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【日本選手権10000m展望②】シーズン一度の敗戦で代表漏れの太田。田澤との合宿で日本新ペースに挑戦

寺田辰朗陸上競技ライター
今年元旦のニューイヤー駅伝3区で大迫傑(右)を抑えて区間賞を獲得した太田智樹(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

 パリ五輪代表選考会を兼ねた日本選手権10000mが12月10日、東京・国立競技場で行われる。パリ五輪の参加標準記録は男子27分00秒00。この記録を突破して優勝した選手はパリ五輪代表に即時内定する。

 男子優勝候補の1人、太田智樹(トヨタ自動車)が11月末に合宿先のアルバカーキ(米国の高地トレーニング場所)から取材に応じ、「最低限、自己記録(27分33秒13)は更新したい。順位は表彰台(3位以内)」と、日本選手権の目標を語った。

 今年、駒大からトヨタ自動車に入社した田澤廉の存在が、太田にも影響を与えていた。

あまりにも大きかったゴールデンゲームズinのべおかの敗戦

 世界陸上ブダペストの10000m代表だった田澤廉(トヨタ自動車)と、5000m代表だった塩尻和也(富士通)が優勝候補の双璧と言われているが、太田を推す声も多い。トヨタ自動車の熊本剛監督は、「高いレベルで安定していた」と太田の23年シーズンを評価する。

「確実に成長した選手です。個人種目で日本選手に負けたのはゴールデンゲームズinのべおか(5月4日)だけ。目線も、田澤が入ってきたことで上がりました。以前は世界を狙っていても漠然としていましたが、今は本気で世界を考えられるようになっています」

 太田自身は、23年シーズンに納得していない。10000mの代表選考レース(日本選手権の位置付け)だったゴールデンゲームズinのべおかで28分00秒47の4位。27分46秒82で優勝した塩尻和也(富士通)と、27分51秒21で2位の田澤廉(トヨタ自動車)の2人が、(塩尻の種目は5000mの大会もあったが)7月のアジア選手権、8月の世界陸上ブダペスト、9月のアジア大会の代表になった。

 太田にとって“1回だけの失敗”があまりにも大きかった。他の大会での安定した強さを見れば、何らかの理由はあったと思われる。だが太田は言い訳をしなかった。

「パリ五輪に出場することを考えたら、アジア選手権とアジア大会に出て、そこでポイントを稼ぐことが重要でした。その選考会のゴールデンゲームズは、外せない試合だったのにあの結果でした。狙った試合で走れなかったのは、それが実力だったということです」

 太田が課題を感じた試合は、ゴールデンゲームズだけではなかった。

 元旦のニューイヤー駅伝3区で区間賞を取った。だが前半は速いペースで入ったが、終盤でペースダウンしてしまった。「突っ込んでも後半が耐えきれなかった」(太田)

 10月の世界ロード選手権ハーフマラソンは1時間00分43秒で12位。13~20位の選手の自己記録を調べると、日本記録(1時間00分00秒)以上のタイムを持つ選手が4人いた。評価していい成績なのだ。

 だが太田は「15kmまで付けたのに、世界のトップに最後の5~6kmで1分半の差を付けられた」ことを悔しがった。

多くの種目、大会を経験したことで成長

 課題と悔しさを感じるレースが多いシーズンだったが、幅広い種目や多くのレースを出場したことなど、今季の経験が太田を間違いなく成長させた。

 ニューイヤー駅伝3区の区間賞に始まり、2月の丸亀国際ハーフマラソンは1時間00分08秒と、日本記録に8秒差まで迫った。4月の金栗記念10000mは27分42秒49で日本人トップの3位。5月のゴールデンゲームズinのべおかが唯一の個人種目敗戦となったが、7月のホクレンDistance Challengeは1戦と3戦の5000mに出場し、13分24秒59と13分20秒11で日本人トップを続けた。

「ホクレンの1本目はそのくらいを考えていましたが、2本目を13分20秒台でまとめられたのは自信になりました。世界は1500mや5000mのランナーが10000mを走ることも最近は多いですから、ホクレンで5000mを2連戦したのも10000mにつなげるためです。内容的にも1本目はレース後半で前に出たり、2本目は1人になってからも粘れたり。そういうシチュエーションは10000mでも生じると思うので、収穫のある2本だったと思います」

 10000mの5000m通過が、13分30秒中盤でも行ける自信につながったのか?

「やってみないとわかりませんが、少なくとも以前よりは、速く感じずに行けるかな、と思います。速いと感じてしまうとキツくなることもあるので、余裕を持って入れることは重要ですね。その日のコンディションにもよるので何とも言えませんが」

 取材の時は13分30秒台という質問の仕方をしたが、実際のペースメイクは5000m通過が13分40秒になった。これも気象コンディション、特に風の吹き方によって体感のキツさは違ってくる。走り始めてみないと「何とも言えない」のだが、日本記録ペースの5000m通過に太田が余裕を持つ可能性が高くなっている。

太田が志願して田澤の合宿に合流

 太田は11月12日の中部実業団対抗駅伝(4区15.5kmで区間賞)が終了してすぐ、田澤が合宿しているアルバカーキ(米国の高地トレーニング拠点)に飛び、12月初めまで一緒に練習を行った。当初は一緒に行う予定はなかったが、太田が希望して実現した。

「場所にこだわりはなかったのですが、練習相手として田澤が同じチームにいるなら、同じところを目指していますし、力も経験値も僕よりあるので、見て学ぶじゃないですけど、一緒にやらせてもらったらプラスになると思いました」

 普段の練習は田澤が駒大を拠点に行っているし、指導者も違う。同じメニューを行うわけではなく、違う練習メニューを行いながら、田澤の練習を見ることで刺激を受ける。その狙いが大きいと思われたが、太田は「普通に、一緒に練習をしています」と、さらりと話した。

「バチバチやり合うような練習はないですから。お互い引っ張り合って、切磋琢磨じゃないですけど、一緒にやっています。2人でやった方が同じメニューを同じ設定でやったとしても、1人でやるより楽にできますし、強度もちょっと上げられます。2人でオリンピックに行きたいね、っていう話もしていますから」

 標高1600m台のアルバカーキは、太田がよく練習してきた1200m台の菅平より少し高い。太田が合流した形なので、田澤が駒大総監督の大八木弘明氏と行っているメニューを、太田も行った。「標高もそうですが、普段やっているメニューかといえば、やっていないメニューになります」

 それを日本選手権という大一番の前に行うのは、かなりのチャレンジだろう。リスクをとった選択に近いかもしれない。

 だが太田自身は「リスクとは感じていません」という。「標高が高いところから帰ったときに、疲労が出る傾向があるので気をつけていますが、やはり田澤が大きな試合を外さずに走れていますから」

 前述したように太田は今年、選考最重要レースのゴールデンゲームズinのべおかだけ敗れて、日本代表入りを逃した。太田自身は明言していないが、選考レースを外したことで、田澤の練習に飛び込んでみる決意が固まったのではないか。

「田澤がこのくらい練習してこれだけ走れるなら、自分も同じにやれば同じくらい走れるんじゃないか、という気持ちが大きくなっています。デメリットは考えていません」

 練習メニューの違いを気にする前に、田澤の練習をやってみて結果が出るなら、との思いが強かった。

 合同合宿を経た太田が日本選手権で快走したら、田澤からの刺激がプラスになった。そう言っていいわけだが、今シーズンの安定した強さを実現させたのは田澤の存在ではない。太田がトヨタ自動車のスタッフとで行ってきたトレーニングである。

 太田は大学時代や入社1年目には故障が多かったが、近年は長期間の練習中断を強いられる故障はなくなっている。太田自身は「体が自然と強くなったからでしょう。強いて言えば無理をしなくなりました。無理にやろうとするとどこかが崩れます」と謙遜気味に話す。

 熊本監督は次のように説明した。

「練習で余裕が出てきています。余裕が出てくると地力が上がります。地力が上がるとまた、練習の余裕が出てくる。良い循環になるんです。その中でも上手く、強弱をコントロールできるようになっています」

 太田の練習が上手く進み、自身のベースを大きくすることに成功した。そこに田澤という刺激を自ら求めに行っている。自分のベースをしっかり理解しているから、別の練習も取り入れて問題ない。だから今の太田は強い。

 日本選手権を田澤と練習するような感覚で、最後まで一緒に走り続ける太田の姿がイメージできる。

陸上競技ライター

陸上競技専門のフリーライター。陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の“深い”情報を紹介することをライフワークとする。一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことが多い。地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。座右の銘は「この一球は絶対無二の一球なり」。同じ取材機会は二度とない、と自身を戒めるが、ユーモアを忘れないことが取材の集中力につながるとも考えている。

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