プロ野球「申告敬遠」議論の問題点 その1 ファン心理「そんなに敬遠暴投が大切か?」

バリー・ボンズはどんなに歩かされても決してボールタマに手を出そうとはしなかった(写真:ロイター/アフロ)

NPBは今季からの申告敬遠の導入を決定した。コリジョンルールや危険スライディング禁止など、NPBはホントにMLB追随が好きだ。真似るべき点はもっと他にあると思うのだが。それはさておき、本制度導入に付いてテーマを分けて所感を述べたいと思う。まずはファンの反応についてだ。

申告敬遠がファンの間で議論される際に必ず言われることがある。「敬遠暴投や敬遠ダマを安打にするなどのドラマがなくなる」。

たまたまここ数年敬遠暴投が続いたが、草野球ならいざ知らず、いやしくもプロの世界でそんなことは本来10年に一度もないことだ。世のプロ野球ファンはそんな場面を求めて敬遠場面を眺めていたのだろうか。

ぼくが申告敬遠導入により「野球がつまらなくなる」と思うのはそんな珍プレーがなくなることではない。大打者ほど、歩かされる場面が絵になると思っている。歩かされても感情を全く出さず淡々と敬遠投球を見送るスラッガー、勝負せよと囃し立てる観客のブーイング、これらは野球観戦のちょっとした醍醐味だし、その打者の風格を印象付けてくれる場面だ。この点では王貞治やバリー・ボンズは本当に絵になった。敬遠四球に対し不満の表情を露わにしたり、反対打席に立ったり、打ちに行こうとする「駆け出し」強打者とは全く違っていた。

また、満塁策を取るための敬遠の場面も好きだ。そこには強打者が相手バッテリーに格の違いをまざまざと見せ付けるドラマはないが、4球ほど投じる時間は満塁策の結果は攻守どちらの勝利となるかに思いを巡らせる心の準備期間として独特の緊張感を提供してくれる。

しかし、そんなシーンが見れなくなることを嘆く声はあまり聞こえてこない。ひたすら語られるのは小林繁のサヨナラ敬遠暴投や新庄剛志の敬遠ダマサヨナラ安打なのだ。近年は球場に集うファンは歌ったり踊ったりすることばかりに熱心なので、行間を読むような観戦をしていないことの表れかなと思ったりする。

したがって、ぼくはここで述べた恍惚的な場面が失われることを嘆いているだけなので、DH制不採用のゲームで次の打順の投手を打ち取ることを目的として8番打者を敬遠する場面には興奮を感じない。速やかに申告制で歩いてもらった方が良いだろう。

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