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なぜグルメ論争は起こるのか? 3つの共通点と、この1つだけは気にかけてもらいたいこと

東龍グルメジャーナリスト
(写真:アフロ)

納豆のタレ問題

ここ最近の食の話題として、<納豆のタレは“先入れ派”か“後入れ派”かネット上で大論争>があります。

納豆のタレは、納豆をかき混ぜる前に入れるのか、それとも後に入れるのかということで、ネット上で意見が分かれて議論が繰り広げられ、テレビで紹介されるまでに至りました。

私もこういった食に関連した議論<グルメ論争>について関心があるので、いくつか記事を書いています。

主だった最近の記事は以下の通りです。

冒頭の<納豆のタレ問題>も大きな話題となっていますが、この記事では、改めてそれを取り上げるのではなく、ぜぜこういった<グルメ論争>が起このかについて考えてみます。

グルメ論争

<グルメ論争>の流れこうです。

ある事象(事件)が起きて、それが主にTwitterによって拡散され、議論が激しくなっていくことが多いです。

では、どういったものが<グルメ論争>へと発展するのでしょうか。

私は以下の点が挙げられると考えています。

  • 食べたことがある
  • 暗黙の前提がある
  • 正解がない

食べたことがある

まず第一に、多くの人が食べたことがあるものが<グルメ論争>の対象となります。大きな議論に発展するためには、多くの人の関心や意見が必要です。そうなると必然的に、多くの人が食べたことがあるものに限定されます。

先の<納豆のタレ問題>では、日本人であればまず納豆を食べたことがあるので、まさにその通りです。

もしも、納豆ではなくて、シャラン鴨のポワレであったとしたら、どうでしょうか。食べたことがある人の方が少ないので、<グルメ論争>にまで発展することはないと思います。

先の私の記事では、焼き鳥もほとんどの日本人が食べたことがあるでしょうし、デザートブッフェは男性でも1度くらいは食べた経験があるでしょう。ラーメン二郎は多くの店舗があるだけではなく「ジロリアン」と呼ばれる熱烈なファンもいます。

<グルメ論争>の対象となるのは、多くの人が食べたことがあるものや、訪れたことのある飲食店なのです。

暗黙の前提がある

<グルメ論争>にまで発展するのは、その対象となるものに暗黙の前提がある場合です。この暗黙の前提が議論の火種となります。

<納豆のタレ問題>ではまさしく、「納豆の食べ方」=「各個人にとってのスタイル」=「暗黙の前提」が議論を巻き起こしました。人によって納豆にタレをかけるタイミングが違うにも関わらず、それぞれが自分のタイミングが普通であると感じていただけに、議論へと発展したのです。

焼き鳥の記事では肉を串から外してもよいかどうか、デザートブッフェの記事ではオーダー方式における最初の盛り合わせの対応が、議論の始まりとなりました。

ラーメン二郎の記事では、大量に食べ残した客が悪いことは自明ですが、ファンとファン以外とで、ラーメン二郎における暗黙の前提が大きくずれていたので議論が大きく割れることになりました。

食べ方やシステムに暗黙の前提がある場合、そこから逸脱した食べ方をしたり、システムからはみ出したりすると、それをけしからんと思う人が声を上げます。すると、でもそこまで悪くないのではと擁護する意見も上がり、<グルメ論争>が過熱していくのです。

正解がない

暗黙の前提があって、それを支持する人と反対する人などの間で議論が起こりますが、調べてもこれが正解という結論が存在しないとなると、<グルメ論争>は大激論へと発展します。

<納豆のタレ問題>では、タレを先に入れた方がお勧めとしながらも、最終的には好み次第ではないかと、全国納豆協同組合連合会が回答しています。

デザートブッフェの記事では最初の盛り合わせやオーダー分量に関して、これが適切だというものはないでしょう。焼き鳥の記事では、調理人からすれば串に刺して焼くことに意味があるものの、どのような状況であっても、外して食べたいという客の要求を拒否することが正しいとは言い切れません。

正解がないが故にすぐ収束する気配を見せません。そしてこの激論を新しく知った人も新たに議論に参戦し、息の長い<グルメ論争>となるのです。

食の価値感は人に深く結び付いている

食は、人にとって非常に重要な生理的欲求ですが、生まれ育った地域や家族から受ける影響が大きいので、人によって、味覚や好み、関心や経験が全く異なっています。

そういった中で、みんなが食べたことがあり、自分なりの解を持っている食に関する話題があれば、関心を持ったり、議論に加わりたくなったりするでしょう。

食は多様化が進み、食の価値観も人それぞれによって大きく変わってきています。その一方で、得られる情報は増えていき、手軽に発信できる時代にもなっているので、<グルメ論争>は今後ますます多く見掛けられるようになるのではないでしょうか。

<グルメ論争>が巻き起こった時に、自身も加わるのは全く構いませんが、食の価値観はその人自身と深く結び付いているものなので、議論に加わる人は、相手が持つ食の価値観を尊重しながら意見を述べることが、とても重要になるのではないかと、改めて強く思います。

グルメジャーナリスト

1976年台湾生まれ。テレビ東京「TVチャンピオン」で2002年と2007年に優勝。ファインダイニングやホテルグルメを中心に、料理とスイーツ、お酒をこよなく愛する。炎上事件から美食やトレンド、食のあり方から飲食店の課題まで、独自の切り口で分かりやすい記事を執筆。審査員や講演、プロデュースやコンサルタントも多数。

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