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アメリカ深南部「ベースボール・バケーション」 アトランタ新球場とターナー・フィールドの今 その2

豊浦彰太郎Baseball Writer
ターナー・フィールドはフットボール場に生まれ変わる改修がほぼ終了していた

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ブレーブスは球団発表の公式見解として「駐車場不足」をターナー・フィールドからの転出の理由に挙げていた。確かにこれは事実だろう。そしてこれに拍車を掛けていたのがMARTAと呼ばれる地下鉄の最寄駅から約1マイルも離れていることだ。これでは、せっかくダウンタウンにほど近いエリアに球場がある意義が薄まってしまう。球団はこれを補うために最寄り駅からシャトルバス便を試合の前後に走らせていたが、やはり遠方からのお客にはクルマ利用の際のインフラが必要なのだろう。

しかし、駐車場問題以外にもブレーブスの移転決断を促した要因があった。ターナー・フィールドを保有するアトランタ市は、総額12億ドルと言われるNFLファルコンズの新球場建設に2億ドルを拠出する一方で、ブレーブスから要請されていた同球場の各種リノベーション費用1億5000ドルの提供は断っていたらしい。ターナー・フィールド使用に関するリース契約は16年限りだった。それ以降の延長契約締結に当たって、球場の魅力度アップが期待できそうもない事も引き金になった可能性は否定できないだろう。

これと似たケースが2020年完成と言われているレンジャーズの新球場だ。ここも現在のグローブライフ・パークは1994年オープンと新しい。新球場建設の理由として、レンジャーズは厳しいテキサスの夏の暑さを回避するためには開閉式の屋根が必要だということを挙げている。そして、その建設費等の捻出に公費の投入目処がついたのだ。

また、つい先日には、ダイヤモンドバックスとMLBが、フェニックス市対し、1998年オープンのチェイス・フィールドに対しアメニティの充実を中心とする大掛かりなリノベーションを実施しない場合は、他都市に移転すると「脅し」を掛けていることが明らかになった。

ブレーブス、レンジャーズ、ダイヤモンドバックスの球場建設に共通して言えるのは、そのキーポイントはマーケティングだということだ。われわれは、球場の命脈が尽きるのは技術的な耐用年数に達した時と考えがちだが、現実には集客力に限界が見えてきた時なのだ。ボールパークの原点回帰を打ち出し、野球ファンのハートをがっちりつかんだかに見えた新古典主義コンセプトの球場の魅力もせいぜい20年しか持たなかったということだ。

また、ブレーブスの場合はなぜ郊外のカッブ・カウンティに新球場が建設されたのか、ということも押さえておきたい。因みに郡(カウンティ)名は、地元ジョージア州出身の19世紀の上院議員トーマス・ウィリス・カッブに因んだものらしく、残念ながらアトランタと同じジョージア州出身の「野球王」のタイ・カッブではない。そのカッブ・カウンティは、富裕層の多い地域だそうだ。アトランタ市は大都市だがその人口の40%は貧困層と言われ、平均年収は2万3000ドルに過ぎない。一方カッブ・カウンティではそれが8.6%と6万1000ドルという。

また、ブレーブスの調査によると、ターナー・フィールドでも来場者はカッブ・カウンティからが多かったと言う。なおかつ、球場の所在地はハイウェイが東西南北に交差する場所で、「カッブ・ギャレリアセンター」という名称の巨大コンベンションセンターが隣接している。また、「バッテリー・アトランタ」というブレーブスとそのビジネスパートナー企業による商業施設もオープンしており、これから整備が進んでいくらしい。

MLBではハイウェイ網の整備を背景に、60年代から球場の郊外移転が本格化した。フットボールと袂を分かった野球場はショッピングモールを併設するようになるのか。無味乾燥なクッキーカッター・スタジアムはボールパークとなったが、その先に待っているのは「モールパーク」化だろうか。

駐車場に着いた。球場の周辺にはそれなりのキャパシティを有する駐車場が数多く存在しているが、その中でもっとも球場に近いと思われるこじんまりとしたそれにヒュンダイを滑り込ませたのだ。球場に近くなればなるほど料金は上がるだろうことは容易に想像できたが、それにしても驚いた。35ドルもする。この日の観戦チケットがかなり良い席で56ドルだったので、割高感は否めない。「お支払いはカードのみね!」と明るく係りのお姉さんに言われ少々狼狽したが、もう引き返せない。この日は25,783人とそれなりの観客が訪れていたが、その割には便利な駐車場が実に容易に確保できたのは、こんな理由があったのだ。

新球場の座席からの眺め
新球場の座席からの眺め

場内に入る。もちろん悪くはない。現代の新球場に求められる要因は、快適性であれエンタテイメントであれ、一通りそろっている。観客の保護用ネットが一三塁側ともベース後方まで回り込んでいるのもご時勢か。しかし特に新しい感動はない。ターナー・フィールドを捨て去ってまでこの球場が必要だったと感じさせるものはなかった。何よりも、博物館がなくなったのは残念だ。その分、「モニュメント・ガーデン」という、球団の歴史に関する展示コーナーがあり、それなりに賑わっていたが、展示されているボストン時代からのユニフォームの数々もレプリカだった。マジメなミュージアムではなく、所詮はアトラクションコーナーだと感じた。

展示されているユニフォームもレプリカだ。
展示されているユニフォームもレプリカだ。

翌々日、アトランタを去る前にターナー・フィールドを訪れた。17-18年シーズンからジョージア州立大のフットボール本拠地として生まれ変わるのだが、到着してみると着々とフットボール球場化が進んでいた。ぼくが、FBのプロフィール写真に使っているウォーレン・スパーンの銅像は取り外されていた。ただし、カウンティ・スタジアム跡は残っている。715号落下地点もそのままだったのは救いだ。それを見届けてから次の目的地、アラバマ州のバーミンガムに向かった。

かつてはスパーンの像がこの上にあった。
かつてはスパーンの像がこの上にあった。
715号落下地点はターナー・フィールド駐車場内にある。
715号落下地点はターナー・フィールド駐車場内にある。

<写真は全て豊浦彰太郎撮影>

Baseball Writer

福岡県出身で、少年時代は太平洋クラブ~クラウンライターのファン。1971年のオリオールズ来日以来のMLBマニアで、本業の合間を縫って北米48球場を訪れた。北京、台北、台中、シドニーでもメジャーを観戦。近年は渡米時に球場跡地や野球博物館巡りにも精を出す。『SLUGGER』『J SPORTS』『まぐまぐ』のポータルサイト『mine』でも執筆中で、03-08年はスカパー!で、16年からはDAZNでMLB中継の解説を担当。著書に『ビジネスマンの視点で見たMLBとNPB』(彩流社)

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