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うめもと實が語る〈マタイ受難曲2021〉【〈マタイ受難曲2021〉証言集#20

富澤えいち音楽ライター/ジャズ評論家
〈マタイ受難曲2021〉ステージのもよう(撮影/写真提供:永島麻実)

 2021年2月、画期的な“音楽作品”が上演されました。その名は〈マタイ受難曲2021〉。バロック音楽を代表する作曲家ヨハン・セバスチャン・バッハによる〈マタイ受難曲〉を、21世紀の世相を反映したオリジナル台本と現代的な楽器&歌い手の編成に仕立て直し、バッハ・オリジナルのドイツ語による世界観から浮かび上がる独特な世界を現代にトランスレートさせた異色の作品となりました。このエポックを記録すべく、出演者14名とスタッフ&関係者6名に取材をしてまとめたものを、1人ずつお送りしていきます。概要については、「shezoo版〈マタイ受難曲2021〉証言集のトリセツ」を参照ください。

♬ 老舗ジャズ・ライヴハウスを引き継ぐ

 横濱エアジンというのは、神奈川の関内にある1969年開業のライヴハウスなんですが、僕は2代目なんです。初代が姉夫婦で、まぁ、義兄が始めたんですけれど、そのころ僕はドイツに留学していて、義兄が交通事故で亡くなってしまったので「店はどうするんだ?」ということになって、いろいろ経緯がありながら引き受けることになったのが1982年ぐらいのことですね。

 ジャズのライヴを専門にやっている店としては、東京・新宿のピットイン(1965年開業)、西荻窪のアケタの店(1974年開業)あたりが現存しているなかでは古株なんですが、まぁ、そういう店のひとつです。

 この〈マタイ受難曲2021〉では“制作協力”とクレジットされているんですが、たぶんshezooが「こんな名称でいいだろう」と思って付けたんでしょうね。

 バッハに関しては横濱エアジンではだいぶ前から取り組んでいるテーマなんですよ。“バッハ祭”と題した企画を20数年ぐらい、春と夏にやっています。

 そこでshezooも、〈マタイ受難曲〉に限らずいろいろなバッハの曲を取り上げていて、そのなかから〈マタイ受難曲〉に絞ったプログラムをやったのが何年か前だったと思います。

 そんな感じで横濱エアジンがshezooにとってのバッハの発表場所だったということから、その場を提供したという意味で“制作協力”ということにしてくれたんだと思います。

♬ 日本のジャズの底上げをバッハに託す

 横濱エアジンでバッハをやるようになったきっかけというのは、言ってしまえば僕の個人的な趣味だったんですけどね。

 もともとクラシックのラッパ吹きだったんですけれど、ドイツに音楽留学していたときに日本に呼び戻されて、それで横濱エアジンを引き継ぐことになった。そこではすでに日本のジャズ・ミュージシャンたちが演奏していたわけなんですけれど、僕からすればあまりに音楽的な基礎ができていない人が多かったので、驚いてしまったんですよ。

 なので、「バッハの曲なんかを練習でやっていないのか?」と聞いてみたら、「ジャズにバッハなんか関係ない!」って言い返されてしまった。いやいや、ジャズだろうがなんだろうが、音楽演奏を志していてバッハをやらないなんて、世界的に見たら少数派なんじゃないの、って。

 そんな“危機意識”から、「ちょっとバッハでも弾いてみないか」と始めたのが“バッハ祭”だったんです。最初に無理矢理バッハを弾かせたのは板橋文夫(ピアノ)でした。

♬ 始まりは着物姿のガーシュウィン

 shezooとの出逢いはね、1990年代あたりだったんじゃないかなぁ。彼女が姉の祐希とのユニットで、振り袖を着てガーシュウィンをやっていたという記憶があるんだけど、ヘンな人たちがいるなぁ、日本はコワいなぁって思っていた。

 レディ・ジェーン(1971年開業の東京・下北沢のジャズ・バー)の大木雄高さんが本(『ロマーニッシェス・カフェ物語 : 遊民と酒と軽文化』1995年刊)を出して、その出版記念パーティーに呼ばれて行ったら彼女たちを紹介されたから、そのときが最初だったんじゃないかと思うんだけど、三田さん(三田晴夫)と六平さん(岩神六平)が2人を連れてきて「実はこの2人、桐朋学園出身で、うめもとさんの後輩なんですよ」って言われて、横濱エアジンでもライヴをやれないかという話になった。

 そのころはまだ4ビートが中心の店だったから、“そうじゃない”ライヴをやっていいものかどうか迷ったんですよ。ガーシュウィンは4ビートだと言えば4ビートなんだけど、スウィングみたいなスタイルをやっていた彼女たちを出演させていいものかどうなのか。まぁ、出演させる羽目になったんだけど……(初ライヴは1996年4月19日)。それ以来の付き合いです。

公演直前に横濱エアジンで行なわれた〈マタイ受難曲2021〉のリハーサル(写真提供:shezoo)
公演直前に横濱エアジンで行なわれた〈マタイ受難曲2021〉のリハーサル(写真提供:shezoo)

♬ ラッパ吹きには縁がなかった〈マタイ受難曲〉

 〈マタイ受難曲〉についてはね、留学中、シュツットガルトにいたときに1回だけ聴いたかな。僕がヨーロッパにいたときはオペラハウスに入っていて、それ以外では教会の仕事をしたりしていたんだけど、トランペットだったからね。〈マタイ受難曲〉にはラッパがないんですよ。〈ミサ曲 ロ短調〉(BWV 232)とか〈マニフィカト ニ長調〉(BWV 243)とか〈カンタータ〉(「心と口と行いと生きざまもて(Herz und Mund und Tat und Leben)」)(BWV147)とか、バッハにはトランペットが入る曲はいっぱいあるから、そういう仕事は来るんだけど、〈マタイ受難曲〉に関してはほとんど縁がなかった。〈Erbarme dich〉(第39曲〈憐れみたまえ、我が神よ〉)ぐらいですよ、鼻歌で歌えるのは。

 shezooから〈マタイ受難曲〉の話を聞いたのは、コンサートの2年ぐらい前かな。それまでも横濱エアジンで30~40分ぐらいの〈マタイ受難曲〉からの選曲と、次のセットは違う曲という組み合わせでライヴをやっていたんだけど、〈マタイ受難曲〉の全曲を演奏したいという話を聞いたのはそのころだったと思います。

 それを聞いて、〈マタイ受難曲〉って3時間ぐらいかかるんだから、店としてはそんな辛気くさくて長い曲をやられてもなぁって思ったんだけど、彼女の目を見たら真剣でね。それでこちらも腹をくくったわけですよ、嫌々ながらもね。

 一般的にはジャズの店でバッハを演奏するとなれば違和感が生じるはずなんだけど、shezooの場合は彼女のオリジナルのきれいな曲を演奏しようが〈マタイ受難曲〉みたいな宗教がかった曲を演奏しようが、どちらでもみんな熱心に聴いて満足して帰るから、まぁいいのかなと思っていたんだけど。

 だから、いよいよ全曲やるという話を聞いたときも、もとから腹をくくっていたから驚かなかったですね。でも、バッハの曲って、富士山みたいなものだから、遠くで眺めているぶんには「キレイだね」で済むんだけど、いざ登ろうとするとタイヘンなことになる。

 特に〈マタイ受難曲2021〉は、普段はあまりバッハに縁のなかった人たちがやろうとするわけだから、タイヘンだろうなぁと思っていました。

 楽器の編成を見ても、バッハの時代にはなかったものが多いしね。ミク(酒井康志がオペレーションを担当したボーカロイド“初音ミク”)までいるから。

 とは言え、そんな編成にもかかわらず古楽器のサウンドをところどころで感じさせたり、バッハの性格を考えれば彼がこの時代に生きていれば初音ミクをきっと使った違いないと思ったり。演劇的な内容を含めて、バッハの楽譜を再現するのではなく、バッハが“なにをしたかったのか”をやろうとしている。

 この出演者のインタヴューでもみんな「当日までどうなるかわからなかった」って言っているけど、バッハ自体が演奏者を惑わすようなことを平気でする人なワケですよ。そういうことを本能的に考えていたんだと思う。そういう意味では、演奏者も観衆もみんな欺されるんじゃないかというような、いろんなものが混じって再現された〈マタイ受難曲〉だったと思いますね。

うめもと實(写真提供:うめもと實)
うめもと實(写真提供:うめもと實)

横濱エアジン ホームページ:https://airegin.yokohama/

音楽ライター/ジャズ評論家

東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。2004年『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)、2012年『頑張らないジャズの聴き方』(ヤマハミュージックメディア)、を上梓。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。2022年文庫版『ジャズの聴き方を見つける本』(ヤマハミュージックHD)。

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