NHKの大越健介キャスターが自身の退職を明かした。「区切りをつけたい」との意向だが、それを踏まえても、実はこれはNHKで現在起きていることと無縁ではない。今、NHKで報道を支えてきた職員の多くが退職を考え始めている。それは既に始まっている日本の公共放送のパペット・メディア化の加速を意味する。それはどういうものなのか?

大越キャスターの退職

「大越さん、辞めるようだが、連絡取れないだろうか?」

6月29日、私はテレビ局の友人から連絡を受けた。NHKの大越健介キャスターが退職するので秋の改変でキャスターにお願いしたいとの話だ。その為に連絡を取って欲しいとの要望だった。同じ記者職だったとは言え、1年違えば先輩後輩のしきたりの厳しいNHKで私より5年以上先輩の大越氏のことを知る由もない。要望には添えないと伝えた。

翌日、大越キャスターの退職が報じられた。60歳まで2か月での「定年退職」ということで報道によると、「間もなく60歳という節目ということで、自分自身も仕事に1つの区切りをつけたいと思います」と出演するラジオで語ったという。

既に民放キー局の秋の改変で報道番組でキャスター就任が決まっているとも言われている・・・などと書くのがこの記事の目的ではない。重要なのは、大越氏の退職が意味するものだ。

定年退職ということだが、延長は可能だ。大越氏の退職は、本人の説明はどうであれ、NHKの現状と、その今後を象徴するものだと私は考える。それは現場の若返りということになるが、それは同時に、NHKのパペットメディア化を意味する。以下、説明する。

報道の歴史は現場の裁量権の獲得の歴史だった

パペットとは、操り人間のことだ。「傀儡政権」などにも使われる言葉だ。パペット・メディアとは、表に出る人間、つまり画面に登場する人物を裏で誰かが操るメディアという意味だ。

もともと日本のメディアは新聞、放送を問わず、その文化を色濃く持っている。それを壊して現場に裁量権を与える試みが幾度も行われ、その綱引きが続いてきた。NHKでは、夜9時台のニュース番組の開発であり、国谷裕子氏の「クローズアップ現代」の展開がそれだ。それは、キャスターに自分の言葉を持たせ、現場がニュースを斬る。あくまで現場の裁量と決断で放送を出すという取り組みだった。

私は現在、「NHK研究」を連載しており、その中で番組制作を担うPD(プログラム・ディレクター)と呼ばれる職種の職員を主に取材している。その取材から、NHK報道の歴史が現場が裁量権を確保するための闘いだったことがわかる。国谷氏の交代に強く抗ったのはPDだ。大越氏が「ニュースウオッチ9」のキャスターを降りた後も、彼を支えたのはPDだった。現場の裁量が報道番組に不可欠であり、それには経験豊富なジャーナリストの存在が必要なことを彼ら、彼女らが知っているからだ。

大越氏のNHK退職は、そうしたPDが支えて実現してきた現場よりも、更に魅力的な場所がNHKの外に有ることを物語る。現場を支えるPDの頑張りを上回るはるかに大きな力がNHK内で作用しているとも言える。そうした中での大越氏の判断は当然であり、仕方がないことだろう。

キャリアを活かせない現場

実は、同じ状況はNHKの他の部署でも起きている。大越氏は政治部のエース記者だったが、社会部でも同様なことが起きている。

長く社会部で福祉問題を扱い、国の問題にもメスを入れてきた後藤千恵氏がこの夏の異動で退職する。解説委員としても弱者への視点から政府に厳しい指摘をしてきたことで知られる。私の社会部時代の先輩で50代半ばだ。

NHK内部から得た話では、後藤氏はこの夏の異動で地方の通信部記者といった職を提示されたという。後藤氏は地方への異動は歓迎したと言うが、問題は、裁量権の無い末端の記者としての役割だった。これは、突発事故が起きれば駆り出され、選挙となれば選挙区を回ることになる。日々、そうした作業を押し付けられる役割だ。それは彼女の長年のキャリアを活かせるものではない。そう考えての退職となったという。

大越氏が50代の最後、後藤氏は50代半ば。これは前田晃伸会長が進めるNHK改革と無縁ではないと私は考える。前田会長は40代の職員を地方放送局の局長に抜擢するなどの組織若返りの改革を進めている。それはNHKを活性化させる上で、当然、好ましい側面も有る。しかし、その結果、これまでキャリアを積んできた50代が力を発揮できる場を失っている。そして場当たり的な人事が打診されている。そういう職場に日本の公共放送はなっている。私が知る限りでも、50代のPD数人が辞めており、記者、PD含めてあと数人は退職を考えている。何れもNHK内で実績を積んできた50代の職員だ。

少し考えてみよう。例えば、「クローズアップ現代+」。若い男女のアナウンサーが司会を務める「クローズアップ現代」の後継番組だが、仮に大越氏や後藤氏がこの番組のキャスターを務めたらどうだろうか?もっと深く物事をつきつめていけるのではないか。そして、仮に2人がその職を打診されていたらどうだろうか?推測でしかないが、大越氏は、後藤氏は、NHKを退職していなかったのではないか?

因みに、こうした人事について問われた前田会長は6月の定例会見で、「ベテランはベテランでいろいろな役割が有りますので、それにふさわしいところで頑張って頂きたい」と語っている。

前田会長の「組織若返り」には矛盾も指摘されている。経営幹部の専務理事に67歳の板野裕爾氏を再任したのがそれだ。それは官邸の意向による異例の人事だったとの報道も有るが、私は確認していない。ただし、官邸の意向が有ろうが無かろうが、現場を若返らせ50代のベテラン職員を冷遇する一方で、70歳手前の経営幹部をその例外とした事実は重い。

5月の会見でこれについて問われた前田会長は、「役員は通常の職員とは違う」とした上で、「私は年齢がどうかということではないと思います」とひらき直っている。しかし、その結果、どうなるのか?若い現場は、益々、年配の経営幹部に抗えない状況が起きる。組織の論理がトップダウンで貫徹されるということになり、これは前田会長がキャリアを積んだ銀行業界では好ましいことかもしれない。スピーディーな社会の流れに対応する「スリムで強靭」(前田会長)な組織ということだろう。しかし、その一方で、現場が経営幹部の意向を伝えるだけの「操り人間」になることを意味する。パペット・メディアだ。

NHKとは逆なアメリカのメディア

これは当然のことなのか?例えば、トップダウンの本家のようなアメリカだが、報道界はそうした状況を受け入れていない。確かに経営幹部は皆若い。40代も珍しくない。そういう意味で前田改革と同じと言えなくない。しかし、アメリカの報道番組を視聴すればわかるが、現場は逆に、キャリアを積んだベテランが勢ぞろいしている。新聞、テレビともに、50代どころか、60代、70代のベテランが現場を仕切り画面で活躍している。

CNNの「シチュエーション・ルーム」アンカーのウルフ・ブリッツァーは73歳、公共放送PBSの「ニュースアワー」アンカーのジュディー・ウッドラフは74歳。その経験を活かした報道で問題を伝え、権力に迫っている。彼ら、彼女らが仮に「この原稿を読め」と経営幹部から言われたら、恐らく辞任して抗議の声明を出すだろう。パペット・メディアのキャスターなど、民主主義社会のジャーナリストとしてはあり得ないからだ。そして、そこにアメリカの視聴者も価値を見出している。

NHK内部では、前田会長の改革を「公共放送の銀行化」と評する声も聞かれるようになっている。ジャーナリストとしては発展途上の40代の職員を地方放送局のトップに据えるのは、銀行の支店長をイメージしたものとの指摘だ。それはNHKの組織人を育てるもので、組織を「スリムで強靭」にするかもしれない。しかし、現場に対する洞察が欠けているため、現場が獲得してきた裁量権を奪うものになる。

異論をはさめない現場

そして第二、第三の大越氏、後藤氏はNHKを去っていく。

その結果、画面には若い職員が出て華やかなものになるだろう。しかし、同時にそれは、経営幹部の指示する内容を伝えるだけの放送があふれることを意味する。誤解が有るが、アナウンサーだから与えられた原稿を読むのではない。キャリアを積んだアナウンサーは原稿の問題を指摘し、現場で内容が修正されることもある。私は過去にNHKで、そういう場面を経験している。それがあるべき現場の姿だ。

経営幹部の指示が政権の意向を忖度したものかどうかも、大きな問題ではない。現場から離れた経営判断で動くメディア、それは既にパペット・メディアだ。例えば、東京オリ・パラの聖火リレーで開催に反対する声を出さないよう経営幹部が指示すれば、それに現場は異論をはさまない。否、はさめない。パペット・メディアとはそういうものだ。

パペット・メディア化が加速するNHK。それは国営放送としては良いかもしれない。しかし、民主主義社会の公共放送が進むべき道ではない。

※この記事にはNHK現役職員からもたらされた情報が使われています。本来は情報源は明示すべきと考えますが、それによって情報を提供してくれた職員に著しい不利益が予想されるため情報源を匿名としています。