Yahoo!ニュース

中国に続いて日本でも大食いを禁止した方がよい6つの理由

東龍グルメジャーナリスト
(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

中国で大食い禁止

2ヶ月程前になりますが、中国からのニュースに驚かされました。

それは、大食いを禁止するということです。

中国では大食いする映像が人気を集めているといいますが、中国政府がこのような動画の投稿を取り締まるというのです。背景には、2020年8月11日に習近平国家主席が食べ物を粗末にしないよう求めことがあります。

日本でのインターネットの反応を見てみると様々な意見が飛んでいるようですが、概ね賛成のようです。

中には「日本でも大食いを禁止にするべきだ」という声もありましたが、私はあながち間違っていないように思います。

なぜならば、大食いそのもの、および、大食いをコンテンツとする番組や動画があまり好ましくないと考えているからです。

その理由を説明していきましょう。

摂食障害の問題

大食いの番組や動画が有する最大の問題は、摂食障害につながること。

並外れて大食いするような人の中には、摂食障害を患っている方も少なくありません。そういった方が大食いの番組や動画に出演しています。

私も話を聞いたことがありますが、具体的な方などを挙げるのは憚られるので、ここでは紹介しません。ただ、「摂食障害 大食い」と検索してみればいくらでもこれに類する話は出てくるでしょう。

大食いを競ったり、大食いにチャレンジしたりするコンテンツがテレビやYouTubeなどで流されると、大食いが奨励されているように感じられ、摂食障害の引き金となったり、摂食障害を助長することになります。

収録後に嘔吐していることも大きな問題です。私もテレビのディレクターなどから話を聞いたことがありますが、ほぼ周知の事実となっているにもかかわらず、蓋をかぶせられていることに疑問を覚えます。

大食いは映像にインパクトがあって視聴率や再生数が稼げるので、制作側は出演者が摂食障害を患っていることを知っていながら出場させているのです。

摂食障害と紙一重であるにもかかわらず、大食いをヒーロー視するようなコンテンツがつくられるべきではありません。イメージをよくするためにフードファイターと呼び名を改めたところで、行っていることに変わりはないでしょう。

摂食障害という問題を内包しながら大食いをコンテンツ化することは、とても不健全です。

サステナビリティに相応しくない

必要以上に食べること、食べようとすることは、食品ロス(フードロス)をはじめとして、サステナビリティ(持続可能性)の観点から好ましくありません。

2017年度の統計では、日本における食品廃棄物等は年間2550万トン。その中で本来は食べられるのに捨てられている食品、つまり、食品ロスは年間612万トンに上ります。日本人1人当たりに換算すれば約48kg。毎日お茶碗1杯分のご飯を捨てていることになるのです。

無駄に食べ残すことはもちろん、人間が生きていくのに必要な分量より、はるかに多くのカロリーを無意味に摂取したりすることも、食品をロスすることになるでしょう。

食品ロスが続いて資源に悪影響が与えられるとサステナブルではなくなり、将来的に食材や食品が失われてしまうことになります。

謙虚になり、人は自身に必要なものを適量なだけ食べることが重要ではないでしょうか。

こういった文脈からすれば、ただたくさん食べるだけといったコンテンツが時代にマッチしているとはとても思えません。

つくり手へのリスペクト欠如

大食いコンテンツを制作する方に欠けている視点があります。それは、つくり手の立場を考慮しているかどうか、です。

視聴者の中からは「たくさん食べている様子を見ているのが気持ちいい」「あれだけたくさん食べられるのはすごい」といったポジティブな意見も聞かれます。

しかし、料理は無機質な物質ではありません。食材を生産している方がいて、食材を調理して料理を生み出している方がいるのです。

料理人や食材の生産者は、通常の何十倍という尋常ではない分量をひたすら食べている様子を見て、心地よく思うものでしょうか。

大食いのようにあまりにも度が過ぎていれば、食事をおいしく楽しんでいるようには見えないものです。

料理をつくったり、料理をつくっている様子を見たりしたことがあればわかるはずですが、一生懸命つくられたものが、まるで湯水を流すかのごとく、胃に流し込まれる映像に意味があるのかどうか、つくり手の立場を慮っていただきたいです。

飲食店の被害

飲食店に対する被害もあります。

ブッフェレストランは定額で好きなだけ食べられるという業態です。新型コロナウイルスの感染が拡大している状況で、これまでのスタイルとは少し変わってきますが、自由に食べられることには変わりありません。

ブッフェレストランは通常の方が食べる範囲内のボリュームで損益を算出して、利益を生み出せるようにしています。事業である限り、利益を上げなければ潰れてしまうのは自明のこと。

大食いの動画を撮影するためやリーズナブルに大食いのトレーニングをするためにブッフェレストランへ訪れる方もいますが、こういった方は想定から逸脱したターゲットです。大食いの方が大挙すれば利益が圧迫されてしまい、容易に潰れてしまうことでしょう。

トイレで嘔吐してから食べるという人もいて、ブッフェレストラン共通の悩みの種となっています。大食い選手や摂食障害の方をお断りしているブッフェレストランもありますが、明確な証拠がなければ入店を断れません。ある客が頻繁にトイレに足を運んでいたとしても、中にまでついて行けないので、証拠を掴むのは難しいところ。

大食いの方は食べるボリュームが尋常ではないので、少しでも安価にたくさん食べられることを期待します。それなのに、これを叶えてくれるブッフェレストランに迷惑をかけ、事業継続を困難にしているのはとても皮肉なことです。

食育に反している

食育は、2005年に成立した食育基本法で「生きる上での基本であって、知育・徳育・体育の基礎となるもの」と位置づけられています。

そして大食いは、この食育にも反しているのです。

食育基本法の中には「ゆっくりよく噛んで食べる」という指標も用いられています。食事をとる際に、ただたくさん食べることを意識するのではなく、しっかりと味わって食べることが重要になっているのです。

しかし、大食いのコンテンツのほとんどでは、これとは反する方向性で制作されています。特定の時間内で、何十人分ものボリュームを食したり、他の競技者よりもたくさん食べたりすることが、レギュレーションになっているのです。

食育の基本は、家庭での食事。小さい頃、自宅で食事する際に、誰よりもたくさん食べることを奨励された人は、どれだけいるでしょうか。

とにかくたくさん食べることが、知育・徳育・体育の基礎となる食育に合致しているはずがありません。

日本では近年、黒毛和牛や日本酒をはじめとした食を海外へ輸出することに尽力していますが、食育が進んだヨーロッパなどに輸出するのであれば、大食いのような食育に反するようなコンテンツが蔓延している状況を改善する必要があるでしょう。

スポーツではない

大食いを擁護する主張の中には、大食いはスポーツである、大食いするフードファイターはアスリートであるといったものが散見されます。

ただ、先述したように、食育にも反する行為がスポーツとしてみなされてよいのでしょうか。

スポーツ庁のスポーツ基本法によれば、スポーツとは「心身の健全な発達や健康及び体力の保持増進のために行われる身体活動」であるとされています。

必要以上の分量を食べることが、心身の健全な発達を促したり、健康や体力を保持増進させたりするようには思えません。摂食障害が関係していることを鑑みれば、なおさらのことです。

スポーツ基本法に記載されている「スポーツを通じて幸福で豊かな生活を営む」という主旨からも外れているでしょう。

食欲は、睡眠欲と性欲とともに、人間の三大欲求のひとつ。人間の本能が直結しているという観点から、大食いが多くの人にインパクトを与えることは理解できます。ただ、睡眠欲や性欲に直結したものがスポーツとして違和感があるのと同じように、食欲に直結した大食いもスポーツとして違和感があるのではないでしょうか。

時代に相応しいか考える必要がある

ここまで大食いおよび大食いをコンテンツとして扱うことは止めた方がよいと考える理由を述べてきました。

大量生産と大量消費の時代であれば、世界の資源が枯渇し始める前であれば、人々がエコロジーやサステナビリティが重要であると気付く以前であれば、大食いはコンテンツとして成立していたでしょう。

しかし、もう今はそのような時代ではありません。いくらインパクトがあるからといって、大食いを扱うのは品がありません。

法的に禁止するところまでいくと過剰かもしれませんが、こういった問題意識をもちながら、大食いがよいかどうか、大食いが今の時代に相応しいコンテンツであるのかどうか、改めてよく考えてみる必要があります。

グルメジャーナリスト

1976年台湾生まれ。テレビ東京「TVチャンピオン」で2002年と2007年に優勝。ファインダイニングやホテルグルメを中心に、料理とスイーツ、お酒をこよなく愛する。炎上事件から美食やトレンド、食のあり方から飲食店の課題まで、独自の切り口で分かりやすい記事を執筆。審査員や講演、プロデュースやコンサルタントも多数。

東龍の最近の記事