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佐藤桃が語る〈マタイ受難曲2021〉【〈マタイ受難曲2021〉証言集#06

富澤えいち音楽ライター/ジャズ評論家
〈マタイ受難曲2021〉カーテンコール(撮影/写真提供:永島麻実)

 2021年2月、画期的な“音楽作品”が上演されました。その名は〈マタイ受難曲2021〉。バロック音楽を代表する作曲家ヨハン・セバスチャン・バッハによる〈マタイ受難曲〉を、21世紀の世相を反映したオリジナル台本と現代的な楽器&歌い手の編成に仕立て直し、バッハ・オリジナルのドイツ語による世界観から浮かび上がる独特な世界を現代にトランスレートさせた異色の作品となりました。このエポックを記録すべく、出演者14名とスタッフ&関係者6名に取材をしてまとめたものを、1人ずつお送りしていきます。概要については、「shezoo版〈マタイ受難曲2021〉証言集のトリセツ」を参照ください。

♬ 佐藤桃の下ごしらえ

 チューバを手にしたのは中学入学のとき。それまでも金管バンドのようなクラブ活動でトランペットを吹いたり、ピアノは3歳ぐらいから触っていたらしいのだが、本人曰く「あまり記憶にありません」とのこと。

 本当はチューバよりも「丸くてかわいいと思った」ホルンをやりたかったが、競争率が高くて断念。

 そんなある日、先生がジャズ・スタンダードの「ミスティ」の楽譜を持ってきたことがあった。それを見ると、「エスドゥア(Es dur、変ホ長調)だったんですよ。調号がフラットが3つあって、読めなかったんだっていう記憶しかない」という洗礼を受けたのがジャズとのファースト・コンタクト。

 高校は普通科ながら音楽を選択できる学校に、なぜかピアノで推薦入学したが、入学直後に先生から「ピアノはムリだからチューバをやっていたならチューバにしなさい」と言われて転向が決まり、東京藝術大学もチューバでめざすことになる。

 将来的な目標はなにも決めていなかったが、卒業のタイミングで同級生から「演劇関係の仕事でチューバを探しているんだけど、やってみない?」と誘われてプロの道へ。

♬5ミリぐらい近づいたバッハとの距離

 バッハは、私の音楽経歴のなかでは遠い存在だったと思いますね。吹奏楽部のパート・レッスンで“触った”ことはありましたけど、それ以外はほとんどなくて……。

 そういう経験が影響しているのかもしれませんが、私、バッハを安易に吹奏楽で取り上げることに疑問があるんですよ。現在は自分が演奏するだけでなく指導者としての立場もあるんですが、やはりバッハを吹奏楽の編成でやるのはあまり良いことだと思っていないんです。

 もちろん、バッハは“いい練習”になるとは思うんです。ただ、個人的には、チューバをはじめとした吹奏楽の楽器がバッハの時代に合わないということで、同意できなかった。

 自分で演奏するのは抵抗ないし、むしろ好きなんですけど。〈無伴奏チェロ組曲〉や〈フルート・ソナタ(無伴奏フルート・ソナタ イ短調 BWV1013)〉、〈ヴァイオリン・ソナタ(無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータBWV1001-1006)〉なんかも、チューバ用というわけではないんですが、少しアレンジして練習できるような譜面が出ているので。

 という感じだったので、〈マタイ受難曲〉については、なんとな〜く知ってはいましたけれど、チューバという楽器を演奏している身にとっては“お噂はかねがね”って感じなんですよ。

 今回、shezooさんのアレンジで〈マタイ受難曲2021〉を経験して、5ミリぐらい近づいた感じ、じゃないかと思っているんです。

♬ ピアノの音に魅せられたファースト・コンタクト

 shezooさんに初めてお目にかかったのは、6〜7年前に、横濱エアジンだったと思います。お名前はよくお見かけしていたんですけれど、直接逢ったのは……、エアジンの“バッハ祭り”だったかな、やはりバッハがテーマのライヴだったと思います。共演というんじゃなくて、私が観に行ったんです。それでお店でご紹介いただいて、一緒にやりましょう、って。

 shezooさんの印象は、まずなによりも“ピアノの音がキレイだなぁ”と思ったのを覚えていますね。それが第一印象。いま思うと、音に人柄が出ているっていうのかなぁ。そういう感じだったんじゃないかと思いますね。

 そのあと何度かライヴをご一緒させていただいて、そのときに「今度こういうのをやりたいと思っているんです」って〈マタイ受難曲2021〉のお話をされていました。チューバはバッハの時代にはなかった楽器だけど、今回はクラシック畑じゃない人に声をかけたいから「いいよね?」って。つまり、オリジナルじゃないことをやりたいという意味なのかなぁと受け取ったので、「かしこまりました、ははぁ〜」みたいな。

 実際に、なんだか楽しそうだからやってみたい、と思ったのは本当なんです。

♬ 断片が重なってようやく見えたバッハの本質

 いざshezooさんアレンジの譜面が届くと、やっぱりバッハなんですよね。私はコンティヌオ(通奏低音)の担当だったんですけれど、自分で練習しているときには感じなかったことが、ほかの楽器の人と音を出してみて初めてわかることがけっこうありましたね。なんというか……、バッハをやるということはわかっていたんだけど、音を出してみるとメンバーの方々からにじみ出てくるものがあって、“みんなの音楽”という感じになるというか……。

 やっぱり美しいんだなぁ、って。バッハも天才だし、それを“みんなの音楽”として成立させてしまうshezooさんも天才。本番になってようやく、ああ、shezooさんの頭のなかにあった〈マタイ受難曲〉ってこういう景色だったんだということがようやく見えてきたんです。

〈マタイ受難曲2021〉でチューバを奏でる佐藤桃(撮影/写真提供:永島麻実)
〈マタイ受難曲2021〉でチューバを奏でる佐藤桃(撮影/写真提供:永島麻実)

♬ バッハとして完成させてしまうと失敗?

 技術的には、バッハの原曲にはない楽器を演奏するワケなので、原曲にあるパートをチューバで演奏するだけではないんだろうとは思っていました。私に渡された譜面でshezooさんが左手で同じ旋律を演奏される部分があって、shezooさんの演奏に合わせて吹くようにしたりしていたんですが、「そこの歌い方はこうしてください」とか「それはちょっと違っていて……」と指示があったりしたんです。そう言われて私も必死に対応しようとしていたけれど、shezooさんかおっしゃっていたのはグルーヴというか、曲に大きな流れを作る役割をチューバに与えようとしていたんじゃないか、って終わってから気づいたんです。

 難しいのは、チューバでそれをしっかりやってしまうと、それはそれでバッハとして完成してしまうことになるので、このプロジェクトでは失敗というか、不正解なんです。

 そういうことはshezooさんの頭のなかにはあったんだと思うんですけれど、少なくともゲネプロまではメンバーの誰もがそれを見ることはできなかっただろうし、私もまったく想像できていませんでした。

 私、劇伴の経験もあるんですが、ひと月前ぐらいから稽古を重ねているし、演奏者でもセリフはぜんぶ入っているという状態が普通だったんですよ。ところが今回は、まるで洗濯機に放り込まれた洗濯物みたいにグルグルと回されるばかりで、いったいどうなっているのやら……、でした。

♬ 幽体離脱状態だった本番の2日間

 本番の2日間は、自分が演奏しているというよりは、観客として体験しているような感じでしたね。それも、舞台の上のほうから。客観視というよりは、自分が演奏している当事者なんだけれど、それを外から観ているというか……。たぶん、前に歌い手の方やエヴァンゲリストが並んでいて、そちらに意識が行っていたのかもしれませんね。

 終わってから思うのは、〈マタイ受難曲2021〉はあれが完成形じゃなかったんだ、ってこと。直前に上演時間の関係で予定していた曲の一部がカットになったりという物理的な問題もありましたけれど、フル・ヴァージョンでやってみたいというのとともに、次はまた違った〈マタイ受難曲20××〉にカタチを変えながら続いていくんだろうなぁ、って。

 まぁ、そのときにチューバが必要とされているかどうかはわからないし、チューバだらけになっているかもしれないですけれど。

 そういう想像ができるぐらい、この〈マタイ受難曲2021〉って観終わるまで全体像がつかめないものだったと思うんです。shezooさんでさえ見えていなかったんじゃないかな。

 それは決して“不完全だった”という意味ではないんですけれど、それだけに今回カットせざるをえなかった部分を加えた“完全版”の再演というか、カタチを変えながら上演を続けていくことのできる作品なんだろうと思うんです。うごめきながら進化し続けていく不思議な生命体みたいなものかなぁ……。そうなるとおもしろいと思っているんですけどね。

〈マタイ受難曲2021〉公演終了後のオフショット(撮影/写真提供:永島麻実)
〈マタイ受難曲2021〉公演終了後のオフショット(撮影/写真提供:永島麻実)

Profile:さとう もも チューバ奏者

12歳からチューバを始める。埼玉県立伊奈学園総合高等学校を経て東京藝術大学音楽学部器楽科卒業。室内楽を守山光三氏に、チューバを中村年男氏、稲川榮一氏に師事。

小学生から大学生、社会人までの楽器演奏指導、演劇作品への参加、ドラマやCMのレコーディングなど、クラシックにとどまらず様々なジャンルで活動中。

MUSIC PLAYERS おかわり団のメンバー。東京都立総合芸術高等学校・非常勤講師。

佐藤桃(写真提供:佐藤桃)
佐藤桃(写真提供:佐藤桃)

音楽ライター/ジャズ評論家

東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。2004年『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)、2012年『頑張らないジャズの聴き方』(ヤマハミュージックメディア)、を上梓。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。2022年文庫版『ジャズの聴き方を見つける本』(ヤマハミュージックHD)。

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