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「あまびえジャズ祭」立ち上げの経緯と松井秋彦が語る“コンテンポラリー・ジャズ”の本質

富澤えいち音楽ライター/ジャズ評論家

新型コロナウイルス感染症対策として政府が緊急事態宣言を発出する1ヵ月ほど前から、すでにコンサート会場の営業自粛やチケットのキャンセルが目立つようになり、演奏側もイベント提供側もともに通常の経済活動が成立しない状態に陥りつつありました。

イベント提供側(ジャズクラブやライヴハウス、ホールなど)の動向については、その一部をYahoo!ニュース個人の記事にして発表。

https://news.yahoo.co.jp/byline/tomizawaeichi/20200310-00167089/

https://news.yahoo.co.jp/byline/tomizawaeichi/20200512-00178189/

業態で顕在化した問題点を指摘するとともに、音楽文化を支える裏方の重要性をもっと多くの人に知ってもらうための広報役を担わせてもらい、この苦境を乗り越えるためのエールに少しでもなれればと、引き続き取材を続けているところです。

一方で、演奏側になにかできることはないかと考えてみると、モダン・ジャズの黎明期に少なからず存在したパトロン/パトロネーゼのように経済的にも精神的にも支えることこそが最大の援助だと思うものの、残念ながらそんな余裕も度量もなく、考えあぐねていたのですけれど、考えてもたいしたことが思い浮かばないのならば動いてしまえと、個人ブログで勝手に“オンライン音楽祭”なるものを始めてみました。

これは、外出が制限されるなかでジャズ・ファンの無聊を慰めるとともに、ネットのチケット・システムを準用、簡易的に募金できるようにして、少しでも演奏側の“足し”にしてもらえればという目論見です。

考えてみれば、前述のパトロン/パトロネーゼ的な方法論は、このコロナ禍ですでにデジタルな投げ銭システムやクラウドファンディングを利用して成果を上げています。

私はこうした「(ネットを介してはいるものの)より直接的な表現者と観賞者の関係性の確立」は当然の顕在化であり、表現形態にも影響を及ぼすものと考えています。

しかし、音楽ライターという第三者的立場でそこに当事者的に関わることは“関係性の確立”を阻害しかねず、自分の役割でもないと躊躇していました。

第三者を維持してできることはないかとして浮かんだアイデアのひとつが「あまびえジャズ祭」でした。

演奏側には表現の場を制限されたコロナ禍ならではの活動にチャレンジしてもらいたい。ファンにその活動を知らせて応援してもらいたい。演奏者とファンのつながりを経済的な成果にも導きたい──。

自分(つまり斡旋者)がマージンをとらずに、あくまで演奏者の実験的なパフォーマンスを、ファンがチケット購入という投げ銭のかたちで評価できるのかというような、単純な仕組みの実現が可能かどうかも試しています。

ぜひ「どんなことをやろうとしているのか」を覗きに来てください。

https://jazz.e10330.com/amabieentry/

期限は7月22日いっぱいまで。7月23日が“幻の”東京オリンピック2020開会式開催日だったところにひっかけてみました。

松井秋彦からのしめしめな参加打診

さて、「あまびえジャズ祭」呼びかけをリリースしたのが4月26日(https://bit.ly/2VGaokK)。

最初に手を挙げてくれたのが、松井秋彦でした。

https://jazz.e10330.com/2020/05/05/akihikomatsui/

このエントリーページの解説で私は、建築の世界でモダニズムが様式美的な装飾を否定した作風であることを引用し、彼が標榜する“コンテンポラリー”な作風を“モダン・ジャズらしさの否定”として同列に評する文章を加えてアップしました。

すると彼から、「モダン・ジャズを否定してはいませんよ」というメッセージが届いたのです。

実は、こうしたやり取りをしたかったから、「あまびえジャズ祭」のエントリー条件に「富澤えいちとコミュニケーションが取れる人」という一文を入れておいたという次第。しめしめ。

すかさず松井秋彦に「そのくだりをインタヴューさせてほしい」と返信すると、快諾してくれました。

ということで、コロナ自粛のなか、Zoomインタヴューが実現することになりました。

コンテンポラリー・ジャズとはなんなのか?

松井秋彦(筆者撮影)
松井秋彦(筆者撮影)

──松井さんのコンテンポラリー・ジャズについての認識をうかがいたいと思います。

松井:そこが難しいところなんですけど……。

コンテンポラリーっていう言葉自体が、美術とかダンスとかほかの場面、ほかの分野でもそうだけど、音楽でもやっぱり“現代音楽”って訳されたりしますよね。“コンテンポラリー・ジャズ”としたときにも同様にその言葉からいろんな想像をする人がいるようなんですよね。

ただ、モダン・ジャズを通過してきてる人たちにとっての“コンテンポラリー・ジャズ”に対する認識が実はあって、それはほんとに一部のプレイヤーのあいだでしかない共通認識なんです。

それがあまりにも知られてないので、ことあるごとに説明してるんですけど……。結局、ジャンルとジャンルのはざまに消えていってしまいそうな、ほんとにマイノリティ中のマイノリティとなってしまってるんですよ。

簡単に言えば、ジャズのハーモニーが実はクラシックの和声をベースにしてて、そこにまだ(発見されていない)可能性はないのか、と。

ハーモニーが進行していくなかで、ちゃんと“戻ってくる”構造として、戻るための調の中心点というか、ドレミファソラシドだったらドに戻ってくるような感覚を成立させる機能。そういうブーメランみたいなハーモニーの構造をどんどん拡大していったのが、ジャズだと思うんです。

同時に、ハーモニーの垂直方向では、ドミソにレを加えたり、ファのシャープを入れたりというテンションに関しても、どこまでなにを入れて大丈夫かを追求していった。その発展のなかで成立したのがモダン・ジャズで、しかもそれを分析し続けることによって、譜面には書かれていない即興的な音にもかかわらず、調性的には合ってる音をずっとつむぎ出せるような構造が、モダン・ジャズなんですね。

僕はモダン・ジャズに則ったようなジャズをあまりやってないように受け取られていますが、実は非常に崇拝もしている。

──アンチ・モダン・ジャズの象徴みたいに思っている人もいるんじゃないですか?

松井:そうそう(笑)。

全否定してるかのように勘違いされそうなんですが、実はスタンダード・ジャズぐらいまでのジャズの構造もものすごくよくできてていいな、すばらしいなと思ってます。これはお世辞でもなんでもなくて、本当。実際に、自分が人に教えるときはほとんどそっちの理論ですから。

──松井さんが崇拝もしているモダン・ジャズとコンテンポラリー・ジャズの関係とは?

松井:モダン・ジャズの先にあるのがコンテンポラリー・ジャズですよね。それも、ほんの一部のプレイヤーのあいだで作られたものだったんですけど……。

つまり、ジャズの機能するハーモニーを応用してもっとなにか作れないかと思った一部のプレイヤーたちが、機能を失いそうなところまで掘り下げた結果というか……。

──コンテンポラリー・ジャズには、スムース・ジャズやポップな方法論を取り入れたものも含めたりしますよね。

松井:そのようですね。ただ、それらは僕らの表わそうとしているコンテンポラリー・ジャズとは目的も性質も真逆で、ハーモニー的にもかなりシンプルなものなので、非常に紛らわしいのです。

僕とか一部のプレイヤーが言わんとしてるのは、ウェイン・ショーターとかチック・コリアあたりの、調性の中心がはっきりしないぐらい転調を繰り返すというものがまさに“コンテンポラリー・ジャズ”なんだ、と。

それは、全部が一時的調性であって、無調性とは真逆なんです。あ、またこれもややこしい話ですね(笑)。僕はそれを無調性ではなく“多調性”、“マルチ・モーダル”って呼んでいるんです。その瞬間瞬間の調性に従っているだけ。

それから、複調性というのもある。同時に2つ以上の調性があってもそれが破綻しない。ジョン・スコフィールドみたいにわざと外れた音を加えたりする“アウト奏法”がそうですよね。ちゃんとコントロールされているように聞こえていて、実は違うコードをイメージして演奏して、あるポイントでそれを解決して戻ってくる、みたいな。

すべてはとても理論的に成立していて、実はまだ普通のジャズ理論から逸脱できないというのが、僕が考えるコンテンポラリー・ジャズなんです。

ただ、楽器を演奏している人じゃないとなかなかそっちに意識が行かないみたいで、興味をもってこのことを考えている人が少ないのも事実。

とはいえ、プレイヤーのあいだでは潜在的に存在している。それを表に出しすぎると支障があるので(笑)、一般的にわかりやすいジャズをやったりしながらという人がほとんどですけど。僕は自分の演奏でそればっかりをやってるから目立つだけなんだと思うんですけどね。

モーダルはコンテンポラリーではないのか?

松井秋彦(筆者撮影)
松井秋彦(筆者撮影)

──私が“否定”という言葉をつかったのは、松井さんの演奏が“否定している”という意味ではないんです。ジャズがスウィング、つまりトゥーファイヴ的なものからテンションを多用するようになっていって、違う味付けの調性を発見して、それがおもしろいと感じる人が増えたわけですよね。1950年代には商品化もうまくいって、モダン・ジャズと呼ばれるようになったワケですけれど、それがジャズにとって幸せだったのか不幸せだったのか……。不幸せではないにしろ、それに飽き足らなかった人たちが“ウケたモダン・ジャズとは違うものを”ということで、もっと複雑で興味をそそるものを求めていった。そういう人のなかに松井さんもいるんじゃないかと思っていて、それを“既成への否定”という言葉で表現したかった、ということなんです。

松井:なるほど、なるほど。

それで思い出したのは、チャーリー・パーカーぐらいの時期にあったトゥーファイヴの構造や、ドミナント・モーションのような誰もが安心する“解決のメカニズム”に関しては、今回エントリーした「Asteroid Belt」って僕の曲のなかでは、たまたま1回も出てこないんです。だから余計に混乱するのかもしれないけれど……(笑)。

僕を含めてコンテンポラリー・ジャズをやってる、作曲して演奏するタイプの人の特徴として、「ジャズをちゃんと学んできてますよ」っていう“意思表示”じゃないんですけれど、激しく転調していくなかでパッとドミナントの解決を入れたりするんですよ。もしくはそれをほのめかす構造を入れたり。それによって、ホッとする部分が生まれたりするんです。そういう部分も僕は大好きだから。

あともうひとつ、僕は自分がいままで書いた曲を100曲だけ選び抜いて「fjord CPJ」という楽曲集にまとめているんですけれど、そこに共通する特徴があるのを見つけて、笑っちゃったんですよ。

それは、曲の譜面の最初にキーが決まる調号ってあるじゃないですか、フラット2つとかシャープ2つとかの調号。「fjord CPJ」の100曲には、調号がある曲がゼロだったんです。

なぜかというと、譜面的には調号がないほうが読みやすい。全部ハ長調のような気持ちで読めるわけです。実際には、基準にすべき調性がないぐらい動き続けてる曲ばかりなので、調号を付けても意味がないということなんですが……(笑)。

実は、それもまた、コンテンポラリー・ジャズの特徴の1つなんです。調号がない。ウェイン・ショーターとかチック・コリアは調号がちょっとだけありますけどね。どうせ転調し続けちゃうから、調号を付けても意味がない、と。泳ぎ続ける曲っていうことです。それがたぶん、コンテンポラリー・ジャズの特徴のひとつだと思うんですけど。

──調性にとらわれないということでは、モード・ジャズという方法論がありますよね。1つの調性で曲を構成するのがモーダルだという。調性がめまぐるしく変わるという意味とは逆ですけれど。

松井:日本で一般的にモーダルと言われている概念については、作曲側からすると、単に調性が1つということではないんですよ。これ、説明が必要なのに誰も説明しないところなんですけど(笑)。

例えばマイルスが「カインド・オブ・ブルー」のときにやった「ソー・ホワット」あたりのドリアン・モード。ビル・エヴァンスがきれいにハーモニーを付けてますよね。それが新しい感覚のサウンドとして評価された。僕はリアルタイムで聴いていなかったから、どれだけすごい衝撃があったのか想像できないんですけれど……。でも結局、メジャー・スケールから発生する7つのモードのなかの1個目と6個目は、クラシックの時代からずっと使われてるので、それを使ったらモーダルって感じはしないんです。

だから、モーダルなジャズっていうのは、「20世紀半ばごろではまだほとんど聴かれなかったモードに依存した曲の構成」という定義付けが必要なんです。辞書に載っているわけでもないし、誰もそんなことをあえて言わないんですけど、プレイヤーのあいだでは共通認識だと思います。だから、ドリアン、フリジアン、リディアンといった3つのモードあたりに長居する曲が、モーダルな曲っていうことなんですよ。

僕のやってる“マルチ・モーダル”っていうのは、そういういろんなモードのあいだをあっちこっちいっちゃうというものなんですけど。飽きっぽいからそうなっちゃったということもあるんですけどね(笑)。

ということで、話を「モーダルはコンテンポラリーではないのか?」に戻しますと、マルチ・モーダルまでくればコンテンポラリーですが、モーダルな曲は、「ややコンテンポラリーな香りを手軽に表現できる方法」というぐらいの位置付けになります。

ライヴ会場もスクールも自粛という八方ふさがり状態

松井秋彦(筆者撮影)
松井秋彦(筆者撮影)

──コロナ禍による自粛の影響はどうですか?

松井:やっぱり影響はとても出ています。ただ僕は、演奏のほうはマニアックなものだけに絞っちゃってるから、本数は少ないんですけど、それでも全部、もちろん延期という状態ですね。

──演奏場所の営業再開もたいへんそうですね。

松井:そうですね。あと、スクールへの影響のほうが大きいですね。大手はあっという間に自粛しちゃいましたけれど、こちらの再開方法もどうすればいいのか、不透明な部分が多いので困ってます。

ただ、時間だけはたっぷりあったので、多重録音でマルチ動画を配信するチャンネルを始めたんですよ。手がかかるから、アップしている曲は少ないんですけれど……。そのなかから今回、「あまびえジャズ祭」にエントリーさせていただいたんです。

──いまのお話なんかを聞いてると、コロナ禍は悲しむべき話なんだけど、でもそのなかでなにかまったく違う文化、表現方法が芽生える可能性もなくはないのかな、と。

松井:そうかもしれませんね。そういう意味では原点回帰のチャンスなのかもしれませんね。

あと、散歩も前よりするようになりました。自粛が始まってから、かなり歩いているんですよ。だから、家の近所にどれだけ美しい場所があったのかとか、車も少ないから空もきれいだし、天気もずっといいし、新しい発見がいっぱいあるんですよ。健康にはとりあえずいいですね、経済的には逼迫(ひっぱく)しちゃいますけど(笑)。

──演奏者の方々も、なんとかそこを耐え忍んで、やり過ごしていただきたいなと思っています。きょうはありがとうございました。

音楽ライター/ジャズ評論家

東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。2004年『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)、2012年『頑張らないジャズの聴き方』(ヤマハミュージックメディア)、を上梓。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。2022年文庫版『ジャズの聴き方を見つける本』(ヤマハミュージックHD)。

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