に

13世紀のバットとボールを使用した遊び。
13世紀のバットとボールを使用した遊び。

実は、野球史家の間では、野球の起源としては「1839年にクーパーズタウンでアブナー・ダブルデイに考案された」という説は、現在完全に否定されている。英国で楽しまれていたラウンダーズと呼ばれる棒とボールの遊びがアメリカ大陸に持ち込まれ、発展したものと考えられている。その遊びは地域により多くのバリエーションがあったのだが、「タウンボール」と総称されていた。直接民主制のタウンミーティング後にレクレーションとして行われていたからだ。

そして、1845年にニューヨークのビジネスマンであるアレキサンダー・カートライトが初めてルールを成文化した。それには、ファウルラインの制定、スリーストライクでの三振、野手がボールを走者に投げ当てることでアウトとなることの廃止など、現在の野球に至る重要なルールの制定も含まれていた。それに沿って翌年ニュージャージー州ホボーケンで試合が行われたことを野球の誕生とする説が有力だ。しかし、これもいわば解釈の問題だ(実際、殿堂博物館ではこのことを「現在の様式の重要な基礎となった」と評価しているが、これを「野球の誕生」とはしていない)。

紀元前15世紀の壁画

野球の起源に関する殿堂博物館内の展示。
野球の起源に関する殿堂博物館内の展示。

「野球の起源についてご説明いただけますか」。

ぼくがこう切り出すと、ジムさんはシンプルに答えてくれた。

「起源を遡れば、それこそ人類がこの世に登場した頃に辿り着きます。そこに棒切れと石ころがあれば、それはスティック&ボール・ゲーム(Stick and ball game)として遊びの対象になったのですから。それが少しずつ変化・進化を遂げ現在の姿になっています。ある瞬間に無から野球が誕生したわけではありません。したがって、それがいつ、どこかで、だれかによって発明されたと定義しようとすることはナンセンスです」。

確かにそうだ。実際に殿堂博物館内には、野球の起源に関する展示コーナーがある。展示品のひとつの紀元前15世紀の壁画には、すでにスティック&ボール・ゲーム(?)に興じるファラオの姿が描かれている。それは神事だったようで到底野球と呼べるものではないが、起源を遡るとここに至ることは事実だろう。

「アメリカ合衆国は主として欧州からの移民により設立された国ですが、その欧州には全ての国や地域に独自のスティック&ボール・ゲームがありました。一方、北米大陸にもネイティブアメリカンによるスティック&ボール・ゲームがあったんですよ」。

アメリカのプロ野球はMLBだけではない。クーパーズタウンから150kmのシラキュースでのマイナーリーグ・ゲーム。
アメリカのプロ野球はMLBだけではない。クーパーズタウンから150kmのシラキュースでのマイナーリーグ・ゲーム。

「野球と言いましたが、現在の野球の定義も多様です。メジャーリーグやマイナーリーグ、独立リーグなどのプロリーグがあり、大学や高校、リトルリーグなどのアマチュアベースボールもあります。さらに言えば、ソフトボール、ウィッフルボール(プラスティック製のボールとバットを使う)、子供達が路上で楽しむストリートボールなど様々です。これらは全てルールも異なります。それぞれがスティック&ボール・ゲームです。また、今日、この時点でも野球というスティック&ボール・ゲームは変化を続けており、メジャーリーグに限定しても50年前とはかなり異なった様式によってプレーされています。DH制の導入や球種の多様化、投手の分業化などが例として挙げられます。多くのスティック&ボール・ゲームがあり、それらが日々進化、変化、多様化しているという意味では、数百年前、数千年前と同様です。野球とは到底呼べない様式の時代からシームレスに繋がり、変化し、現在の姿があります。したがって、このスポーツを『いつ』『どこで』『誰によって』始まったかを、明確に定義することはできません」。

「神話」捏造の背景

1839年に野球を考案したとされた後の南北戦争の英雄アブナー・ダブルデイ将軍
1839年に野球を考案したとされた後の南北戦争の英雄アブナー・ダブルデイ将軍

それではなぜ、「野球は1839年にクーパーズタウンでダブルデイ将軍によって考案された」という神話が捏造されたのか。ジムさんはこう答えた。

「野球の起源を探求したいという動きは、有識者の間で19世紀からありました。そして1905年に元名選手のAG・スポルディングを中心とする調査委員会が発足し、委員会は全米に呼びかけたのです。『野球の起源に関して知っている情報をお寄せください』と。その後、コロラド州の元鉱山技師の老人アブナー・グレーブスから寄せられた情報に委員会は飛びつきました。1908年のことでした。それは『1839年にクーパーズタウンで、後の南北戦争の英雄であるアブナー・ダブルデイ将軍により考案された』というものでした」。

ここで、副館長のエリックさんが補足してくれた。

「したがって、ダブルデイ神話は『捏造された』と表現するのは必ずしも適切ではありません。委員会が自らストーリーを作り上げたのではなく、寄せられた情報を正しいと判断して採用したのです。野球というアメリカの代表的なスポーツが欧州起源ではなく、後の南北戦争の英雄により考案されたというのは、委員会にとって都合の良い話ですからね」。

しかし何の疑いもなく、この話を採用したのだろうか。委員会として裏付けを取らなかったのか、という疑問もわく。これに対して、ジムさんは明確に回答してくれた。

「まずは球界の重鎮であるスポルディング氏の影響力が強すぎたということでしょう。それと、コンプライアンスの概念が現在とは異なり、歴史を捻じ曲げてしまうことに対する抵抗感が少なかったのかもしれません」。

創作されたエピソードの数々

「ウソだと言ってよ、ジョー」の舞台とされたシカゴの元裁判所。現在はオフィスビルだ。
「ウソだと言ってよ、ジョー」の舞台とされたシカゴの元裁判所。現在はオフィスビルだ。

確かにそうかもしれない。20世紀前半の野球史には、創作されたエピソードが少なくない。1919年のワールドシリーズを舞台にした八百長事件「ブラックソックス・スキャンダル」で、大陪審でギャンブラーからカネを受け取ったことを認める発言をした通算打率.356の強打者”シューレス”・ジョー・ジャクソンに対し、少年ファンが「(カネを受け取ったとの証言は)ウソだと言ってよ、ジョー」と叫んだ、と長い間伝えられてきた。しかし、それは事件を悲劇的に脚色したいメディアが捏造したストーリーだった。また、1934年にオールスター・ゲームが始まったきっかけは、ある少年が新聞社に送った「(ナ・リーグの)カール・ハッベルが投げ、(ア・リーグの)ベーブ・ルースが打つのを見てみたい」との投書だとされていたが、それを証明する証拠はどこにもなく、その新聞社が作り上げたストーリーとの見方が一般的になっている。

“最古のボール?”が発見

「ダブルデイ・ストーリー」の証拠に祭り上げられたボール。
「ダブルデイ・ストーリー」の証拠に祭り上げられたボール。

「その後、1935年にクーパーズタウンのある納屋の中で古いボールが発見されました。これが最古のボールとして祭り上げられたのです」。

このボールは「1839年、クーパーズタウン、ダブルデイ」との委員会発表のストーリーの証拠とされ「ダブルデイ・ボール」と呼ばれた。神話が崩れた今も殿堂博物館内に展示されている。現代のものよりはふた回り小さくテニスボールくらいのサイズだ。

委員会が結論を出した後、どのくらい経ってから「それは不自然ではないか」という声が有識者から出てきたのだろうか。今度はエリックさんが答えてくれた。

「それは『直ちに』ですね。数週間のうちにと言っても良いでしょう。それに、1839年時点ではアブナー・ダブルデイ氏はクーパーズタウンには在住していなかったことも明らかになりました。しかし、それでも『ストーリー』は広まっていきました。一般大衆は当時、耳に優しい分かりやすいストーリーを求めていたと言えるでしょう」。

それに、この委員会にはナ・リーグ会長のアルバート・ミルズ(それでミルズ委員会と呼ばれた)や2人の国会議員も含まれていた点も見落とせない。彼らの発表には信頼が置ける、と人々は思ったのだろう。

博物館では「発祥の地ではない」と展示

「ダブルデイが野球を創り出したのではない、野球界がダブルデイ・ストーリーを創作したのだ」との記述が。
「ダブルデイが野球を創り出したのではない、野球界がダブルデイ・ストーリーを創作したのだ」との記述が。

現時点では、「ダブルデイ」ストーリーは事実ではないということを知っている野球ファンと、それに気づいていないファンはどちらが多いのだろうか。

「多くの野球ファンは、それは神話にすぎないと認知していると思います。しかし一般の人の中には信じている人も多いでしょう。そのため殿堂博物館では『野球発祥の地ではない』ことを伝える展示もしています」。

その通りだ。「ダブルデイ・ボール」の展示に添えられた説明文にはこう明記されている。Doubleday didn’t invent baseball, baseball “invented” Doubleday. (ダブルデイが野球を創り出したのではない、野球界がダブルデイ・ストーリーを創作したのだ)。

殿堂博物館のホール・オブ・フェイム・ギャラリーには古今の名選手・名監督から野球の発展に大きく貢献した人、それ以外の人物のリレーフも飾られている。その中には、前述のカートライトやボックススコアを考案したヘンリー・チャドウィックなどの初期の貢献者も含まれている。しかし、そこにはダブルデイはいない。あくまで彼は野球発祥に関しては、神話の中の人物なのだ。

野球殿堂博物館の存在

殿堂博物館から2ブロック、ダブルデイ球場のそばにある少年の像。
殿堂博物館から2ブロック、ダブルデイ球場のそばにある少年の像。

クーパーズタウンが、野球発祥の地ではないことはご理解いただけたと思う。では、なぜその小さな街がその後100年以上も野球のふるさとであり続けているのか。もちろんそれは、野球殿堂博物館がそこにあるからだ。歴史家ジャック・バルザンは「この国の本当の心が知りたければベースボールを学べ」と言った。

クーパーズタウンにはわれわれ異国人が学べるアメリカの野球の歴史がある。そしてアメリカ人にとっては自分たちとは何者なのかを再認識できるものがあるのだが、それを補完する他の要素も重要な役割を果たして来たといえよう。(つづく

偉大な球人たちの銅板が掲げられるホール・オブ・フェイム・ギャラリー。
偉大な球人たちの銅板が掲げられるホール・オブ・フェイム・ギャラリー。

(文中敬称略)撮影は全て筆者

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