Yahoo!ニュース

元日本記録保持者を母に持つ朝比奈が、“実質初マラソン”の名古屋ウィメンズで母の記録に迫るか?

寺田辰朗陸上競技ライター
昨年2月の全日本実業団ハーフマラソンの朝比奈。1時間12分19秒で13位(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

 名古屋ウィメンズマラソン(3月10日)に“実質的な初マラソン”として出場する朝比奈亜妃乃(センコー)は、元日本記録(2時間25分52秒)保持者の朝比奈三代子を母に持つ。二世選手が注目されるのは親を超えたり、同レベルの活躍をしたりする可能性があるからだが、朝比奈の現在の力は母親の足元にも及ばない。

 それでも朝比奈は、母親と比べられることをまったく嫌がらない。前向きなキャラクターで、元日本記録保持者の娘ということをプラスにとらえ競技に取り組んでいる。実業団2年目でやっと、取り組みがハーフマラソンなどで結果につながり始めた。

 大学4年時の東京マラソン(22年3月)を「4時間半くらい」で走ったが、しっかり準備して出場したわけではない。

「将来的には母の記録も上回っていきたいのですが、今回は挑戦という意味で自分の走りができたらいいな、と思います」

 現時点ではレベルが高くない二世選手が、どういうプロセスで“実質的な初マラソン”に挑戦しようとしているのだろうか。

両親ともマラソン選手。「陸上が身近にあった」

 自身が陸上競技を始めた時期を、朝比奈は特定することができない。

「物心ついたときから陸上が身近にあったんです。小さい頃、遊ぶのは陸上競技場みたいな感じで。父もマラソン選手で、私も小さい頃の夢はマラソン選手になることでした」

 朝比奈の話した陸上競技場は、宮崎県延岡市の旭化成のグラウンドだ。母の三代子さんは高校卒業後に、五輪選手を何人も輩出してきた名門の旭化成で活躍した。父親の高橋浩一さんも旭化成の選手で2時間10分55秒(93年)と、当時としては好記録を持っていた。

 しかし現役引退後、旭化成でコーチになっていた浩一さんが06年に病気で他界。朝比奈は三代子さんの故郷の東京に移り、川崎市の中学に入学した。

 3年時には中学生の全国大会である全日中に1500mで出場した(予選1組11位)。

「決勝に行きたかったですね。左右どちらだったかは忘れましたが、足の甲を骨折して2~3週間の練習で出場しました」

 4分36秒37は、14年シーズンの中学全国59番目のタイム。トップレベルではなかったが、その後が期待できる存在ではあった。

 母親の三代子さんも1500mで、高校3年時(87年)に日本選手権1500mに優勝した。三代子さんは2年後の89年日本選手権には10000mで優勝。トラックのスピードを生かして距離を伸ばし、92年からマラソンにも進出。94年のロッテルダム・マラソンで、2時間25分52秒の日本記録を樹立した。

 三代子さんからは、どんなアドバイスをもらっていたのだろうか。

「特にありませんでした(笑)。練習で何秒とか、何km走らなきゃダメだよとか、皆さんが思われているような話はなかったです。私も、やるのは自分なので、という感じでしたし、学校の指導者もいらしたので。でもYouTubeで母の映像は見たことがあります。日本選手権で松野明美さんに勝ったところを。ロッテルダムはYouTubeにはありませんが、DVDで残っているみたいです。見たことはないのですが」

 他種目ではあるが、自身が日本記録を持っていることを子どもたちにいっさい話さなかった選手もいた。

高校・大学で結果を残せなくても「注目されてありがたかった」

 母親が高校時代に日本一になった種目で競技生活をスタートさせた朝比奈だが、高校では一度も全国大会に出られなかった。

「練習しては故障して、治って練習してまた故障して、の繰り返しでした。目標が途切れ途切れになって、目先の練習だけを積むことが目標になっていた気がします」

 それでも、母親が元日本記録保持者ということで、どうしても注目されてしまう。それがストレスにはならなかったのだろうか。

「逆にありがたいな、って思っていました。私自身はダメでも試合に出場したり、陸上に関係している人と会う機会があったりすると、母のすごさがわかったり、父の姿を思い浮かべることができたんです。なんかいいな、って思っていました」

 高校生段階で、朝比奈のような考えができる選手はあまりいない。二世選手が親の存在をプラスに考えられるようになるのは20代中盤以降、自我や自身の強化スタイルが確立できてからということが多い。

 朝比奈は色々な人と関われることなどに、感謝の気持ちを自然に持てる性格だった。だから「大学(国士舘大)に入っても競技を続けられる環境をいただけて嬉しかったし、どうにかして強くなりたい」と考えていた。

 だが大学に入っても故障を繰り返す悪循環は変えられなかった。感謝の気持ちを表したい気持ちが強く、練習を頑張りすぎていたのかもしれない。新型コロナ感染拡大も重なって、3年時までは試合にほとんど出場できなかった。

 それでも朝比奈は、卒業後も実業団で走り続けたいと思って努力は続けていた。

「4年生になってちょっと走れるようになってきました。試合にもいくつか出られるようになり、トラックでぎりぎり記録を破って、駅伝選考会のメンバーに入ることができましたね。5000mや10000mの記録をもっと出したかったのですが、練習も継続してできなかったり、資格記録を出せなかったり、という状況でした」

 学生時代の最高記録は5000mが16分51秒63、10000mが36分11秒53で(ともに4年時)、有力実業団チームからスカウトされるレベルではなかった。

強い気持ちで実業団競技生活へ

 そんな朝比奈がセンコーで競技を続けられることになったのは、両親の人脈のおかげだった。教育実習を延岡の小学校で行っていた期間に、三代子さんを旭化成で指導した宗猛さん(マラソンで84年ロサンゼルス五輪4位。旭化成元監督)と一緒に練習を行った。20kmを走る朝比奈を見た宗さんが、林清司監督に採用を勧めたことでセンコーとのつながりができた。

 実は林監督も、父親の浩一さんとつながりがあった。同じ茨城県出身で学年も1つ違い(林監督が1学年上)。2人は選手時代からよく話をする関係だった。

「三代子さんの印象が強くてスピードのある選手だと思っていましたが、来てみたら父親似でしたね(笑)。スピードはないけど持久型の選手でした」

 運良くセンコーに入社した朝比奈だが、それだけでやっていけるほど実業団長距離は甘くはない。まずは本人の覚悟が必要だ。そこは朝比奈自身も不退転の意思を持っていた。

「それまで思うようにいかないことばかりだったので、故障しないように、コツコツやることを大切にしていこうと監督が方針を決めてくれました。そこからだんだん練習でき始めて、試合に出始めました。少しでもタイムが上がると、もっとこうした方がいいのかな、と考えられるようになってきました。アドバイスをもらったときにも、もっとこう意識したら変わるのかな、と常に思って練習していますね。元々走ることは好きで、練習が苦ではありません。長く走れるならとことん走りたい。故障しないで走れるようになると面白くなってきて、欲が湧いてきて、絶対にこれでやってやろう、という気持ちも持つようになりました」

 林監督はケガをしない走りを身につけさせるために、次のようなことを行ったという。

「大学まで脛骨の骨膜炎を繰り返していました。ケニア人のように膝下を使わないことが、故障予防には有効です。特に厚底シューズの時代になって、そこが重要になってきたと思います。大殿筋や太もも裏を使って、お腹で脚を引き上げる動きを意識させました。走りの中でもやっていますし、ドリルも行っています。ドリルはなかなか上手くなりませんが、毎日こつこつやっていますね」

 入社1年目(22年)12月には10000mで33分36秒45、5000mで16分06秒77の自己新。大学までの記録を10000mは2分35秒も更新した。区間上位はまだ難しいが、クイーンズ駅伝を走っても違和感のないレベルに成長した。そして23年2月の全日本実業団ハーフマラソンで1時間12分19秒をマーク。実業団の全国大会で13位に食い込んだ。

朝比奈らしさが現れたハーフマラソンでのあるシーン

 そのハーフマラソンで朝比奈が、前に出て先頭集団を引っ張るシーンがあった。12kmの折り返し前後だった。

「集団が大きかったので、ばらばらになるような動きがちょっとあったんです。危ないと感じましたし、余裕もあったので前に行かなきゃ、という走りになったのだと思います」

 しかし林監督は「中途半端だった」と指摘した。「そういうことができた経験がなかったので、トップに立った途端弱気になってしまった。1kmも行かないうちに吸収されました」

 先頭を走る力があるところまで成長していたが、全国大会で先頭を走る覚悟も経験もなかった。それが入社1年が経過した頃の朝比奈だった。

 その走りを見て反応したのが旭化成の西村功監督だった。「朝比奈がトップに立ったぞ」と、三代子さんを知る人たちに話したり連絡したりした。西村監督は父親の浩一さんと同学年で、同じ釜の飯を食べた人物だ。

 それをレース後に聞いた朝比奈は、さらにモチベーションが上がった。

「そういうことが嬉しいんです。父のつながりが実感できるので」

 陸上界に身を置くことで、朝比奈は自分の知らない両親のことを知ることができる。まだトップレベルとはいえなかったが、そういった小さな感動の積み重ねが朝比奈の背中を押している。

 23年はトラックの自己記録更新はできなかったが、安定度が出始めた。それが今年1月の大阪ハーフマラソンでの1時間11分23秒での6位、大幅な自己記録更新につながった。入社時はスタミナだけの選手だったが、ハーフマラソンで上位に入るスピードも加わってきた。林監督も「以前は練習の1kmが3分10秒で精一杯でしたが、先日は3分00秒で行きました」と嬉しそうに話す。

 朝比奈本人は名古屋ウィメンズの目標記録として、母の元日本記録と同じ2時間25分台も口にしたことがあった。林監督は「どんなペースで42.195kmを押し切れるか、まったくわかっていないのでしょう」と苦笑い。「2時間26~28分を意識させたい」と言う。

 だが2度のハーフマラソンで朝比奈が見せた走りには、2時間25分台の可能性がゼロではないことを感じさせる何かがあった。

陸上競技ライター

陸上競技専門のフリーライター。陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の“深い”情報を紹介することをライフワークとする。一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことが多い。地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。座右の銘は「この一球は絶対無二の一球なり」。同じ取材機会は二度とない、と自身を戒めるが、ユーモアを忘れないことが取材の集中力につながるとも考えている。

寺田辰朗の最近の記事