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【日本選手権10000m】塩尻の27分09秒80の日本新とパリ五輪への光。そしてマルチランナーの矜持

寺田辰朗陸上競技ライター
12月10日の日本選手権10000mで日本新をマークした塩尻和也(富士通)(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

 パリ五輪代表選考会を兼ねた日本選手権10000mが12月10日、東京・国立競技場で行われた。気象条件にも恵まれ、男子は優勝した塩尻和也(富士通)が27分09秒80の日本新をマーク。2位の太田智樹(トヨタ自動車)、3位の相澤晃(旭化成)も、相澤が持っていた27分18秒75の前日本記録を上回り、4位の田澤廉(トヨタ自動車)までが日本歴代1~4位となる歴史的なレースとなった。

 パリ五輪参加標準記録の27分00秒00突破と、日本人初の26分台が現実的に目指すレベルになった。と同時に、塩尻個人にとってはマルチランナーとしての特徴を、よりいっそう意識するきっかけになったのかもしれない。

日本の長距離が世界に近づいたレース

 27分09秒80は紛れもなく、日本のトラック長距離種目が世界に近づいたことを意味している。

 パリ五輪標準記録の27分00秒00を破ることはできなかったが、現在その記録を破っている選手は世界で5人だけ。塩尻の記録は今季世界9位の好タイムであり、今年8月の世界陸上ブダペスト参加標準記録の27分10秒00であれば破っていたことになる。

 高岡寿成陸連強化委員会長距離マラソン担当シニアディレクターが次のように話した。

「パリ五輪の標準記録は世界陸上から上がっていますから、簡単には突破できないと思っていました。しかし今回の記録は、(気象やレース展開など)コンディションに恵まれたとはいえ、世界9番のタイムになります。そこは選手も私たちも自信を持っていい部分です。この記録によって26分台を、という考え方ができる選手がまた増えますので、今の日本選手たちに大きくプラスに働くでしょう。世界陸上の標準記録を突破できたことで、勝負できるという気持ちに少しでも変わっていける」

 当然、塩尻も今回の記録で世界への意欲を一段と強くした。

「(21年の)東京五輪は狙っていた種目も違いますが、出場できなくて悔しい結果に終わりました。今年の世界陸上には5000mで出場できたのですが、悔しさの残るレース内容になってしまった。来年のパリ五輪でレース内容としても、良い結果を出せるように今後も取り組んでいきたいと思います」

「27分09秒80はよく出たな、と思っていますが、海外に目を向ければパリ五輪の標準記録は27分フラットになっています。国内の選手から見れば高いレベルですが、そこを突破していかないと勝負は難しい。明日から今以上のタイムを目指してやっていければ、と思います」

 仮に標準記録を突破できなくても、今回のレベルの走りを続ければ、世界ランキングで代表入りすることも可能になる。塩尻が10000mでパリ五輪を走る可能性はかなり高くなった。

順大が得意とする3000m障害でも活躍した塩尻

 塩尻がパリ五輪を10000mで走る気持ちになっている。それは間違いないが、面白いのはレース後に次のようにも話してたことだ。

「スタンドの歓声を浴びたり、タイマーの前で写真を撮ったりして、走り終えた直後は割と嬉しさもあったのですが、少し落ち着いてくると、喉元過ぎればじゃないですけど、実感がなくなってきました」

 16年のリオ五輪は3000m障害で代表になり、その後も3000m障害で記録を目指したり、代表として世界陸上やアジア大会で戦ってきた。並行して10000mで好記録を残したり、駅伝でもチームの主力として戦ってきた。箱根駅伝では順大4年時にエース区間の2区で、日本選手の歴代最高記録(当時)を出している。

 駅伝だけ、スピード種目だけ、と偏らず、多くの種目に取り組むのは順大の特徴でもある。かつて1500m、5000m、10000mの3種目で日本記録を更新した澤木啓祐が監督だった頃、1970年代に留学した米国オレゴン大から持ち帰った考え方が、箱根駅伝重視の他の大学とは一線を画していた。選手の適性を見るのはもちろん、その種目に合った練習をすることを重視した。

 中でも3000m障害選手の育成は、他チームの追随を許さない。卒業生を含めると70年代に小山隆治が5回、03年に岩水嘉孝(当時トヨタ自動車)が1回、21と23年に三浦龍司(順大4年)が4回、日本記録を更新してきた。3人に加え山田和人、仲村明、塩尻が五輪と世界陸上の代表入りした。

 ちなみに下の写真は左から3000m障害前日本記録保持者の岩水、10000m日本記録保持者の塩尻、ハーフマラソン元日本記録保持者でマラソン01年世界陸上代表の高橋健一(現富士通監督)で、全員が順大出身で富士通でも活躍した。

左から3000m障害前日本記録保持者の岩水嘉孝、10000mで日本新を出した塩尻和也、ハーフマラソン元日本記録保持者の高橋健一富士通監督<写真提供:富士通、岩水嘉孝氏>
左から3000m障害前日本記録保持者の岩水嘉孝、10000mで日本新を出した塩尻和也、ハーフマラソン元日本記録保持者の高橋健一富士通監督<写真提供:富士通、岩水嘉孝氏>

 3000m障害と5000m&10000mのトラック長距離種目、そして駅伝エース区間で力を発揮してきた塩尻は、順大を象徴する選手だった。ちなみに10000mの日本記録更新は、順大関係選手では1968年の澤木以来となる。

10000mの日本記録が出て嬉しい、というより…

 塩尻は学生時代から、複数種目を走るマルチランナーであることに誇りを持っていた。駅伝やロードレースも含め、どの種目が好きか、という質問もよく受けたが、1つの種目に絞りたいとは絶対に言わなかった。

「レースが近づいたらその種目のための練習もしますが、基本的には自分の走力自体を上げるための練習をしています。3000m障害が5000m、10000mに役に立たないことはありませんし、駅伝も含めて相乗効果は感じています」

 塩尻がフラット種目で代表を狙うようになったのは、3000m障害で19年の世界陸上ドーハ代表入りしながらヨーロッパ遠征中に、右膝の前十字靱帯の大ケガをしたことがきっかけだった。

 高橋監督が説明する。

「ハードリングや細かいところを見ると、そこまで3000m障害に向いていないのかな、という判断ができました。走力はすごいものがあるので、5000mや10000mでも世界は十分狙える。入社1年目の19年に大ケガをしたときに、今後もケガがあったら駅伝も走れなくなってしまうので、(スタッフが説得して)フラットレースの方に持っていきました」

 20年からは順大の後輩である三浦がこの種目を席巻し始め、オリンピックと世界陸上で入賞するまでに成長した。それでも塩尻は、3000m障害から完全に離れたいとは思わなかった。

「未練はありました。東京五輪が1年遅れて開催されたこともあって、ケガをした後も東京五輪に向けて取り組んでいた時期もありました。その後、この2年くらいは3000m障害を走っていませんが、消化不良で終わっているところがあるので、また走りたいという気持ちはあります。僕自身の信条として学生の頃から、3000m障害、5000m、10000mと、どの種目でもしっかり勝っていきたい気持ちを持って競技に取り組んできました。今後3000m障害のトレーニングにまた取り組むか、10000mで結果が出てきているのでわかりませんが、ここまでの経験は、3000m障害を走るとなったときも無駄にはならないと思っています」

 3000m障害に向いていないと言われても、塩尻の中では別の感覚があるのだろう。本当に走力が高まったとき、塩尻ならではの3000m障害ができる。その可能性を塩尻本人は否定できないでいる。

 3000m障害にこだわる、という意味ではない。特定の種目にこだわらない、ということだ。

「3000m障害も5000mも10000mも、自分の中では違いがないというか、どの種目も当たり前ですが“自分ごと”なんです。“10000mの日本記録が出て嬉しい”というより、“日本記録が出て嬉しい”っていう感じです。そうですね、逆に他の種目でも(日本記録を)、っていう気持ちが強くなったかもしれないです」

 日本記録を出した直後に、こんなコメントができてしまうのが塩尻という選手である。マルチランナーという塩尻らしさを失わないからこそ、10000mで日本新記録を出すことができ、世界に挑戦していくことができる。

陸上競技ライター

陸上競技専門のフリーライター。陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の“深い”情報を紹介することをライフワークとする。一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことが多い。地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。座右の銘は「この一球は絶対無二の一球なり」。同じ取材機会は二度とない、と自身を戒めるが、ユーモアを忘れないことが取材の集中力につながるとも考えている。

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