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明石家さんま氏とマツコ・デラックス氏が主張するバイキングのマナーが完全に間違いであるのはなぜか?

東龍グルメジャーナリスト
(ペイレスイメージズ/アフロ)

バイキングをテーマにした議論

2018年8月1日に<8月1日は生誕60周年を迎える「バイキングの日」 あなたのブッフェは時代遅れではないか?>でも紹介したように、8月1日は「バイキングの日」です。

生誕60週年を迎えたということで、改めて正しいマナーや意味のある楽しみ方を紹介しました。

その同じ日の夜に、お笑い界の巨匠である明石家さんま氏の番組であるフジテレビの「ホンマでっか!?TV」が放送され、奇遇にもブッフェをテーマとしていました。

番組では「バイキングでお皿に盛る時、一口サイズで盛る派か、一気にガッツリ盛る派か」をテーマに議論したところ、大きな論争を呼び、以下のような記事も配信されています。

論点は次の通りです。

明石家さんま氏が「残してもいいじゃないですか、バイキングって」と言い放ったり、マツコ・デラックス氏が「残す、残さないじゃなくてさ、ちまちま何回も行ってるのって逆に恥ずかしくない? 私、何度も何度も行ってる人見るとなんか、はしたないわーって思うの、逆に。必死だもん」とまくしたてたりしました。

これが視聴者の感覚とずれていることから、異なる主張が続出したのです。

影響力を危惧

テレビは絶大な影響力があるだけに、テレビ番組を観て視聴者が誤った認識を持ってしまうことを危惧しています。

そのため、以前もテレビ番組におけるバイキング=ブッフェの構成や演出について、疑義を呈したことがあります。

今回も全く同じように、私としては疑義を呈したです。

番組構成の問題

疑義を呈する前に、まず述べておきたいことがあります。

テレビ東京「TVチャンピオン」で2回連続して優勝し、これまで100本以上のテレビ番組に出演してきた私の立場から鑑みると、「ホンマでっか!?TV」のようなゴールデンタイムではしっかりと台本が練られています。

今回の場合は「バイキングでお皿に盛る時、一口サイズで盛る派か、一気にガッツリ盛る派か」というテーマを設けていますが、あまりにも片方の派にだけ出演者が寄ってしまったり、常識的な意見ばかりが出てきたりしてしまうと、番組は平凡でつまらないものとなってしまうでしょう。

そうならないために、出演者をそれぞれの派にバランスよく分けて、過激な意見を述べさせ、議論が盛り上がるようにすることで、番組を面白くしようとします。

従って、前述の明石家さんま氏やマツコ・デラックス氏が述べたことは、必ずしも完全に本人の意見であるとは限らないので、特定の出演者に対して反駁することは希望していません。

ただ、番組を制作するディレクターや放送作家、プロデューサーの意向によって、番組が構成されたことだけは確かでしょう。

多くの視聴者が観ている時間帯で、極めて影響力が大きい明石家さんま氏やマツコ・デラックス氏が、バイキング=ブッフェに関して誤った知識を視聴者に与える構成となっているのは問題であると考えています。

少しずつ取る

<知らないと恥ずかしい、この時代における新しいブッフェのマナー8か条>でも述べている、ブッフェにおける上級のマナーのひとつに、少しずつ盛ることが挙げられます。

少しずつ取る

取りに行くことが面倒だからといって、山盛りにするのはやめましょう。せっかく、料理人が一品一品素晴らしい料理を作っているので、味が混ざってしまってはおいしくありません。料理がくっつかない程度に盛るようにしましょう。もしも気に入った料理があれば、何度でも取りに行って大丈夫です。少しずつ取ることによって、適量食べることにつながったり、色々な料理を味わえたりもします。

出典:知らないと恥ずかしい、この時代における新しいブッフェのマナー8か条

少しずつ取ることによって、見た目や味わいによい影響がありますし、料理人に対するリスペクトにもつながります。

山盛りにガッツリ盛ることによって、見た目も悪くなりますし、料理が混ざって味もめちゃくちゃになります。そして、一生懸命に作った料理人が嬉しく思うはずはありません。料理を作ったことがある人、もしくは、料理を作る人の気持ちが分かる人であれば、ガッツリと下品に盛ることなどありえないでしょう。

食べ残しも多くなり、食品ロスにもつながります。ブッフェの魅力は大食いすることにあるのではなく、何十種類もの料理を色々と食べられることにあります。しかし、ガッツリ盛ることによって、様々な料理を食べる機会も失われてしまうのです。

「あるもの全てを食べようとするのは意地汚い」という意見もありましたが、そもそもブッフェは少しずつ色々なものを食べるスタイルなのです。ローストビーフだけをガッツリと食べたいのであれば、洋食ダイニングでローストビーフをアラカルトで注文すればよいでしょう。

ガッツリと盛る方が、少しずつ盛るよりもよほど意地汚く見えるものです。そうであるからこそ、一流のフランス料理店や日本料理店などのファインダイニングでは、少しずつ絵を描くようなプレゼンテーションで料理を提供しているのです。

数品をガッツリと食べたいのであれば、食材を買って自宅で調理することが、経済的にも意義的としても相応しいでしょう。

何度も取りに行く

「ちまちま何回も行ってるのって逆に恥ずかしくない?」「何度も何度も行っている人を見るとはしたないって思う取りに行くのを見る」「あんまり動かない方がいい」という意見がありましたが、何度も取りに行くことは全く恥ずかしいことではありません。

ブッフェのもとになった、北欧で行われていた1700年代のスモーガスボード(パンとバターの食卓)でも、皿を新しくして何度も取りに行くことがマナーとされています。

あまり取りに行きたくないからといって、料理をてんこもりにして、もとが何の料理であったのか分からない方が、よほどはしたないことでしょう。そもそも、ブッフェは自分で取りに行くスタイルなので、動きたくない人であれば、アラカルトのレストランに行くべきです。アラカルトやコースを提供する飲食店に訪れて、自分で好きなように取りたいと主張するくらい、頓珍漢な意見です。

何度も取りに行かないとなると、一皿にガッツリと山盛りにすることになります。そうなると、前述したように少しずつ取れなくなって、よいことはありません。動きたくないからといって、一度にたくさん取ってしまうと、食べ進めていくうちにお腹が一杯になったり、体調が悪くなったりして食べられなくなった時に、既に取ってきた料理は食べ残すことになってしまいます。これでは大量の食品ロスにつながってしまうでしょう。

食べ残しが多くなってしまうと、飲食店のコストが上がってしまうので、いずれ種類数が減ったり、食材の質が低くなったりしてしまいます。反対に、食べ残しが少ないと、飲食店のコストが下がるので、種類数が増えたり、食材の質が高まったりするものです。不用意に食べ残すことは、客にとっても全く得ではありません。

何度も取りに行く際に皿も新しくすることも重要です。前に使っていた皿をそのまま用いて新しい料理を取ると、味が混ざってしまうからです。料理人からすれば、それぞれの料理の味付けをしっかりと計算して作っているだけに、汚れた皿の上に料理を持って食べてもらうことを喜んだりはしません。

何度も取りに行くことは全く恥ずかしいことでも、はしたないことでもなく、ブッフェを上品に食べている証なのです。一皿にガッツリてんこ盛りにしていることこそ、恥ずべきことであり、はしたない行為なのです。

識者によるコメントの意義

出演者にはタレント以外に評論家もいて、評論家はそれぞれの専門から識者として意見を述べていました。

脳科学評論家が「誰かに取られる可能性があるから、全部持っていくのが正しい。サバイバルだ」と無責任に発言したり、経済評論家がアメリカコーネル大学の研究を引用して「料金が高いほどおいしいと感じられる。高ければどれを食べてもおいしいので、ガッツリ盛るのがいい」と台本に目を落としながら述べたりしていましたが、どちらとも当を得ません。

前者に関しては、基本的になくなっても補充されますし、ブッフェは早く取るための競争ではなく、自分らしく食べるための食のスタイルなのです。本能だから善であるとするのであれば、マナーも文化も人間らしい社会性や配慮も考慮しなくてもよいので、そもそも議論や正しい解など必要ないでしょう。

後者に関しては、「料金が高ければどれもおいしく感じられる」ので「ガッツリ盛った方がよい」というのは、論理的につながっていません。なぜならば「料金が高ければどれもおいしく感じられる」のは料金とおいしさの関係性であって、盛り方とは関係ないからです。

「料金が高ければどれもおいしく感じられる」のであれば、むしろ、どれもおいしいのであれば、より多くの種類を食べた方が食の体験が豊かになるので、多くの種類を食べるために、少しずつ盛った方がよいのではないでしょうか。

テレビの取材不足

少しずつ盛ることも、何度も取りに行くことも、ブッフェではとても大切なことです。

それなのにどうして、影響力のあるタレントが、食べ残すことを推奨して食品ロスにつながるような発言をしたり、見た目や味を損ねておいしく食べられなかったりする手段を声高に述べたりするのでしょうか。

この理由は、番組制作スタッフの勉強が不足しているからであると思います。バイキング発祥の帝国ホテルに取材したり、マナーや食系のジャーナリストに話を聞きに行ったりすれば、決してこのような発言にはつながらなかったでしょう。

せっかく8月1日に放送されたというのに「バイキングの日」やバイキング生誕60周年について何も触れないのも、非常に残念なことです。

テレビ番組の中で対立軸が必要なのは重々承知ですが、そうであったとしても、ある程度の正しさは伝える義務があると考えています。テレビ局は認可制となっており、公共の電波を使って、日本全国の人へと情報を発信できる圧倒的な強い立場にいるだけに、単に面白いからというだけで、自身の局の視聴率が上がりそうというだけで、文化やマナーを蔑ろにしてよいということはありません。

テーマを設けたのであれば、しっかりと深掘りして、視聴者に正しいことを伝えようとする姿勢が、最強のメディアであるテレビには必要不可欠であると思うのです。

番組の構成上、識者の発言を入れるのであれば、マナーや文化、楽しみ方といった観点による見解を加えた方が有意義であったと思います。

文化人はギャラも極めて非常に安いだけに、食やマナーの専門家やジャーナリストなど、今テーマの専門家に取材しないのは、単なる番組作りのスタッフによるプロフェッショナルとしての怠慢であると感じます。

専門家の意見を紹介しなければ、このTV番組をみた視聴者からすれば、結局どちらが正しいのかと、大いに疑問が残るはずではないでしょうか。

面白いだけでよいのか

これまでもブッフェについては、食文化の向上を願って多くの記事を書いてきました。ブッフェの歴史について紹介したり、由緒正しきマナーを案内したり、楽しい食べ方を説明したりしています。

しかし、テレビの番組やタレントの発言はこういった地道な文化的な普及活動を一瞬のうちに消し去ってしまうほどの極めて強い力を宿しています。

テレビ局は、単に視聴者が面白がって観られるからよいという視点から脱却すると共に、しっかりお金と人的リソースを費やして取材を行い、視聴者を啓蒙するべき存在であるべきです。タレントの出演料に比べれば、アシスタントディレクターの給料やリサーチ会社への費用、さらには、専門家への取材費用など、極めて安いことでしょう。

今回は皮肉にも、バイキング生誕60周年という節目の日に、ブッフェに対して全くの敬意も考察も払われない不毛な番組が放送されました。最強メディアであるテレビに対して、甚だ残念であると思うばかりです。

グルメジャーナリスト

1976年台湾生まれ。テレビ東京「TVチャンピオン」で2002年と2007年に優勝。ファインダイニングやホテルグルメを中心に、料理とスイーツ、お酒をこよなく愛する。炎上事件から美食やトレンド、食のあり方から飲食店の課題まで、独自の切り口で分かりやすい記事を執筆。審査員や講演、プロデュースやコンサルタントも多数。

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