あなたはパートナーとうまくやっていけますか? 知らないとあとで困る9つの<食の趣味>
食の好みの相違
食における好みの相違について、気になる記事がありました。
<恋人と食事の相性が合わないと悩む女性 「我慢している」の言葉に指摘も>で、パートナーと食の趣味が合わないという悩みの投稿と、それに対する反応が紹介されています。
投稿者の女性はビールを嗜み、居酒屋などのカジュアルな業態が好きですが、パートナーの男性はお酒を飲まず、オシャレな食事を好んでいます。
外食の際にはいつもどちらかが我慢しているということです。
これに対して様々な意見が取り上げられていますが、好みの差が激しいと長く付き合っていくのは難しいのではないかという声が大きいようです。
食の趣味
パートナーがいるのであれば、一緒にランチやディナーを食べに行くことは頻繁にあると思います。
共食することが多い相手であるにも関わらず、食事の好みが異なっており、相手に合わせることが負担になってしまうのであれば、やはり一緒に過ごしていくことはできないのではないでしょうか。
ただ、<食の趣味>とよく一括りにされますが、食の体験はとても幅広いものなので、もう少し詳しく考察する必要があると思っています。
一般的に言及されている<食の趣味>は、以下のように大別できると考えています。
- お酒
- 味の濃さ
- 辛味
- ジャンル
- 雰囲気
- 信念
- 偏食
- マナー
- 尊敬
件の記事と同じように、内食ではなく外食について考察していきましょう。
お酒
お酒を飲めるか飲めないか、もしくは、お酒が好きか好きでないかによって、食事のスタイルは変わってきます。
お酒が飲めたり好きであったりすれば、やや味付けの濃い酒肴があるだけで、軽い食事として成立するでしょう。オーダーした料理やコースで提供された料理によって飲むお酒を変えたり、反対にお酒によってオーダーする料理を変えたりする楽しみもあります。
お酒が飲めなかったり好きでなかったりすれば、お酒と料理のマリアージュに共感できないかもしれません。当然のことながら、お酒の感想を交わすこともできないので、共食していても共有できるものが少なくなってしまいます。
たくさんお酒を飲んでしまうと、それだけお金もかかってしまうので、お酒を飲まない人には不満に感じることもあるでしょう。
ただ、どちらともお酒が飲めたり好きであったりしても、好きなお酒の種類が異なるとうまくいかないこともあります。
ビールばかり飲む人と、ワインばかり飲む人とでは、適した料理や持ち合わせている知識も違うので、共感が生まれにくいでしょう。
居酒屋でシャンパーニュからブルゴーニュの白ワイン、ボルドーの赤ワイン、最後に貴腐ワインといった食後酒を味わったり、ファインダイニングでビールから焼酎やサワーを呑んだりすることは難しいので、好きなお酒が飲めない飲食店に訪れると、どちらかが不満を感じてしまうかもしれません。
味の濃さ
味の濃さ、具体的には、塩味や甘味に対する好みも重要です。
小さい頃からファストフードやインスタント食品、スナック菓子を摂取しすぎていると、たとえ味覚障害にならなくても、強い塩味や甘味に慣れてしまい、濃い味付けを好むようになってしまいます。
そうなると、繊細な出汁の食味や食材の風味を感じにくくなり、味付けの濃くない物を食べても、食味を認識できなくなくなります。
その結果、味付けの濃い料理に偏ってしまったり、濃厚さが物足りないと感じてしまい、完成された料理にさえ、塩や胡椒、醤油やドレッシングなどをたっぷりと加えたりしてしまうのです。
これでは、味覚が正常であり、濃厚な味付けに慣れていないパートナーと、同じ皿にある料理を一緒においしく食べることができなくなるでしょう。
同じ料理を食べているようでいて、同じ味を食べていないというのは、食の体験において残念なことです。
辛味
塩味や甘味ではなく、辛味の好みも人によってかなり違うものです。
辛味の刺激が癖になってしまい、激辛が中毒になっている人も少なくありません。何にでもタバスコをかけないと気がすまない人もいるくらいです。
しかし、辛味の成分となっているカプサイシンは、人によってだいぶ感じ方が異なる上に、摂取しすぎてしまうと体に不調をきたしてしまいます。
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辛味に敏感であったり、好きでなかったりする人は、激辛が好きな人の味付けや料理に合わせるのが大変だと感じてしまうのではないでしょうか。
カプサイシンは脂肪を燃焼し、ダイエットに効果があることから、辛味がもてはやされています。ぐるなびの<今年の一皿>でも、しびれ料理が選出されており、激辛ブームとなっていることは確かでしょう。
激辛料理がひとつのジャンルとして確立されるようになり、激辛をウリとした飲食店や激辛マニアが増えていく一方で、辛味が苦手であったり、特に好きでなかったりする人が取り残されています。
そのため、辛味に対する趣味も重要となっているのです。
ジャンル
現代における美食の最前線では、世界の食材や調味料は日夜交換されており、各国の料理における垣根も低くなってきています。料理のジャンルはかなり融合されてきているといってよいでしょう。
科学調理も著しく進歩してきており、もはやフュージョン料理と名付けることさえできません。
ガストロノミーの世界ではこのような変化が起きていますが、日常的な外食においては、料理はまだしっかりとジャンル分けできます。
つまり、前衛的なイノベーティブなレストランに訪れない限り、和食は和食、フレンチはフレンチ、中国料理は中国料理の食材やフォーマットを踏襲しているのです。
そのため、パートナーと明らかに好みの料理ジャンルが違っている場合には、共食しても満足できないかもしれません。
バターやクリーム、ワインをふんだんに使ったオーセンティックなフランス料理が好きである人、強火でさっと炒めて八角の香りが豊かな炒めものを好む人、素材の持ち味を生かして醤油やワサビでいただく寿司が好きな人では、それぞれ嗜好が合っているとはいえないでしょう。
ジャンルによって食材や調理法が異なるだけではありません。サービスも異なっています。
フランス料理であれば、サービススタッフがそれぞれの客まで料理を運んで行き、クロッシュを外してから細やかに説明するでしょう。中国料理であれば、湯気を携えた大皿料理を恭しく提供した後は、客が自身で取り分けます。寿司であれば、職人が距離の近いカウンター越しに会話を交わしながら、ネタや一品料理を提供していくことでしょう。
このように、ジャンルが違えば、食材や調理方法、料理やサービスなど全く異なるのです。
そのため、あまりにも好みのジャンルが異なり、かつ、自分が好きではないジャンルに好奇心を持てないようであれば、パートナーと食事に訪れることが負担になってくるのではないでしょうか。
雰囲気
内食であれば、手間暇かかった豪華な料理であったとしても、簡易的な料理であったとしても、ダイニングの雰囲気はそこまで変わらないと思います。しかし、外食であれば、訪れる飲食店によって雰囲気は全く異なるでしょう。
立ち呑みでも構わなかったり、隣席と触れ合う距離でも気にしなかったりとカジュアルな雰囲気が好みの人と、ウェイティングスペースやアプローチにワクワクしたり、うっとりするような夜景や豪奢な設えにドキドキしたりしたいファインダイニングが好きな人とでは、そもそも候補となる飲食店が違います。
雰囲気は食体験において非常に重要なものです。
カジュアルな飲食店を好きな人が求めているのは、既知の範囲内でリラックスして気軽に訪れることができることであり、ファインダイニングを好きな人が望んでいるのは好奇心や特別感をくすぐるキラキラやトキメキです。
飲食店に対して、前者は日常の延長を、後者は日常から解放された非日常を期待しているだけに、互いの趣味が合わないことは明白でしょう。
ただ、最も大きな問題となるのは、日常と非日常の割合です。なぜならば、いつも日常的な飲食店にだけ訪れることも、いつも非日常的な飲食店にだけ訪れることも、普通はあまりないからです。
時と場所と場合を鑑みて、どれくらいの頻度で日常的もしくは非日常的な飲食店に訪れたらよいかを、パートナーと認識を合わせておく必要があると思います。
信念
食に対する信念は非常に重要となります。
なぜならば、人によって食に対する信念は大きく異なる上に、妥協ができないところだからです。
たとえば、魚や肉を口にしない菜食主義者(ベジタリアン)、さらには卵や乳製品も含めて動物性食品を全くとらない完全(絶対、純粋)菜食主義者(ビーガン、ヴィーガン)と、そうでない人が一緒に食事をとることは、大きな負担がかかるでしょう。
菜食主義者はベジタリアンに、完全菜食主義者はビーガンに対応した飲食店にしか訪れることができません。当然のことながら、食べられるものが異なっているので、食に関する感想や印象も全く違ってくるはずです。
宗教も同様です。
牛肉を食べないヒンズー教であったり、ジビエや豚、甲殻類やイカやタコを口にできないユダヤ教であったりすれば、食生活はだいぶ制限されます。
パートナーのこういった食の制限に対して、よほど理解がなければ、共食していくことは難しいのではないでしょうか。
偏食
主義や宗教といった信条であれば、まだ理解できるかもしれません。
しかし、アレルギー体質というわけではなく、単に個人の嗜好から食の偏向が行われているのであれば、理解することは難しいのではないでしょうか。
食の偏向、つまり、食に対する態度も決定的な要素になっているのです。
葉野菜から根菜など野菜全般が嫌いであったり、野獣であるか否かに関わらずいかなる肉も全て毛嫌いしていたり、少しでも苦味のあるものが食べられなかったり、特定の食感があるものは何でも避けていたりと、食材や料理に対して偏りや選り好みが激しい人もいます。
何でもおいしく食べる人が、偏食の多い人と一緒に食事をとっても、おそらく心地よく過ごせないのではないでしょうか。
マナー
食事のマナーに対する厳格さも大切です。
例えば、肩肘をテーブルに付いて食べたり、腕をだらりと下げたままにしていたり、口を開けて食べたり、音を立てて咀嚼したりする行為を、気にする人は少なくありません。
箸やシルバーの扱い方や料理の食べ方を知っている人が、それらを知らない人に対して残念な思いを抱いてしまうこともあるでしょう。
マナーをよく知っており堅実に守る人と、そうでない人とでは、同じものを食していたとしても、それぞれがまとっている雰囲気や、ダイニングを流れる空気は異なるものです。
尊敬
作り手やサービススタッフ、生産者や食材に対する尊敬の有無も重要となります。
食の提供者に対して敬意の念を表す人と、飲食関係の従事者を見下ろす人とでは、食に関する根本的な価値観や人としての心構えが本質的に違っているのではないでしょうか。
サービススタッフに横柄な態度をとるパートナーに幻滅してしまう例をよく見聞きしますが、これはまさしく食に対する尊敬の相違によるものです。
食文化は文明人としての証左
ここまで、<食の趣味>の違いについて紹介してきました。
食は人間が生きる上で避けては通れないものであり、生命の維持はもちろん、人間としての生活を豊かにするために重要となる要素です。
人類の文化として発達した食が、各人によって嗜好や考え方が異なるのは自然なことかもしれません。
これを単なる<食の趣味>として片付けてしまうのは悪いことではありませんが、食文化を紡ぐことは文明人としての証左のひとつです。
それだけに、身近な人物であるパートナーとの<食の趣味>の違いを考えることは、文明人としての自分自身を見つめ直すことになるので、極めて重要なことであると考えています。