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東京五輪金メダルを狙う400mリレーの現在地【1】ゴールデングランプリでリオ五輪メンバー再結成

寺田辰朗陸上競技ライター
リオ五輪で銀メダルを獲得したメンバー。右から走順に山縣、飯塚、桐生、ケンブリッジ(写真:つのだよしお/アフロ)

 2016年リオ五輪の銀メダルは記憶に新しい。山縣亮太(セイコー)、飯塚翔太(ミズノ)、桐生祥秀(日本生命。当時東洋大)、ケンブリッジ飛鳥(Nike。当時ドーム)のカルテットが、陸上競技トラック種目五輪最高順位タイの快挙を達成した。37秒60のタイムもアジア新記録、世界歴代4位とハイレベルの記録だった。

 昨年のロンドン世界陸上でも、1走が多田修平(関学大)、4走が藤光謙司(ゼンリン)に入れ替わったが銅メダルを獲得。4×100mリレーはメダル常連国のポジションを確立しつつある。2020年東京五輪では、金メダルへの挑戦が期待できるまでに成長した。

 4×100mリレーのここまでの足跡を振り返りながら、日本チームが現在取り組んでいること、これからの課題を、土江寛裕五輪強化コーチへのインタビューを中心に紹介していく。アジア大会(8月インドネシア・ジャカルタ開催)を控える今年のプランも紹介する。

ロンドン世界陸上を走れなかった山縣、ケンブリッジの思い

 4×100mリレーの練習が公開されたのは5月6日。U20カテゴリーも含めた代表候補選手が11人、NTC(ナショナルトレーニングセンター)に集まってバトンパス練習をメディア公開で行った。

 リオ五輪1・2走の山縣から飯塚、2・3走の飯塚から桐生、3・4走の桐生からケンブリッジへのパスも2本ずつ行われた。これは5月20日のゴールデングランプリ(大阪・ヤンマースタジアム長居開催)に日本チームが出場し、ジャスティン・ガトリン率いる米国チーム、蘇炳添率いる中国チームと対戦することに備えての練習だった。正式決定は直前になるが、故障者が出るなど不測の事態が生じなければ、リオ五輪銀メダルメンバーが2年ぶりに再結成される。

 山縣は昨年、故障明けで日本選手権に臨んで6位と敗れ、ロンドン世界陸上に出場できなかった。

「このユニホームは去年からですよね。去年は代表に入れずに悔しい思いをしました。これを着られるのはうれしいですね」

 久しぶりの日の丸を付けての練習に、テンションが上がったようだ。

「今日は飯塚さんと久々にバトンパスをしました。リオの時と同じようにやってスムーズにいくのか、お互いの手の出す位置、出すタイミングを確認しました。特に何かを変えることはないですし、不安もありません」

5月6日の公開練習。昨年からの代表Tシャツで練習を行った11人の代表候補<筆者撮影>
5月6日の公開練習。昨年からの代表Tシャツで練習を行った11人の代表候補<筆者撮影>

 ケンブリッジもロンドン世界陸上では予選だけの出場となり、決勝はスタンドから応援していた。日本選手権で脚を痛め、完全な状態に戻すことができなかったからだ。走った4人と記念撮影をするよう促されたとき、一度は遠慮した。4人がスタンドに上がってきてくれたので一緒にカメラに収まったが、「居づらかったですね。行きたくなかったわけじゃないですけど」と、複雑な心境だったことを明かした。

「でも日本が2年連続でメダルを取れたことはすごく大きなこと。層が厚くなっていることや、全体的にレベルが上がっていることの証明にもなりました。あとはその中で自分がしっかり走れる状態にすることですね」

 そのチャンスが予想外に早く、ゴールデングランプリで巡ってきた。

公開練習で行っていた“40mタイム”とは?

 バトンパス練習の狙いの1つに、測定したデータを実戦に役立てることがある。そのためには、極力レース本番と同じスピードで行う。そのためにはレースに近い緊張感も必要で、練習を公開することで実戦に近い雰囲気を作る目的もあった。

 日本チームは北京五輪前から、“40mタイム”の測定を行い、データとして蓄積してきた。今季から30mに変更されたが、バトンの受け渡しが認められている20mのテイクオーバーゾーンに、前後10mを加えた40mのタイムを測定する。以前はテイクオーバーゾーンの20mをデータとして参考にしていたが、実際のバトンパスの良し悪しを判断するには、バトンを渡す側の速度(100m付近では減速している)や、受け取った側の加速のチェックが重要だ。前後20mを加えて40mとすることで、バトンパスの巧拙がより明確になる。

 その“40mタイム”測定の導入を提案したのが、土江コーチだった。

「当時のメンバーの走力から、その40mを3秒75で走ることができれば、37秒台を出せると計算できました。それ以前のバトンパスの良し悪しは目視と感覚で、今の良かったね、スムーズだったね、と判断していました。そこにタイムという客観的な指標を持ち込むことで、選手もやるべきことが明確になった。3秒75は、秒速11m前後で走るトップスプリンターが、普通に40mを走るよりもやや遅いタイム。バトンパスを行いながらですが、できなくはないと思えるラインです。気持ちも楽になったと思いますね」

 受け手がカーブを走るときと直線を走るときでタイムは違ってくるし、実施する季節やタイミング(試合の近さ)でも違ってくる。当初は3秒8台がアベレージだったが、今は3秒7台になっている。飯塚や桐生は、3秒6台も出したことがあるという。

 公開練習の日、飯塚からカーブを走る桐生に渡した40mタイムは、簡易測定で3秒8前後。特別良くはないが、昨年のロンドン世界陸上でも2・3走でバトンをつないでいるだけに、確実にタイムを出していた。

桐生とケンブリッジのバトンパス<写真提供:日本陸上競技連盟>
桐生とケンブリッジのバトンパス<写真提供:日本陸上競技連盟>

 桐生からケンブリッジのバトンパスが、リオ五輪でもそうだったように、他のバトンパスより若干タイムが落ちる。だが、以前は3秒9が切れなかったが、今回の公開練習では3秒8台後半が出ていたという。

 ゴールデングランプリの目標タイムを問われたケンブリッジは、「久しぶりなのでリオで出した日本記録(37秒60)は難しいですけど、そのタイムにどれだけ近づいて走れるか。まずそこですが、(日本新の)可能性も全然あると思う」と答えた。

 4~5月の個人種目で好記録が出ていない2018年シーズンだが、この日の練習で、今後に向けて明るい材料が出てきたのは確かだった。

バトン練習の活用法が成熟

 アンダーハンドパスを導入した2001年から7年間で、日本のリレーは入賞の常連から、メダルを狙える位置に世界の中でのポジションを上げることに成功した。だが2007年大阪世界陸上で、38秒03を出してもメダルを取れなかった。選手たちに「あと何をすれば良いんだろう」という気持ちが芽生えかけていた。

 そこで導入した“40mタイム”が、選手たちの行き詰まり感を解消し、そこからの10年間でメダル常連というポジションに押し上げた。

 もちろん、“40mタイム”だけが日本の強化方法ではない。その一部といった方が正確だろう。土江コーチは「最近は“40mタイム”の記録はそれほど気にしなくなった」という。“40mタイム”をしっかり出すのは当然、という意識が選手たちに浸透したこともあるだろう。だが、「タイムよりも内容をしっかりチェックしている」のだという。

「加速がどうだったか、渡す地点はどこだったのか、渡すときの姿勢や腕の角度はどうだったか、2人の距離感はどのくらいだったか、といったポイントを重要視しています」

 選手たちもただ、タイムを出そうとしているわけではない。飯塚が以前の“40mタイム”との違いをこう話していた。

「ロンドン五輪の頃は、タイムを出してアピールすることを考えていましたね。でも今では、いかに本番につなげるかを考えています。渡す側のときは短い距離で渡したら、100mを走る本番よりも減速が小さくなる。そこは練習でも長めに走るようにしています。それでもこの6年間で、“40mタイム”は全然速くなっています」

飯塚から桐生へのバトンパス練習<筆者撮影>
飯塚から桐生へのバトンパス練習<筆者撮影>

 飯塚も桐生も公開練習では、受け手のときの走り始める位置をリオ五輪とは変えていたという。

 飯塚はリオ五輪では31.75足長(自身の立ち位置から、前の走者が通過したらスタートするマークまでの距離を、シューズ何足かで決める)だったが、それよりも長くした。

「ケガ明けなので、(自分のダッシュが)リオよりも遅いだろうと思って」

 桐生もマークまでの足長を長くした。レースになれば練習よりも、格段にスピードが出るタイプだからだ。

「(リオ五輪メンバーのバトンパスは)安定感があります。今日久々にやっても(近づきすぎて)クラッシュするとか、逆に届かないとかは絶対にない。練習だからこれくらいか、とか、みんなだいたいわかる。そういう点では安心感がありますね」

 “40mタイム”がすべてではないが、リオ五輪メンバーの互いの信頼感などは、公開練習にも現れていた。連載の後の回で紹介する予定だが、「他の国との決定的な違いは選手間の信頼感、チームワーク」と土江コーチが強調している部分である。

個々の力を上げることの比重を大きくした強化策に

 メダル常連にまで成長した今、狙うのは金メダルしかなくなった。そのためにはバトンパスの精度を上げるだけでは難しい。個々の記録を上げて、スピードが一段階速くなったなかでのバトンパスの技術を磨いていく。

 そのための強化策として、従来の中期合宿活用型ではなく、試合と短期合宿活用型に転換していく。昨年までは3月に宮崎、それ以前にも沖縄で短距離合宿、リレー合宿を行っていた。アンダーハンドパスを普及させることも狙いの1つで、どの選手が代表に選ばれても違和感なくアンダーハンドパスを行うことができるようになった。

 それが今年は、冬期の間に合宿は一度も行わなかった。その代わり桐生、山縣、飯塚、ケンブリッジの4人は、期間も場所も別々だが、海外合宿を長期で行っている。背景には桐生の9秒98を筆頭に、個々のレベルも過去最高に上がっていることがある。

「今のレベルであれば、個々のトレーニング計画を尊重する方が良い」と土江コーチ。「では、リレーのバトンパスをどうするか。その対策として実戦に出たり、今回のような短期合同練習を多く行ったりする形が良いと考えました」

土江五輪強化コーチ(左)。東洋大時代から桐生のパーソナルコーチでもある<筆者撮影>
土江五輪強化コーチ(左)。東洋大時代から桐生のパーソナルコーチでもある<筆者撮影>

 そのためのレース第一弾がゴールデングランプリなのだ。その後は6月の日本選手権でアジア大会代表メンバーが決まり、7月のヨーロッパの試合に個人でも出場するが、4×100mリレーにも代表メンバーで出場する。記録的な目標は「37秒台は出しておきたい」(土江コーチ)という。

 37秒台を出しておけば、来年春先の世界リレーに出場しなくても、来年秋のドーハ世界陸上の出場権を得られる可能性が高い。東京五輪出場国の決め方はまだ公表されていないが、世界陸上の入賞チームが出場権を得ることになるかもしれない。2020年まで、出場権を取るために遠征するなど選手たちに余計なストレスがかからないようにするには、今季のうちに37秒台を出しておくことがベストなのだ。

 だが日本の37秒台は過去、リオ五輪の予選と決勝の2レースしかない。38秒0台は2007年大阪世界陸上、2017年ロンドン世界陸上、そして2012年ロンドン五輪の3回だ。世界のトップ選手が集まるゴールデングランプリとはいえ、五輪と同じテンションで臨むことは難しい。どのくらいの“攻めの足長”を採用するかも判断力が必要になる。37秒台は、簡単に出せる記録ではない。

ゴールデングランプリでどこまでリオに迫るか

 プラス材料としては、ゴールデングランプリに米国と中国が参加することが挙げられる。

 米国はリオ五輪決勝こそ失格したものの、予選では37秒65と1・2組通じてトップのタイムを出している(米国は1組1位で、2組1位の日本が37秒68で全体2番目のタイム)。そのとき4走を走ったのが、今回来日するジャリオン・ローソン(米国)である。2016年の全米学生で100m・200m・走幅跳の3冠をやってのけた若手で、本職は走幅跳の選手。リオ五輪4位、ロンドン世界陸上銀メダルと急成長を見せている。100mは10秒03がベストだが、追い風参考で9秒90も持つ。

 世界陸上金メダリストのガトリン、9秒97のアイザック・ヤング、200m20秒25のブランドン・カーネズ、そしてローソンのメンバーは、個人の記録の平均では日本を上回る(バトン練習はできないと思われるが)。

昨年のゴールデングランプリに来日した(後列左から)蘇、ガトリン<筆者撮影>
昨年のゴールデングランプリに来日した(後列左から)蘇、ガトリン<筆者撮影>

 中国も強力だ。仁川アジア大会、北京世界陸上、リオ五輪と3年連続37秒台を出し、北京では銀メダル、リオでは4位、昨年のロンドン世界陸上でも4位(38秒34)と安定した戦績を残している。その全てのレースで2・3走としてバトンをつないできたのが、謝震業と蘇炳添の2人だ。

 蘇の実績はアジア出身選手初の9秒台(2015年に9秒99を2回)、世界陸上で2015・17年と連続決勝進出と素晴らしい。謝も200mで20秒20の中国記録を持つ。今年の世界室内60mで、スタートが得意な蘇が2位に入ったのはともかく、謝も4位と続いたことで中国4×100mリレーへの警戒心は高まった。先週のダイヤモンドリーグ上海大会100mでも、2位の蘇に続いて謝が3位に食い込んだ。おそらくゴールデングランプリでも、2・3走は蘇・謝の強力コンビで来るだろう。

 アジア出身選手で9秒台は、桐生と蘇の2人しかいないが、その2人が3走で激突する可能性がある。リオ五輪のアンカーでウサイン・ボルト(ジャマイカ)と競り合ったケンブリッジが、今度はフィニッシュ前でガトリンと激闘を繰り広げるかもしれない。

 ゴールデングランプリの日本チームが、リオ五輪に近づく条件は整えられた。

陸上競技ライター

陸上競技専門のフリーライター。陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の“深い”情報を紹介することをライフワークとする。一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことが多い。地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。座右の銘は「この一球は絶対無二の一球なり」。同じ取材機会は二度とない、と自身を戒めるが、ユーモアを忘れないことが取材の集中力につながるとも考えている。

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