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“予定調和”なのに“物語”が生まれた2024年の“お年玉”〜東京文化会館ニューイヤー・コンサート雑感

富澤えいち音楽ライター/ジャズ評論家
画像素材(写真:アフロ)

2024年の年初、東京・上野の東京文化会館で行なわれたニューイヤー・コンサートを拝見する機会を得た。

この何年かは、個人的にも“仕事始め”のようなかたちで、上野駅前のその会場に足を運んでいたのだけれど、年ごとにマエストロ(=指揮者)と東京都交響楽団による趣向を凝らしたプログラムが組まれ、“一年の計”とするにふさわしいコンサートで楽しみにしているのだ。

2024年は原田慶太楼を迎え、ゲストにヴァイオリニストの前田妃奈というラインナップ。

《響の森》Vol.53「ニューイヤーコンサート2024」チラシ(筆者スクショ)
《響の森》Vol.53「ニューイヤーコンサート2024」チラシ(筆者スクショ)

これまで観る機会があった東京文化会館のニューイヤー・コンサートでは、迎えたマエストロの“十八番”ともいうべき演目と、ゲスト、ソリストをフィーチャーした曲の二層仕立ての選曲でプログラムされていた(と認識している)が、今年もおそらくその路線は変わっていないと思われる。

ダブル・ミーニング的なプログラムを謎解きする楽しみ

第1部はヨハン・シュトラウス2世の〈オペレッタ『こうもり』序曲〉、そしてレナード・バーンスタインの『ウエスト・サイド・ストーリー』からメイソンが編曲したメドレー、ヘンリク・ヴィエニャフスキの〈グノーの『ファウスト』による華麗なる幻想曲〉と続いた。

先に、このニューイヤー・コンサートがマエストロの“十八番”を選ぶと書いたけれど、オープナーの〈オペレッタ『こうもり』序曲〉は、原田慶太楼が自分の得意とする演目というよりは、“ニューイヤー・コンサートだから”という思惑が強く感じられる選曲で、そうしたリスナーへのサービス精神こそが原田慶太楼らしさを体現していたプログラムと言い換えたほうが良いかもしれない。

というのも、そもそもニューイヤー・コンサートというのは150年ほど前にオーストリアのウィーンで開催されたウィーン・フィルによるヨハン・シュトラウス2世を中心とするシュトラウス一家の楽曲をリスペクトするためのイヴェントとして始まったようなもので、日本の公共放送局でも1月1日のウィーン楽友協会大ホールで行なわれるこのコンサートの模様を中継していることもあり、クラシック音楽ファンのあいだではニューイヤー・コンサート=シュトラウスという方程式がすり込まれているはずなのだ。

そうしたバイアスを利用しながら、新年のお祝い気分を盛り上げるための燃料としたに違いないマエストロの意図は成功して、会場はオペレッタの華やかな調べによって優しく柔らかい雰囲気に包まれて始まることになった。

〈オペレッタ『こうもり』序曲〉を振り終えて、指揮棒をマイクに持ち替えた原田慶太楼は、“物語のあるコンサート”という言葉を口にした。

それはつまり、オムニバス的な、人気曲をアソートしたプログラミングではなく、当日をひとつのコンテキストとして表現しうるセレクションにしたことを意味している。

そして、マエストロがニューイヤー・コンサートとシュトラウスに準じて紐付けようとしたのはレナード・バーンスタインだった。

ヨハン・シュトラウス2世とバーンスタインは、時代的にも重ならず、音楽軸的はもちろん、人種や地政学の軸においても双方の座標はかなり離れていると言わざるをえないのだが、それを“物語”として合わせようというところがマエストロの腕の見せどころ、という趣向なのだろう。

落語で例えれば三題噺といったところだろうか。

そうであれば、論理的整合性を云々するよりマリアージュというニュアンスで捉えるべきだろう。

シュトラウスの曲想はダンスという主体をいかに魅惑的に成立させるかという意味で“背景的”であり、バーンスタインの曲想はパーカッシヴなサウンドを効果音的に配した“立体的”なものであることが、並べて演奏されると際立っていた。

それは良し悪しではなく、“時代の空気感”と言うべきものだと思うのだけれど、19世紀から20世紀の“文化の軸足”がヨーロッパから新大陸アメリカへ移り、音楽が担う役割にも大きな変化があったことを体感できるプログラムになっていたと思う。

前田妃奈のストロング・ポイントを徹底的に利用

当日のもうひとつの“物語”は、ソリストとして参加した前田妃奈をフィーチャーしたところにあった。

彼女は2020年開催の第18回東京音楽コンクール弦楽部門で第1位(と聴衆賞)に輝き、主催団体のひとつである東京文化会館で企画されるニューイヤー・コンサートへの出演に結びついた(若手音楽家の登龍門である東京音楽コンクールの第1位・最高位入賞者にはこうしたサポートが特典として提供される)のだけれど、それ以上に彼女を加えることで物語が熱くなる要素として、彼女の「2022年開催の第16回ヘンリク・ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリンコンクールで優勝」という、世界的な注目を集める直接的な原因を引っさげての登場だったことが大きい。

ヘンリク・ヴィエニャフスキはポーランドの作曲家・ヴァイオリニストで、その驚異的な演奏テクニックは彼の2世代ほど前に一世を風靡したニコロ・パガニーニに比肩するとされた音楽家。

ちなみにヴィエニャフスキとヨハン・シュトラウス2世はほぼ同世代だ。

ヴィエニャフスキの死後、生誕100年を記念して1935年に創設されたのがヴィエニャフスキ国際ヴァイオリンコンクールだった。

第1部の最後に前田妃奈を迎えて上演されたのがヴィエニャフスキ作曲の〈グノーの『ファウスト』による華麗なる幻想曲Op.20〉で、超絶技巧満載の難曲を肌で感じる貴重な機会を観客に与えてくれた。

これはニューイヤー・コンサートの“お年玉”と言えるプログラムだろう。

第2部で興味深かったのは、1曲目のバーンスタイン〈『キャンディード』序曲〉と3曲目のヨハン・シュトラウス2世〈美しき青きドナウ Op.314〉に挟まれたパブロ・デ・サラサーテの〈カルメン幻想曲Op.25〉で、この曲はジョルジュ・ビゼー作曲のオペラ〈カルメン〉のメロディを用いてヴァイオリンのスゴ技を堪能できる(演奏者に対しては“苦行”を強いる)ように再構成されたもの。

ここもまた、前田妃奈をフィーチャーした今回のニューイヤー・コンサートならではの“見せ場”になっていた。

さて、アンコールはどう締め括ってくれるのかと待ち構えていると、「さぁ、行きますか!」というマエストロの掛け声とともに流れてきたのは〈ラデツキー行進曲〉だった。

予想どおりと言えば予想どおりのヨハン・シュトラウス2世の曲。

しかし、この“予定調和”こそが“物語”を生むための大切な要素であり、完結するからこそ次の新たな楽章が開かれるわけだ。

──と、表面的にはメジャーな曲とマニアックな曲を程よくブレンドした軟派なプログラムと思いきや、実は骨太で複層的な“物語”を備え、創造力をたくましくさせるコンサートだったんじゃないだろうかと思ったものだから、備忘録がわりのメモ程度にと書き始めた文章がこんなに長くなってしまったのだが……。

音楽ライター/ジャズ評論家

東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。2004年『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)、2012年『頑張らないジャズの聴き方』(ヤマハミュージックメディア)、を上梓。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。2022年文庫版『ジャズの聴き方を見つける本』(ヤマハミュージックHD)。

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